娘、先走る
魔族領域、それなりに奥。勇者のくびきを解かれたフレイ達一行は、一般の兵士達から離れて単独でそこまで足を踏み入れていた。
というのも、一般兵はどうしても「面」で制圧しつつ進まなければならないためだ。これは数で押す戦闘なのでそこにフレイ達三人が加わったところでそう大きく戦況は動かないし、何より進行速度が遅い。
だからこそフレイ達はそこから離れて先行して動くことで協力的な魔族にはあらかじめ話を通し、逆に危険な魔族達はその時点で打ち倒す。そうすることで結果として一緒に戦っていた時よりも兵士達の危険度を下げ、かつお互いがよくわからない状態で接することでの緊張状態からの不幸な事故の起こる可能性を大幅に下げることに成功していた。
そしてそんなフレイ達が今何をしているかというと……
「えっ、アンタ花とか好きなの!?」
「ウガ。ソウダ……」
父よりも更に大きい体をした、緑色の肌をした強面の戦士。鬼人族と名乗った魔族の集落にて、地面の上に座り込みお茶を飲んでいた。
「へー、そうなんだ。あ、でも、手が大きかったり力が強かったりすると大変じゃない? 花とかって基本小さいし」
「ウガ……デモ、オレ、ナレテル。マイニチツマニ、ハナオクッテル」
「うっわ、何それ! 超優しいじゃない! 奥さんのこと好きすぎでしょ!」
「ウガ。ツマトムスメ、オレノタカラ」
「そっかそっか! いやー、大戦士なんて紹介されたからどうしようかと思ってたけど、アンタいい人じゃない!」
屈託無く笑うフレイが、自分の倍以上も大きな鬼人族の戦士の背中をバシバシと叩く。そんな痛くも痒くも無い、でもどこかくすぐったいような打撃を与えてくる小さな娘に、鬼人族の戦士は不思議そうな視線を向ける。
「ウガ。オマエ、オレヲバカニシナイカ?」
「え、何で?」
「オレ、ダイセンシ。ハナトカ、ニアワナイ、ワカッテル……」
「何よ、そんなの関係ないでしょ! 人の趣味を馬鹿にするような奴なんて、気にしなくていいのよ! あとはまあ、とりあえず殴っとくとか?」
「ウガ……」
シュッシュッと殴る真似をする小さな娘を、戦士はジッと見つめる。その娘は仲間の女に「貴方、本当にニックの娘よねぇ」と呆れた声で話しかけられ「どういう意味よ!?」と口を尖らせたりしていたが、戦士の視線に気づくと顔を向け直してニッコリと笑う。
「まああれよ。人がどう思うかなんてアタシには何とも言えないけど、少なくともアタシはアンタのこと優しくて格好いいって思うわよ?」
「カッコイイ? オレ、カッコイイか?」
「ええ。好きなものを好きって言えることも、それを好きな人に贈れることも、全部最高に格好いいわ!」
打算でも同情でもなく、まるで朝になれば日が昇ることを伝えるような当たり前さでそう言ったフレイに、鬼人族の戦士は驚きにも似た感銘を受けた。ありのままの自分を受け入れてくれた相手は、妻と娘を除けば初めてだったからだ。
「ウガ……オマエ、イイヤツ。オレ、オマエ、キライジャナイ」
「何よ、そこは素直に好きって言うところじゃないの?」
「キライジャナイ。デモ、スキハツマトムスメダケ」
「あっそ。フフッ、そう言うちょっと不器用なところも含めて、アンタってアタシの父さんに似てるかもね」
「ウガ。オマエノチチ、オレニニテルカ?」
「うん。アタシの父さんも、アタシのこと大好きだし。あ、勿論アタシも父さんのこと好きよ?」
「ソウカ。オマエトチチ、オタガイニスキカ……」
そう言って小さく笑うと、鬼人族の戦士が傍らに置いていた剣を手に立ち上がる。その目に宿っているのは一抹の寂しさと、揺るがない決意。
「オレ、キットオマエトトモダチ、ナレル。デモ、オレ、マオウグン」
「……やっぱり、戦わない訳にはいかない?」
「センシノホコリ、ダイジ。サトノナカマ、モットダイジ。ソレニ……」
立ちはだかる巨体は、身の丈二メートル五〇センチ。その全身にはち切れんばかりの筋肉を宿し、手にした大剣はただそれのみでフレイの体よりも大きい。
「ツマトムスメ、オレノスベテ。ココデヒイタラ、キットアトデセメラレル。ダカラ……」
ブォンと風を切って一振り。迷いの無い太刀筋を見せつけた戦士の男が、まっすぐに剣を構えて名乗りを上げる。
