メイド、報告する
「はぁ…………」
城の長い廊下を一人歩く露出度高めのメイド、ハニトラはこれから先のことを考えてひとつ大きなため息をついた。理由は簡単。自らに与えられた「ニックを色仕掛けで籠絡せよ」という使命がこれっぽっちもうまくいっていないからだ。
ニックが城に滞在して早一週間。その間ハニトラは様々な手段を講じてみた。己の無能を曝け出す恥を忍んで後輩達にも意見を求め多種多様な迫り方をしてみたが、結局その全てをニックは笑顔で受け流していた。
全裸より扇情的な衣装で娼婦のように誘ってもすげなくされ、清楚な衣装で純真無垢な小娘のように手ほどきを請うても笑って流され、最終手段の「私にはそこまで魅力がありませんか?」からの泣き落としすら「無くはないが、妻ほどではないな」と言い切られてしまっては、ハニトラとしてもこれ以上どうすることもできなかった。
「報告に行きたくない……いっそ月女神の祝福が始まったことにして……いえ、あの人じゃそんなの考慮してくれないわよね……」
今から顔を合わせる相手のことを考えるだけで気が滅入るハニトラだったが、行きたくないから行かないなどという我が儘が通るのは格下の相手だけだということくらいは弁えている。
そして城のメイドである彼女は、町で給仕をやっている友人相手になら多少大きな顔は出来ても、この城内では悲しいほどに最底辺だった。筆頭だろうと何だろうと所詮はメイド。いくらでも代わりのいる労働力でしかない。
最後の抵抗としてちょっとだけ遠回りで呼び出された部屋へと向かうハニトラだったが、本当に遅れると物理的に首がヤバい可能性もあるので微妙に早足になっている。重い足をせかせかと動かすという無駄以外の何者でも無い行為の果てに、遂に所定の部屋の前へとやってきた。
「失礼致します。お呼びにより参上致しました」
扉をノックし一礼をしてハニトラが部屋の中へと入る。するとそこにはでっぷりと跳び出た腹を豪華な衣服に無理矢理押し込んだような中年の男が立っていた。
「来たか。で、首尾はどうだ?」
自分の命令で文字通り心身をなげうって働いているハニトラに対し、労いの言葉ひとつかけることなくその男が問う。その男にとってメイドなど「己の意のままに動くのが当然」の存在だからだ。
「あー、えっと、一定の信頼は得られたと思います……」
僅かに目を逸らしながらハニトラが言う。その言葉に嘘は無く、出会った当初に比べてニックとハニトラの距離は明らかに縮んでいた。最近ではちょっと強気な感じで強引にお世話をするのがいいらしいということもわかってきて、二人の仲は良好だ。
ただし、この男の思惑と反して何処まで行っても男女の関係には発展しない感じではあるが。
「そうか。まあ下賎な冒険者風情なら適当に金と女をくれてやれば簡単になびくとおもったが、こうも容易いとはな。所詮は下民か」
「……………………」
その男の言葉に、ハニトラは何も言わない。この男の中ではハニトラはニックに抱かれたと思っており、ハニトラ自身もこの男がそう勘違いしていると理解はしていたが、藪をつついて蛇を出すほどハニトラは間抜けではなかった。
「ならば、次の一手はどうするか。そもそもガドーの言うことが本当かどうかが甚だ疑わしいからな。陛下にお言葉を賜るに際し、その実力を試すように進言してみるか? それとも……」
「あらお父様。またお一人で悪巧みですか?」
と、そこで部屋の奥の扉が開き、中から見目麗しい……だが若干ケバい……女性が姿を現した。
「おお、ココロではないか。悪巧みとは人聞きの悪い。ワシはいつだってこの国と国王陛下のために尽力しているだけだぞ?」
「ウフフ。お父様ったら」
その男……ハラガ大臣の言葉に、その娘ココロは大きな扇子を口元にあてて笑う。二人の目は尽きることの無い欲望に濁っており、その内側には「いずれ自分の物になるのだから、大事にするのは当然」という本音が透けて見える。
「ところでお父様。私ちょっとしたことを小耳に挟んだのですけど、宜しいでしょうか?」
