父、追加する
酷い状態のミノホド男爵が発見され、家が騒然となって少しした頃。易々と屋敷を脱出したばかりか町の外壁すら乗り越えたニックは、暗い森の中で一人体についた光る粉を落とすべく川に飛び込み水浴びをしていた。
「ふぅ、さっぱりした」
雪解けの水が流れる川は常人ならば命の危機すら感じるほどの冷たさだが、ニックからすれば筋肉の火照りを鎮めるのに丁度いい温度でしかない。ザブンと幾度も頭まで潜って全身くまなく洗い終えると、スッキリした表情で川からあがる。
「どうだオーゼン? 粉は全部落ちただろうか?」
『……本当に貴様はろくでもない事ばかり思いつくな』
ニックからの問いかけに、すぐ側の岩の上に置かれたオーゼンは答えとは違う言葉を返す。その声に含まれているのは呆れであり諦めであり、加えてひとつまみの悲哀であった。
ニックがミノホド男爵家でしたことは、至極単純だ。警備の隙を突いて屋敷に侵入し、誰にも悟られずに男爵にだけ己の姿を見せて脅す。ただそれを繰り返しただけであり、ニックの技量をもってすればあの程度の警備の目を欺くことなど造作もない。
最後の厠に関してだけは密談などに用いられる音を外に漏らさない魔法道具を使用したが、逆に言えば使ったのはそれとあと一つだけだ。
『というか、何故今回も全裸だったのだ!? 一体どんな意味があった!?』
「ああ、それか? 儂の体を光らせていた粉……ソウルバタフライという蝶の鱗粉なのだがな。あれは熱に反応して光るのだ。なので鎧や服の上からでは光らせることができぬから、どうしても肌に直接塗る必要があったのだ」
『熱に……? まあ、うむ。熱を光に変えるというのは原理としてはおかしくないが、そんなものを肌に直接塗って……貴様ならば大丈夫なのであろうが』
「ははは、別に危険なものではないぞ? 一般的には火の魔石と一緒にすることで目くらましに使ったりするもので、人肌に触れた場合だと暗闇ならばほんのり光る程度だな」
『ならば何故貴様の体はあんなにピカピカ光っていたのだ? というかその後は光が消えたりもしていたが?』
「おかしな事を言う奴だなオーゼン。筋肉を震わせれば高い熱を発することも、逆に落ち着ければ急速に冷えることも当然ではないか」
『……人の体はそんな風にはできていないと思うぞ』
人肌でほんのり光るというのであれば、眩しいほどに光っていたニックの体は一体どれほど熱かったのか? そしてそこから瞬時に光が消えるということは、どれほどに冷たくなったのか?
どれだけ考えてもオーゼンの中に納得できる答えは出ず、最終的には「ニックだから」という結論を得たことでオーゼンは不毛な思索に終止符を打った。
『まあ、いい。何と言うか、もう本当にいい。で、この後はどうするのだ?』
「あの男爵についてはあのくらいでいいだろう。もし再び勇者に手を出すというのであれば、今度こそ容赦はせんが」
『彼奴が再起することなど想像もできんが、あれで十分というのには同意する。ということは……』
「うむ。あと二人追加だ」
オーゼンの言葉に、ニックはニヤリと笑って答える。勇者に暗殺者を送り込んだのは間違いなくミノホドだったが、それ以外にも勇者の活動を妨害しようとしていた貴族がいたらしいことをミノホドは告白……いや、告発していた。
そちらに関しては正直取るに足らない……というかミノホドの失敗を受けて実行すらされなかったということだが、だからといって見逃してやる義理はない。
「『しなかった』ことと『できなかった』ことは大きく違う。何の被害も与えられなかったどころか依頼を受けてすらもらえなかったのだとしても、娘に害を為そうとした事実が変わるわけではない。
ならばついでにお仕置きしてやっても問題あるまい?」