「我は鬼人族、カタコットン氏族が大戦士、ウガルガ・カタコットン! 勇者フレイに一騎打ちを申し込む!」
「あはは、アタシもう勇者じゃないんだけど……そんなの関係ないわよね」
今までとは違う流ちょうな発音でそう言った大戦士ウガルガに、フレイは苦笑しながら頭を掻き……腰から聖剣を抜き放って構える。
「アタシはフレイ。ただのフレイよ。生まれたときに押しつけられた勇者なんて肩書きなんかじゃなく、人間と魔族の平和を願うただ一人の戦士として、大戦士ウガルガの勝負を受ける!」
「フレイ殿、援護を!」
「いらないわよ! これはアタシとウガルガさんとの一騎打ち――」
「カマワン」
ロンの提案を即座に拒否しようとしたフレイだったが、その言葉をウガルガが遮る。
「オマエ、ヒトリジャナイ。ナカマノチカラ、オマエノチカラ。セオウモノアルカラ、センシハツヨイ」
「……ごめん。アタシまた先走ってたみたい」
歩んだ道のり、繋いだ絆。その全てが己の力であるというウガルガの言葉に、フレイはちょっと情けない顔をして振り返る。そんなフレイの頭に、ムーナの杖がポカリと落ちてきた。
「イタッ!?」
「まったく、相変わらずのお馬鹿ねぇ。敵に諭されてどうするのよぉ?」
「わ、わかってるわよ!」
「それがわかってる人の態度なのかしらぁ? ほらほらほらぁ!」
「痛い! 痛いってば!」
「ハハハ、お二人はこんな時でも相変わらずですな」
フレイとムーナのやりとりを笑顔で眺めつつ、ロンが防御魔法を紡いでいく。だがそれを前にしてもウガルガは一切反応せず、ただジッと剣を構えて待っている。
「さて、それじゃ……三対一だけど、いいのよね?」
「ウガ。オマエタチノチカラ、ミセテミロ!」
「若輩ではありますが、ご期待に添えるよう力を振り絞らせていただきます」
「フフーン。私達を侮ってると、後悔するわよぉ?」
「勇者……じゃない、元勇者パーティの力、思いっきりみせつけてあげるわ!」
「カカッテコイ!」
フレイ達が戦闘態勢を整えたのを確認すると、言葉とは裏腹にウガルガの巨体が先に動く。大きく一歩を踏み出してからの力の籠もった打ち下ろしに、フレイは咄嗟に聖剣を頭上に掲げて防御するが……
(重いっ!?)
剣撃を受け止めたフレイの足が、目に見えるほどに地面に沈む。もしもフレイの手にしていたのが聖剣でなければ剣ごと真っ二つになっていただろうし、ロンの補助魔法がなければ耐えきれず膝をついていた、それほどまでの一撃だ。
「グー、グォー、グガウ『眩ましの閃光』!」
「ウガッ!?」
だがその瞬間を見越して、フレイの頭のすぐ後ろでロンの放った閃光魔法が炸裂する。その光に視界を焼かれたウガルガが一瞬怯むと、その顔面に追い打ちをかけるようにムーナの攻撃魔法が炸裂する。
「連なり重なり、放ちて燃やせ! 『マルチプル・フレアアロー』!」
「ガァァ!」
流石のムーナでも、ここまでの短時間で威力のある魔法は紡げない。五本の火矢は狙い違わずウガルガの顔に降り注ぎ、ウガルガは溜まらずそれを払いのける。
短縮詠唱であるが故にただでさえ低い威力が更に大きく落ちたそれはウガルガの皮膚に小さな焦げ痕すら残すことはかなわなかったが、フレイが態勢を立て直す時間を稼ぐという目的はきっちりと果たされる。
「せぁぁーっ!」
「グッ……コシャクナ!」
フレイの聖剣がウガルガの右足に迫るが、ウガルガは手にした大剣の柄で迫り来る聖剣の腹を思いきり叩きつける。予想外の上からの衝撃に再びフレイがよろけそうになるが、ダンと大きく踏み出した左足を前に突くことで何とか転倒を回避し、そのままウガルガの右足に聖剣を当てる。
如何に聖剣といえど、力の籠もっていない状態でただ当てただけではウガルガの強靱な皮膚を切り裂くことなどできるはずもないが……
「フッ!」
踏み出した左足に力を入れ、フレイがそのまま背後に飛ぶ。すると当てた聖剣の「引く」という動作によってウガルガの皮膚が薄皮一枚切り裂かれ、その傷口からじんわりと血が滲んだ。
「ウッ……?」
「知ってる? そういう付き方をした傷って、普通に斬られるより痛いのよ?」
予想外の痛みを訴える足に微妙に顔をしかめたウガルガに、得意げな顔でフレイが言う。とは言えその表情ほど余裕があるはずもなく……大戦士と元勇者の勝負は、ここから苛烈さを増していくことになる。