父、噂になる
マブダッチの町に到着してから、二日目。その日からニックは本格的な仕込みを始めた。
といっても、やることはごく普通の冒険者の生活と変わらない。早朝から冒険者ギルドに顔を出して日帰りでこなせる依頼を受け、夜には稼いだ金を手に酒場へと繰り出す。それはよくある……どころか大半の冒険者の日常そのものだが、一つだけ普通と違うことがある。それは酒場にいる吟遊詩人に必ず『嘘つき伯爵と金色の霊』という詩を要求したことだ。
最初のうちは特に気にされることも無かったその行為も、一〇日も続けば話は別だ。その日ニックが酒場に入ると、すっかり顔なじみとなった吟遊詩人の男が笑顔で声をかけてくる。
「これは旦那様! 今日もいつもの曲ですか?」
毎回曲を頼まれ、しかも平均より多めの金を払ってくれるとなれば、吟遊詩人の方からすればニックは得がたい上客だ。親しげに声をかけてくる相手に、勿論ニックも笑顔で応対する。
「ああ、今日も頼めるかな?」
「勿論です! では旦那様がお食事を終えた頃に唄わせていただきます」
「うむ。楽しみにしておこう」
そんな会話を終えてから、ニックはいつも通りに適当な席について料理を注文する。給仕の娘に「今日は串焼きがおすすめだよ!」と言われたので頼んでみたが、大人の拳ほどの肉塊が三つ刺さった肉串がデンと一〇本大皿に乗っている様はなかなかに圧巻だ。
「おお、これは美味そうだな。では早速――」
「なあアンタ、ちょっといいかい?」
と、そこでニックに声をかけてくる者がいた。振り向けばそこには三〇代くらいと思われる男が酒の入ったジョッキを手にして立っている。
「ん? 何だ?」
「オウ、俺は……っと、その前に。ここに座っても構わないか?」
「無論だ。別に誰かと待ち合わせしているわけではないからな」
今日はたまたまカウンターの方が満席だったため、今ニックが座っているのは四人掛けの円卓だ。そこに自分一人で座っているのだから、相席を求められて断る理由などない。
「ありがとよ。で、アンタ。アンタ最近噂のニックさんだよな?」
「どう噂なのかは知らんが、確かに儂はニックだ。そう言うお主は何者だ?」
「俺はタチギキ。このマブダッチの町で活動してる冒険者さ」
「ほぅ、同業者か。で? 儂に一体何の用なのだ?」
「いや、用って程でもないんだけどよぉ……」
手にしていたジョッキをグイッと呷り、酒で喉を湿らせてからタチギキがニックに問う。
「ほら、アンタ毎日吟遊詩人に同じ詩を唄わせてるだろ? あれ何でなんだろうなって、ちょっと仲間内で話をしてたのよ。だからもし聞いてもいい理由なんだったら教えてくれねぇかなって思ってさ」
(ふふふ、来たな)
「何だ、そんなことか」
内心ほくそ笑みつつも、一切それを表に出すことなくニックが笑顔で答える。
「期待させて悪いのだが、それほど深い意味はないのだ。一種の験担ぎという奴だな」
「験担ぎ?」
「そうだ。この場にいるならお主も聞いたことがあるだろうが、『嘘つき伯爵と金色の霊』という詩は金色の霊がタップリと金を持っていそうな貴族を落とす話であろう? 大金が落ちるということで、これを聞いてから仕事をすると不思議と上手くいく気がするのだ」
「何だよ、そんなことか! チッ、俺はてっきり『死んだ仲間が好きだった』みたいな話だと思ったんだがよぉ。賭けに負けちまったぜ」
ニックの答えに、タチギキが悔しげに顔を歪ませる。もしもその通りだった場合は勝った金で弔いの酒を奢るつもりだったし、不幸が存在しないならそれに越したことはないのだが、それはそれとして予想を外したのは悔しいのだ。
「はっはっは、それは悪い事をしたな。なら詫びに儂が一杯奢ろう おーい、エールを追加で二杯だ!」
「ん? いいのか?」
「いいとも。単なる験担ぎと言ったが、その効果はなかなかのものだからな」