「ん? 何だ?」
「兵達が噂をしていたのですけれど、今お城に勇者の父を名乗る方が逗留しておられるのだとか。私是非その人とお会いしたいのですけれど……」
「勇者の父?」
ココロの言葉に、ハラガのでっぷり張り出した腹がタプンと揺れる。
「そのような利用しがいのある……いや、重要な人物が城にいてワシの耳に入らぬはずがない。そもそも今城に逗留しておるのはあの冒険者のみ……まさか!?」
己の頭によぎった閃きに、ハラガが目を見開いてハニトラに詰め寄る。
「おいメイド! 貴様あの冒険者が勇者の父であると知っていたか!?」
「へ? えーっと、そんな話を食堂で聞いたような……?」
メイドであるハニトラは、当然お客であるニックが食事を終えた後にしか自分の食事は取れない。そのため通常とはずれた時間に城の食堂を利用するのだが、その時間帯がちょうど兵士達の休憩時間と被ることがあった。
そこで交わされる会話の中に、確かにそんな話があったような気がする。曰く、「最近隊長がご機嫌で糞みたいな特訓をしまくってる。何とかして欲しい」「その阿呆ほど厳しい特訓を楽々と笑顔でこなす変なオッサンがいる」「そのオッサンは隊長の知り合いで、どうやら勇者の父親らしい」という会話が、ハニトラの耳にぼんやりと聞こえてきていた。
「貴様、何故それを報告しなかった! まさかこのワシに隠し事をするつもりだったか? もしや対立派閥の――」
「ち、違います! へ、兵士達の噂話なんて不確かな者を大臣様に報告するなんて、そんな恐れ多いこととてもとても……」
声を荒げるハラガに、ハニトラが必死に言い訳を募る。実際確証も無い情報をあげた場合、正しかったとしても特に何も無いのに対し、間違いだった場合は酷い罰を受けることになるのだから、求められた情報以外をあげるのはハニトラの選択肢には存在しない。
「ちっ、役立たずが。所詮はメイド風情か……しかしそうなると話が変わるな」
床に落ちた紙屑を見るような目を一瞬ハニトラに向けてから、ハラガはすぐに顎に手を当て思案顔になる。
(死ぬはずだったキレーナ王女が生きて戻り、そのせいでベンリー殿下も快復なされた。この状況ではココロをベンリー殿下の婚約者とするのは難しい。であれば……)
「ねえお父様。私思うのですが、『勇者の母』という肩書きは、とても素晴らしいと思いませんか?」
まるでハラガの内心を読んだかのようにココロが言う。扇子の下の隠された口元は怪しく三日月型にニヤけているが、それを他人が目にすることはない。
「おお、ココロ! 我が娘よ! ワシもそれは考えておったが……良いのか? 相手はワシとそう歳も変わらぬ下賎の民だぞ?」
「構いませんわ。それに私、思うのです。私が『勇者の母』となった後ならば、『勇者の父』はもうどうでもいいのではありませんか? そうなれば殿下との釣り合いも取れるかと思うのですが……」
「おお……おお! 何と! 何と素晴らしい! 流石はワシの娘だ!」
結婚して『勇者の母』の肩書きさえ手に入れば、男など処分してしまえばいい。そうすれば次期王妃の座もむしろ今より狙いやすくなる……ココロの言いたいことを完璧に理解し、ハラガが絶賛の声をあげる。
「そうと決まれば、そこの貴方。貴方に与える命令を変更します。『勇者の父』と目される男を私の部屋に連れてきなさい。人目に付かないようにこっそりと、ね」
「こっそり、ですか? それは私だけでは……」
「問題ありません。巡回の兵はこちらで対処します。ああ、それとその男が本当に『勇者の父』であるかの裏付けをとる必要もありますわね。そちらはお父様にお任せしても?」
「勿論だとも! 数日中には答えが出るであろうから、お前は好きなように動きなさい」
「ありがとうございますお父様。ウフフ、楽しみですわ……」
「グフフ、楽しみじゃのぉ……」
(まさかこんなことになるとは。ニック様……)
一人憂いを顔に浮かべるメイドの存在など完全に無視し、二人の邪悪な笑い声がハラガの執務室に響き渡った。





