父、注文する
そうして馬車の中で行われた激しい戦いは、子供ならではの「どっちも面白かった!」という答えで引き分けに終わる。勝負こそつかなかったものの最大限の賛辞をもらった二人がそれを不満に思うはずなどなく、ニックとカシューが固い握手を交わしてから、しばしの後。
「お客さん、つきましたよ」
ガタンという音を立て、馬車がその動きを止める。程なくして御者の男が扉を開けながらそう声をかけてきたためニックが腰をあげると、隣に座っていたカシューもほぼ同時に立ち上がった。
「ぬ? お主もここで降りるのか?」
「おっと、ニックさんもですか。ええ、イーワは最近情勢が安定してきていて、商売をするにはいい場所ですからね。お先、失礼します」
「えー、二人ともここで降りちゃうのー?」
馬車を降りようとするニックとカシューに、子供がそんな声をあげる。
「ははは、元気でな」
「ご縁があれば、いつかまたお会いしましょう」
そんな子供に微笑みかけてニック達が降りると、すぐに馬車は次の町へ向かって出発していった。
「ふぅ、やはり外の空気はいいですね」
「だな。ところでカシュー殿。幾つか聞きたいことがあるのだが、いいだろうか?」
「はい? 何でしょう?」
グッと体を伸ばしていたところに問いかけられ、カシューがニックの方に顔を向ける。
「馬車で最後に聞かせてもらった詩……『嘘つき伯爵と金色の霊』だったか? それはこの辺でも人気のある詩なのだろうか?」
「ああ、あれですか? 悪徳貴族が酷い目に遭うという話ですから、大体のところで一般受けはいいですね。ただ内容が内容だけに情勢の不安定な地域では下手に唄うと嫌がらせを受けたりすることもありますが」
「そうか。ではその詩はここでも唄う予定があるだろうか?」
「? ええ、そうですね。事実上の首都であるズットモほどではないにしろ、このマブダッチの町も十分に発展していて人が多く治安も安定しておりますから、求められれば唄うつもりでおりますが……それが何か?」
「いや、実にいい詩だったので、多くの者に聞いてもらいたいと思ってな。いずれまた酒場ででも会えば唄ってもらうことがあるかも知れん。その時は是非頼む」
「それは勿論。ご期待に添えるよう全力で唄わせていただきます」
そんな会話を交わしてから、ニックはカシューと別れて町の中へと繰り出していった。ちょうど夕食の時間帯ということもあり、大通りには行き交う人々が溢れている。
『おい貴様よ。さっきのやりとりはなんだったのだ?』
「なんだ、気になるのか?」
そこかしこから漂ういい匂いに誘われながら店を選ぶニックに、不意にオーゼンが話しかけてくる。
『当たり前だ。我が貴様と出会ってどれほどの時が経つと思っている? 誤魔化せていると思ったなら大間違いだぞ?』
オーゼンの魔力感知に映るニックの顔は、まるでとびきりの悪戯を思いついた子供のような表情になっている。もしニックが本当に子供だというのであれば単に微笑ましいだけですむが、それが拳一つで空を割る筋肉親父となれば話は別だ。
『さあ、一体どんなろくでもないことを思いついたのか、正直に告白するのだ! 今ならまだ情状酌量の余地があるぞ?』
「何故儂が犯罪者のように言われているのだ!? 儂は単に、ずっと考えていた貴族に対するいい対処法を思いついただけだ」
『ほぅ……? ならば今すぐそれを言うのだ。我が常識的に問題ないかどうかを判断してやろう』
「ふふふ、それは後のお楽しみだ。まずは先に仕込みをすませねばな」
『待て! 何かを始める前にまず我に相談するのだ! その上で我が適切な助言を――』
「ふむ、あの酒場辺りがよさそうだな」
『話を聞くのだ!』
腰から聞こえる猛然とした抗議の声を無視し、ニックは軽い足取りで目に付いた酒場に入っていく。すると内部には既に大勢の客が降り、若干早い時間帯にもかかわらず酒を飲んでいる者も多い。
