父、披露する
星すら消えた常闇の世界。そこに立つは夜を纏いし黒き竜。遮るものの何も無い昏き草原の中央にて、かの騎士は竜に向かって啖呵を切る。
「今日こそがお前の最後だ!」
「ガッハッハ! 脆弱な人間如きが我を前に何を抗うか!」
ゴウゴウと吹きすさぶ風にまかれ、一人と一頭が互いに向き合う。そうしてしばらく見合ったところで、先手を打つのは黒き竜。その大きな口をいっぱいに開くと、全てをかき消す深淵の吐息を騎士に向かって吹き付ける。
「ガァァァァ!」
「ぐぅぅぅぅ!」
その一撃を盾で受け止め、騎士がその場に膝をつく。唯一無二なる家宝の盾はただの一度でその輝きを失い、騎士は盾をその場に投げ捨てキッと竜を睨み付ける。
「ガハハハハ! 一度目は鎧を、二度目は盾を奪ってやった! もはや貴様を守るもの無し! ならばこの三度目こそが貴様の命を奪うであろう!」
「できるものならやってみろ!」
叫びと共に騎士が地を蹴り、竜に向かって走り出す。すぐさまそれを迎え撃とうとした竜だが、闇に紛れた騎士の姿を竜は見失ってしまう。
「ぬぅぅ、何処だ!?」
「鎧も盾も貴様に汚され、もはや我が身に輝くもの無し! ならばこの闇の中でお前は私を見つけられるか!」
「ちぃぃ! だが輝きを持たぬ貴様がどうして我を傷つけられるか!」
「それは勿論、この一撃だ!」
黒い鞘から引き抜かれた剣が竜の体を走り抜け、眩き銀閃と共に鱗を切り裂き鮮血を噴き出させる。
「馬鹿な!? 明けぬ夜空の闇を宿す我を、どうして人如きが切り裂けるというのだ!?」
「愚かなり竜よ! わからぬならば自ら天を仰ぐがよい!」
言われて竜が顔をあげれば、世界を埋め尽くす夜の帳を切り裂くように、そこには煌々と三日月が輝いている。
「月の光を宿せし我が剣に、夜の闇を断てぬ道理無し! これで終わりだ!」
「グァァァァァァァァ」
その傷口から闇を噴き出し、黒き竜が大地に倒れる。すると永遠に続くと思われた夜の世界に太陽が昇り、日の光に晒された竜の体は煙のように消え去るのだった――
「――『暗黒竜と銀月の騎士』、これにて終了でございます」
パチパチパチパチ!
イーワへ向かう道すがら、乗合馬車のなかで吟遊詩人の語った詩に、乗り合わせていた七人の拍手が一斉に巻き起こる。なかでも父母と共に乗っていた子供の興奮は凄まじく、キラキラした目を吟遊詩人へと向けている。
「凄く面白かったです! これ、お小遣いだからちょっとだけだけど……」
「これはお坊ちゃん。私の詩を楽しんでいただき、誠にありがとうございました」
そう言って子供が吟遊詩人の手にした帽子に入れたのは、一枚の銅貨。その報酬に満足げな笑みを浮かべると、吟遊詩人の男は貴族のような優雅な一礼で応えてみせる。
「また聞かせてくれる?」
「勿論です。まだ次の町まで時間はありますから、少し休憩したらもう一曲お聞かせ致しましょう」
「やったー! お母さん、またお話してくれるって!」
「ふふ、よかったわね。なら特別にその時には追加のお小遣いをあげましょうか」
「ホント!? うわーい!」
無邪気にはしゃぐ息子に、母が優しげな顔で目を細める。そんな二人を幸せそうに見つめてから、隣に座っていた父が追加で三枚の銅貨を吟遊詩人の帽子に入れていた。
「うむうむ、実に見事な詩であった。楽しませてもらったぞ」
そして吟遊詩人の隣に座っていたニックも、当然ながらその帽子に硬貨を投げ入れる。個人的には金貨を入れてもいいくらいだったが、流石にそれをすると別の騒ぎが起きてしまうため、ここで手にしたのは銀貨だ。
「おっと、まさか銀貨をいただけるとは! 格別の評価をいただきありがとうございます、冒険者様」
「それでも安いくらいだ。情景が目に浮かぶような実に見事な語り口だったしな。儂が知らぬだけで、ひょっとして高名な吟遊詩人であったりするのか?」
「ははは、まさか。私などまだまだ駆け出しですよ。最近はこの辺りの町を巡っております、カシューと申します。以後どうぞお見知りおきを」
「カシュー殿か。儂は鉄級冒険者のニックだ、宜しくな」
「鉄級……?」
ニックの自己紹介に、カシューが軽く首を傾げる。
