王選の記章、考える
イーワ連合国に突如として巻き起こった「光る大男」騒動。シーラズ男爵を含む三人の貴族がそれに襲われたということで関係者の間では割と大騒ぎとなり、未知の魔物を討伐するために密かに高位冒険者に依頼が出たりしていたのだが……
「お、これは美味いな」
『まったく貴様という奴は……』
その騒動の犯人であるニックは、イーワ連合国の首都ズットモにて昼下がりのお茶を楽しんでいた。
『こんなところでのんびりしていていいのか? 貴様を探して国中の警備兵や冒険者達が躍起になっているのだぞ?』
「ははは、大丈夫だ。二回目からはちゃんと正体を隠すために粉を倍量塗ったからな!」
『……まあ、うむ。確かにあの眩しさは凄かったな』
ソウルバタフライの鱗粉は、塗れば塗るだけ光が強くなるなどという性質はない。そもそも最初にシーラズ男爵家に忍び込んだ時とて適当に塗ったわけではないのだから、更に厚塗りしたところで光量の増加などたかが知れている。
が、二人目以降の家に忍び込んだ時のニックの体は、それはもうピッカピカであった。何故そうなったのか理由を知る者は存在しないが、とにかくあれだけ光っていたのであれば顔など見えるはずもない。
「それに、もし万が一儂かも知れぬと当たりをつける者がいたとしても、その時は逃げてしまえばいいだけだ。流石に国外までは追ってこぬだろうし、どの貴族達も最後は罪を自白していたからな。
貴族達が『光る大男』を恐れているのは自分も襲われて罪を告白させられるかも知れないと思っているからで、いなくなったものを深追いすることはないだろう」
『相変わらず抜け目の無い男だ』
自信満々で言うニックに、オーゼンは少しだけ呆れた口調で言う。あれだけ派手なことをやりながらもきちんとその後の事を考えている辺りが、ニックが単なる馬鹿ではないことを如実に現している。
(全てを強引に解決できる強さを持ちながら、それに頼り切ることなくきちんと頭を働かせる……その上概ね善良と言える価値観を持ちながらも清濁併せのむ度量もあり、必要なときには決断力も発揮する……ふむ)
「それにしてもこれは美味いな。まったりとしてコクがあるのにしつこくはなく、さっぱりした口当たりながら後味が――」
(本当にこの男は何者なのだろうな?)
目の前で美味しそうに菓子を食べるニックを見ながら、オーゼンは改めてそんな事を考えてみる。改めて考えてみればこれほどの存在がただの木こりで、しかも若い頃は常人と変わらぬ力しか持っていなかったというのは余りに不自然だ。
(体を鍛えているというのはわかる。娘の為に死に物狂いで努力したという話も聞いた。この男ならばきっと我には想像もつかぬほど厳しい鍛錬を積み重ねたのだろう。
だが、だからといってそれでここまで常軌を逸する力を得られるものなのか?)
少なくともオーゼンが調べた限りでは、ニックの体は間違いなくただの人間のものだ。飲食もするし夜には眠る。ごく稀にだが怪我をして血を流すこともあるし、何より普通に子を成している。つまりニックが人間を逸脱した別の生物ということはほぼ無い。子供が作れるのであればそれほど大きな違いがあるはずがないのだ。
(運命に選ばれたとしか思えぬ力と、類い希なる……とまでは言わぬが十分に優れた知性。そして多くの人を惹きつける器の大きさ、人としての魅力。これではまるでこの男こそが……)
「……おいオーゼン、聞いておるのか?」
『む? すまぬ、何の話だ?』
「だから、次の目的地の話だ。お主は何処か行きたいところというか、興味のある事柄などはあるか?」
『興味か……』
ニックに問われたことで、オーゼンの中からもう少しで何かに辿り着きそうだった答えが消え去り、代わりに新たな問いに対する回答が模索される。
『……この世界の娯楽や芸術はどうなっておるのだ?』
「お? 突然だが、どうした?」
『いや、今までも酒場の端で唄っているのを聞いたことはあったが、今回初めて吟遊詩人という存在に深く触れたであろう? それで思ったのだが、この世界にはそういう娯楽や芸術などはどのようなものが発達しているのかと思ってな』
娯楽や芸術というのは、生活に必須というものではない。つまりそれが発展するのは生活に余裕があり、生きることに困窮しないほどに文明が成熟した証であり、だからこそ娯楽や芸術というのは文明の発展度を測る物差したり得るのだ。
『我が知るアトラガルドにおいても、娯楽というのは様々なものがあった。我が知らぬ未来のアトラガルドでは、それこそ衣食住や医療などが頭打ちしたが故に娯楽のみが極端に発達しているようであった。
ならば今のこの世界、この時代にはどのようなものがあるのか? そこにふと興味がわいたのだが、どうだ?』
「ふむ。娯楽に芸術なぁ……」
オーゼンの提案に、ニックは顎に手を当て考え込む。だがその表情は微妙に優れない。
『どうしたのだ? 貴様が嫌だというのであれば、無理を言うつもりはないぞ?』
「嫌というわけではないのだがな。その条件でパッと思いつくのが、イッケメーン王国しかないのだ」
『イッケメーン……?』
まだまだこの世界の地名、国名には未知の部分が多いオーゼンだったが、その名にはチラリと聞き覚えがあった。そうして記憶を掘り起こせば、浮かんでくるのはやたらと軽い調子でこちらに絡んできた一人の王子の顔。
『ああ、聖女殿のところにいた男の国か!』
「そういうことだ。イッケメーンは芸術やら娯楽やらに殊の外力を入れている国だからな。勇者と旅をしている間は縁の無い国だったから行ったことはないのだが、今の世界で娯楽や芸術を深く堪能したいというのであれば、あの国に行くのが一番適切であろう」
『ふーむ。あの王子の国か……』
ニックの渋顔の意味がわかり、オーゼンは改めて考える。あの時会ったチャラケッタ王子は人としては些か以上に問題のある人物であったし、その軽薄な行動が大きな騒動を巻き起こしたのは事実だが、かといって度し難い悪人というわけでもなかった。
『確認なのだが、イッケメーン王国の内情はどうなのだ?』
「ふむん? 特別に治安が悪いなどの話は聞かんな。商人の出入りが盛んな影響で貧富の差は割とあるようだが、上が高いだけで下が特別に飢えているというわけでもない……らしい。無論儂が直接見たわけではないから確実とまでは言わんがな」
『そうか。そういうことであれば、我としては行ってみたいところだな』
王族がああだったからといって、国民まで同じだということはないだろう。その上で荒廃、あるいは困窮しているわけでもないということであれば、オーゼンの抱く好奇心がチャラケッタ王子のヘラヘラした軽薄な笑みに打ち勝った。
「わかった。では次の目的地はイッケメーン王国の首都、パーリーピーポーだな。たまには馬車の旅も悪くはなかったが、今回は流石に徒歩にしよう」
『ぐっ……じょ、常識的な速度で歩くのだぞ?』
「ははは、わかっておる。完全な観光目的となれば急いでは勿体ないし、途中の町や村によりながらのんびり行くさ」
『うむ、素晴らしい心がけだ!』
こうしてニックとオーゼンは、新たな目的地に向かって歩き始める。なお彼らが立ち去った後にズットモの町までやってきたカシューの手により『嘘つき伯爵と金色の霊』の内容に手が加えられ、以後数百年に渡ってこの地域では「悪い事をすると金獅子がやってきて食べられてしまう」というのが子供を叱る常套句になったりするのだが、それはニック達の与り知らぬことである。