「いらっしゃーい! 何名様ですかー?」
「儂一人だ!」
「ならカウンターにどうぞー!」
給仕の娘との軽いやりとりを経てカウンター席につくと、ニックは酒と料理を注文してまずは食欲を満たしていく。そうして三人前ほどをペロリと平らげ人心地ついてからゆっくりと店内を見渡せば、そこには予想通り目当ての人物が仕事の真っ最中であった。
「――氷の大地を切り裂けば、そこに芽吹くは金の花! 遂に目的の物を見つけた戦士は、フラフラと吸い寄せられるようにそこに近づいて――」
『あれは……吟遊詩人か?』
「だな。どうやらちゃんといてくれたようだな」
食事時の酒場となれば、吟遊詩人にとっては一番の稼ぎ処だ。これだけの規模の町、これほど賑わう店内を見ていないはずがないとは思っていたが、実際に詩を唄っている吟遊詩人の姿を確認したことでニックはホッと胸を撫で下ろす。
『一体何をするつもりなのだ?』
「まあ見ておれ……っと、一曲終わったようだな」
見事に詩を唄い終えた吟遊詩人の帽子に、周囲の客から小銭が投げ入れられる。そこにニックも近づいていくと、自らも帽子に銅貨を投げ入れつつそこにいた吟遊詩人に声をかけた。
「いやぁ、実に見事な詩であった! ここに座っても構わんかな?」
「ええ、勿論いいですよ」
「それはありがたい。おーい! こっちにエールを二つだ!」
ニックが声をあげれば、まもなくして給仕の娘が木製のジョッキを二つ手にしてやってくる。ニックがデンとテーブルに置かれたそれを二つとも手に取ると、そのうち一つを目の前の吟遊詩人に差し出した。
「さ、あれだけ唄えば喉も渇くであろう? これは儂の奢りだ。飲んでくれ」
「これはこれはありがとうございます。では遠慮無く」
ニックの差し出したジョッキを嬉しそうに受け取ると、吟遊詩人の男がゴクゴクと喉を鳴らしてエールを飲んでいく。そうして中身を半分ほど飲んだところで口を離すと、男は改めてニックに向かって話しかけてきた。
「はぁ、美味い。それで、私に何かご用でしょうか?」
「用というほどのものではない。実は儂には好きな詩があってな。よければ次はそれを唄ってくれぬかと頼みに来ただけのことだ」
「なんだ、そういうことなら喜んで。何と言う詩でしょう?」
「うむ。『嘘つき伯爵と金色の霊』という詩なのだが、知っておるか?」
「それなら大丈夫です。割と有名な詩ですからね。ではこのお酒を飲み終わったら、次の一曲は貴方のために唄わせていただきましょう」
「おぅ、頼むぞ!」
好きな詩を唄って欲しいというごく普通の、そしてありがたい依頼に吟遊詩人の男は気をよくして応え、約束通りニックの頼んだ詩が賑やかな酒場に響く。
悪事を働く貴族の男が夜な夜な金色の霊に襲われ、最後には恐怖に耐えきれず屋敷を飛びだして厠に落ちるというその詩は途中の不気味さとオチの滑稽さ、そして傲慢な貴族が痛い目を見るという内容から普遍の人気を誇る詩であり、その日も一曲終わったところで何人もの客から大きな拍手が巻き起こった。
「面白かったぞー!」
「へっ、偉そうな貴族がざまぁないね!」
「ありがとうございます。ありがとうございます」
酔っぱらい達が楽しげな顔で今回も吟遊詩人の脱いだ帽子に銅貨を投げ入れていく。無論曲を頼んだニックも銅貨を一〇枚と大盤振る舞いだ。
「実にいい唄いっぷりだった! 次に会ったときもまた同じ曲を頼んでもいいだろうか?」
「勿論ですよ! いつでもご用命ください」
「うむ。ではまたな」
通常の相場の倍以上を支払ってもらったことで満面の笑みを浮かべた吟遊詩人の男に見送られ、ニックは元の席へと戻る。その後はもう二曲分ほどその場で詩を聞いてから店を出ると、ちょっと高めの宿を取ってその日は就寝するのだった。