そう言ってニヤリと笑うと、ニックは腰の鞄から硬貨を一枚取り出してテーブルの上に置く。その眩い輝きは銅でもなければ銀でもない。
「うおっ、金貨じゃねぇか!」
「そういうことだ。あの詩を聞くようになってからなかなかに成功続きでな。無論儂自身の腕や巡り合わせなどもあるだろうが、それでも運という目に見えぬものを引き寄せることができていることは間違いない。その辺は儂の装備を見てもわかるだろう?」
「ああ、確かに凄ぇ装備だとは思うけど……でもそれはアンタが高位の冒険者だからだろ?」
「馬鹿を言え。儂は鉄級だぞ?」
「はぁ!? 鉄級!?」
その言葉に、タチギキは思わず大きな声をあげてしまう。酒場の喧噪にあってなお埋もれなかったその声に一瞬周囲から視線が集まるが、もめ事ではないとわかるとすぐにその視線も霧散していった。
「嘘だろ、俺と同じ!? それでどうやったらそんな装備が買えるんだよ!?」
「それこそ運がよかったということだな。真似すれば同じ事ができるというわけではないから多くは語らぬが、まあとにかくこの詩を聞くようになって運が向いてきたということだ」
「へぇ……それだけ聞くとまるでアイツ等からの回し者みたいだな」
そう言ってタチギキが視線を向けるのは、当然ながら吟遊詩人の方だ。幸いにして向こうは食事中だったため視線が合ったりはしなかったが、それでも微妙に胡散臭い目つきをしているタチギキにニックは豪快に笑って答える。
「ガッハッハ! 詩を聞いたからといって全員が成功するなら、それこそ世界中に大金持ちが溢れているであろうからな!
結局の所は儂の気持ちの問題なのだ。朝起きて依頼を受け、日中は頑張って仕事をこなす。帰ってくれば成果を金に換え酒場に繰り出し、美味い酒を飲みながら自分にとって縁起のいい曲を聞いてぐっすり眠る。そうすると次の日もまた気持ちよく仕事ができる……そんな日々を繰り返しているというだけのことだ。
言ってしまえばたかだか銅貨数枚。酒を飲んで気持ちよくなるのと同じで、儂はあの詩を聞くと次の日も上手くいくのだと思える。それだけのことだ」
「なるほど、酒と同じってか! そりゃあ確かにやめられねぇよな!」
うっすら顔を赤くして楽しげに語るニックに、タチギキもまた納得しつつジョッキを傾け酒を飲んだ。喉を通った命の水はカッと腹を熱くさせ、心地よい酩酊感が賭けに負けた敗北感を根こそぎ洗い流してくれる。
「カーッ! やっぱり酒は美味ぇ!」
「それが儂にとってのあの詩なのだ」
「ならあれだ。アンタの好きな詩と、俺の大好きな酒に乾杯しようぜ! ちょうど追加も来たみたいだしな」
「いいとも! 詩と酒に……乾杯!」
給仕の娘が持ってきたばかりのジョッキを手に取ると、それをガチンと打ち付け合う。すると弾む心を現すように中身の酒がタプンと揺れ、こぼれる前にと一気に中身を飲み干していく。
「プハーッ!」
「ふぅ、美味い」
そう言って互いに笑い合えば、今会ったばかりの相手であろうと旧知の友と変わらない。すっかり機嫌をよくしたタチギキは、できたばかりの友のために振り返って声をあげる。
「おーい、吟遊詩人の兄ちゃん! こっちのニックさんに、いつもの詩をやってくれるかー?」
「はいはい。頃合いもよさそうですし、喜んで!」
その求めに応じ、吟遊詩人の男がサッと横に置いたリュートを手にしてつま弾き始めた。程なくして聞こえてきたのは、もはや馴染みとなった『嘘つき伯爵と金色の霊』の詩。
「……なあ。俺が頼んで聞いてるんだから、俺にも明日いいことがあったりするのかな?」
そんななか、ふとタチギキが小さな声でニックにそう話しかけてくる。トロンとした目に映っているのは、成功した自分の姿かも知れない。
「かもな。どうだ、悪くないであろう?」
「ああ、いいな。こんな気分のまま眠れるなら……確かに金を払う価値がある」
フワフワとした幸せな気分に満たされつつ、タチギキはそう呟いて吟遊詩人の詩に静かに耳を傾けるのだった。