悪い顔で笑うニックに、オーゼンは何も言わない。少し前のロリペドールとのやりとりを覚えていれば、ニックがそう言う決断を下すことなどわかりきっていたからだ。
『いいだろう。だがやり過ぎるなよ?』
だからこそ、オーゼンが伝える言葉はこれだけだ。そしてニックもまたそこを見極められぬほど愚かな男ではない。
「わかっておる。問題は残り二人をどう処罰するかだが……」
『……まさか、今回と同じ事をするのか?』
ほんの少しだけ声を震わせ問うオーゼンに、ニックは黙って笑みを浮かべる。それは残り二人の貴族のみならず、オーゼンにとっても絶望の証だ。
『うぅぅ、あと二回……あと二回も我はピカピカ光らされるのか……』
「別にお主が直接光っているわけではあるまい?」
『貴様の股の光が我に反射するのだから、光っているのと同じではないか!』
「何だ、そんなに光るのが嫌だったのか? あっ、ひょっとして眩しいとかか!? ならば悪い事をしたが……」
『光ることが問題なのではないわ、この大馬鹿者めが!』
「では何が問題だというのだ!?」
月明かりだけの夜の森に、全裸の筋肉親父と小さな金属片のやりとりが響き渡る。正確にはニックの声だけが響いているのだが、幸いにしてそれを聞くのは小さな虫や恐れを知らない獣だけ。
『はぁ……本当に貴様という奴は。まあいい。ここまで付き合ったのだから、最後まで協力してやろう』
「ふふふ、そうこなくてはな! せっかくならばここの話が伝わる前に……いや、むしろ伝わってからの方がより恐怖を煽れるか?」
『その場合屋敷の警備が厳重になるのではないか? 如何に貴様とて……というか貴様であるからこそ、隠れて侵入するのは難しくなるのでは?』
「その辺は何とも言えんな。どうしてもとなれば一旦普通に侵入して内部構造を把握し、その後は『鍵』を使って移動することになるだろうか? 如何に消音の魔法道具でも窓や壁を破る音までは消せぬだろうし、儂とて気配を消すことはできても姿そのものを見えなくできるわけではないからな」
『まあ、それはその時に考えればよいであろう。どうせ貴様のことだ、難関が立ち塞がろうとも滅茶苦茶な手段で突破するに決まっているのだ』
「むぅ、それは流石に言い過ぎではないか?」
『なら違うと言うつもりか? 光る霊になりすまして貴族の邸宅に侵入し、誰にも気づかれることなく事を成した貴様がか?』
「ぐぅ……まあ確かに、どうしようもなくなれば力押しすることも否定はせぬが」
『そういうことだ。よく考えてみれば今回のやり方とて結局は貴様の身体能力によるゴリ押しではないか。
そうともそうとも。やはり貴様はそういう男なのだ』
「くっ……今日は随分と辛辣だな」
『ふふふ、貴様の股間に張り付いてピカピカ光らされたのだ。この程度は我慢せよ』
勝ち誇ったように言うオーゼンに、ニックは反論の言葉を持たない。すっかり言い負かされたニックは魔法の鞄から乾いた布を取り出すと、綺麗に体の水分を拭き取ってから服と鎧を身につけていった。
「これでよし、と。ではそろそろ宿に戻るか」
『明日からはまた聞き込みだな。相手の名前はわかったが、何処に住んでいるかがわからん』
「今回のようなことも考えれば、できれば最初に情報屋を使って対象の周辺人物のことも調べておきたいところだが、それはそれで痕跡が残ってしまうからな。悩ましいところだ」
『いざとなれば光ればいいのではないか? 顔も見えぬほど光ってしまえば、誰も貴様とは気づかぬだろう?』
「ほぅ? ならばその時はお主で股間を隠すとしよう」
『なっ!? 貴様、まさか町中で全裸になるつもりか!?』
「それを言うなら町中で光る方がよほどおかしいであろうが!」
いっそ小気味よいと思える程に軽口を投げ合いながら、身長二メートルを超える巨体が夜の闇へと消えていく。彼らが目指す先の町で再び「光る大男」が目撃されることになるのは、およそ二週間後のことであった。