「ん? 何か気になることでもあったか?」
「いえ、仕事柄冒険者の方と接する機会は多いですが、見事な装備や立ち振る舞いなどからニックさんはもっとずっと高位の冒険者ではないかと思っておりまして……ひょっとして何か事情がおありなのですか?」
「事情と言うほどのものはないな。単に冒険者に登録したのが二年前であるから、ここより上に昇級するために必要な条件を満たしていないというだけだ」
「ああ、そういうことですか。そのような装備を調えられる方がどうして最近になって冒険者を始められたのかはとても興味がありますが、それは聞かずにおきましょう。好奇心はよい詩を作るために必要なものですが、過ぎた思いは相手を不快にしてしまいますからね」
「ふふ、流石に冒険者慣れしておるな。そうやって引き際を見極めることは大事だぞ? 冒険者には荒っぽい者などいくらでもいるし、戦士ならば過去を背負っているものだからな」
「理解しております。とはいえそういうものこそが素晴らしい詩の糧となりますので、難しいところですけどね」
「違いない!」
悪戯っぽく笑うカシューの言葉に、ニックもまた笑顔で答える。おそらくは二五、六だと思われる若さでこういう対応ができるならば、将来は有望だろう。
「ふむ、そういうことなら儂の経験してきた冒険の話をいくつか語ってみるのもよいか。とはいえお主のような本職の者に拙い話を聞かせるのはやや心苦しいが」
「いえいえ、実際に経験された方のお話に勝るものなどありませんとも! 宜しければお聞かせください」
「はは、そうか? ならば……どんな話がいいだろうか?」
期待を込めた眼差しを向けるカシューに対し、ニックは今までしてきた様々な冒険の内容を思い出す。勇者パーティにいた頃の派手な戦闘の話もいいが、一人になってからの旅でも思い出深いことは幾つもあった。
「そうだな。魔物と戦うような話はありふれているであろうから……海賊になった話や謎と罠に満ちた古代遺跡を探索した話などがいいか?」
「なにそれ! 聞きたい!」
そんなニックの呟きに一番激しく反応したのは、さっきまでカシューの話を一番熱心に聞いていた子供だ。
「こら、駄目でしょ! 申し訳ありません、ウチの子が」
「ははは、気にせんでくれ。だがそう言ってくれるなら、儂も話し甲斐があるというものだ。カシュー殿もそれで構わんか?」
「勿論です。どちらも楽しそうで、私もワクワクしてしまいますよ」
「あまり期待されすぎるのも困るが……まあよかろう。では……」
気づけばカシューと子供のみならず、馬車に乗り合わせた他の者達もニックの方に期待の視線を向けている。それを少しだけくすぐったく感じながらニックが語るのは、かつてあった本当の出来事。
「その時だ! 海を埋め尽くすほどの魔物と魚の群れを討伐した儂等の前に現れたのは、島と見まごうばかりの三つ首の海竜! 強敵を前に儂は先程まで刃を交えていた金級冒険者の剣士と手を組み――」
「坂の上から現れたのは、儂の体よりも巨大な丸い岩! それを儂は素手で殴り壊して進んだのだが、その先には部屋の天井が落ちてくる罠があった! それを止めるには三つの謎を解かねばならなかったのだが――」
ニックの語る冒険譚に、誰もが夢中で耳を傾ける。それはカシューのように巧みではなかったが、代わりに本人だからこその臨場感に溢れている。
「――こうして儂は宝を持って墳墓を脱出したのだ。ちなみにこれが海賊船長をやったときの服で、こっちは墳墓から持ち出した宝の一つだ」
そうして話を終えたところで、ニックはニヤリと笑って魔法の鞄から証拠の品を取り出してみせる。すると夢中で話を聞いていた子供がキラキラした目を大きく見開き、ニックに向かって身を乗り出して叫ぶ。
「うわぁ、本物!? 凄い! ってことは、本当に全部本当のことなの!?」
「ああ、本当に本当だ。儂が実際に体験した冒険だぞ」
「凄い凄い凄い!」
これ以上無い程に興奮した顔でひたすら「凄い」を連呼する子供に、ニックは少しだけ照れた表情で、だがこれ以上無い程に満足げに笑ってその頭をワシワシと撫でた。