娘、辞める
「……は、ははは。フレイ殿、流石にそれは冗談が過ぎますぞ?」
「そうよぉ。幾ら状況が悪いからって、そんな自棄になるのは貴方らしくないわよぉ?」
勇者を辞める――その衝撃の発言にロンとムーナの体が固まる。とは言えそれは一瞬のことであり、すぐにロンは苦笑を、ムーナは呆れた口調でフレイに話しかける。
だがそんな二人に対し、フレイはジッと二人の顔を見つめている。その真剣な表情は決してふざけているとかヤケクソになっているという感じではない。
「……本気なのぉ?」
「うん。ちょっと前から考えてたことだしね。そういうことならちょうどいい機会かなって」
「理由をお聞かせいただいても?」
「うーん。理由っていうか、もっと根本的なところなんだけど……そもそも今のこの世界に、勇者って必要だと思う?」
「…………は?」
質問に質問を返された形ではあったが、その考えたこともなかった問いにロンは思わずカパリと口を開いてしまう。
「ゆ、勇者の必要性ですか!? いや、それは……」
勇者とは世界が生み出した存在であり、人が勇者を認定しているわけではない。それは空に雲がわけば雨が降るように、魔王が生まれるから勇者が生まれる……いわば原因と結果という因果に結ばれた自然現象に近い存在なので、それを必要か否かで考えたことなどロンは一度としてなかった。
「勇者の必要性……言われてみれば考えたことなんてなかったけどぉ、でも勇者しか魔王を倒せないなら、そりゃ勇者は必要なんじゃないのぉ?」
それに対して、ムーナは即座に思考を巡らせ、その当たり前の結論を導き出す。魔王に対抗するために勇者が生まれたのであれば、魔王を打倒するまでは勇者は必要。その当然の答えに対し、しかしフレイは首を横に振ってみせる。
「アタシも前はそう思ってたのよ。境界の森を越えて攻めてくる魔王軍に対してだけなら人間は何とか対抗できていたけど、逆に言えばそれが限界だった。だから勇者は少数精鋭で境界の森を抜け、聖剣の力で魔王城の結界を破って魔王と戦い、勝つ必要があるんだって。
でも、あの魔導鎧とかいうのができて状況が変わったでしょ? 人間は勇者に頼らなくても自前の軍で境界の森を抜けられる……それはつまり、もう人間は一方的に攻められるだけの存在じゃないってことじゃない。
なら、勇者の役目って何? 勇者がみんなの先頭に立たなくてもその『みんな』が自力で魔族と戦えるようになったなら、先導役が勇者である必要もない。それこそ今回の指揮をとってるタバネル将軍みたいに、普通に軍の偉い人とかでいいでしょ?」
「いや、しかしやはり勇者は民の心の支えというか……」
「今の状況で、アタシが支えになってると思う?」
「っ…………」
フレイの言葉に、ロンは何も返せない。苦しげな顔で無言になるロンに、フレイは少しだけ自嘲気味の笑顔を浮かべて話しかける。
「ごめん、別に皮肉を言いたかったわけじゃないの。そうじゃなくて、今の状況でも世界は上手く動いてるでしょって話よ。
前に兵士の人が話しているのを聞いたんだけど、あの魔導鎧は『誰もが英雄になれることで、英雄だけが戦う時代を終わらせる』ために作られたって言ってたの。ならまさに今がそうじゃない?
アタシが集めるはずの希望は、あの鎧を着た兵士達に満遍なく行き渡ってる。そうして彼らが頑張って戦って魔族を倒してくれるなら……ほら、やっぱりもう勇者は必要無い」
「……魔王城の結界はどうするのぉ?」
「あー、確かにそこだけは聖剣の力が必要かもね。でも、それはその時だけ勇者がいればいいだけでしょ? 結界を破る時だけ勇者という『象徴』にみんなが力を集めればいいだけなら、勇者本人がどんな人だろうと関係ない。結界破りの魔法道具を使うみたいなものだもの」
絞り出すようなムーナの声に、フレイは逆にあっけらかんと答える。もっともそんな様子だからこそ、その姿がムーナの胸を強く打つ。
「本当に、本当にフレイはそれでいいのぉ?」
「別にいいわよ。魔族の虐殺を防ぐっていう勇者じゃないとできないことはもうやっちゃったから、後はもう勇者の特権が無くなって困ることなんて思いつかないし。
あと、これは勘違いしないように言っておくけど、別に勇者を辞めたからって魔族とか魔物と戦わないってわけじゃないのよ? 勇者を辞めて普通の冒険者になれば、たとえば今回の戦争だって何のしがらみもなく参加できるじゃない!」
「まあ、そうねぇ……」
戦争への参加が禁止されているのはあくまで勇者であって、単なる冒険者となれば兵士達と共に戦うことに何の問題もない。これが人間同士の戦争だと基本的には傭兵の領分になるので多少違うのだが、魔族相手の戦いであればむしろ腕利きの冒険者の方が歓迎されることだろう。
「要はあれよ。勇者の肩書きがないとできないことはもう無いのに、勇者の肩書きのせいでできないことばっかりが増えてるから、ならもう綺麗さっぱりそれを脱ぎ捨てて、今まで通り自分がやるべきだと思ったことをやるってだけのことよ。
アタシは何も変わらない。ただ世間がアタシを呼ぶ名前が変わるだけ。そうなんだけど……」
そこで一旦言葉を切ると、フレイが初めて不安そうな表情になる。そうして何事かと見つめるロンとムーナにチラチラと視線を向けたり逸らしたりを幾度か繰り返してから、おずおずと続く言葉を口にした。
「あの、さ……アタシ勇者じゃなくなっちゃうけど、できればその、二人にはこのまま一緒に旅をして欲しいなって……わぷっ!?」
その言葉が終わるのを待たず、フレイの頭がムーナの豊かな胸に抱きしめられる。
「ふがっ!? もがもがもがー!」
「お馬鹿ねぇ! この私がそんなどうでもいい肩書き一つで一緒に旅をする相手を決めたりするわけないでしょぉ!?」
「もがっ! あぷっ!? ふごごごご……」
「心配しなくたって、ちゃんと魔王を倒すまで一緒にいてあげるから大丈夫よぉ」
「ふご……ごふ……」
「あの、ムーナ殿? フレイ殿は苦しいのでは?」
「え? ああ、ごめんなさぁい」
「プハッ!? はぁ……はぁ……ここ最近で一番死に近づいた気がするわ……」
ロンの指摘によりムーナの腕が放され、肉の暴力から解放されたフレイが荒い息をつく。思わずギロリとムーナを睨んでしまうが、そんなフレイの視線をムーナはニコニコと笑顔で受け止める。
「駄肉が! この駄肉がっ!!!」
「ふふふ、いつでもまた抱きしめてあげるわよぉ?」
「チッ! チッチッチッ!!!」
「ハッハッハ、相変わらず仲が宜しいですな。ああ、勿論拙僧もお付き合い致しますぞ。皆に崇め奉られる偶像よりも、今は目の前にいるフレイ殿の生き様にこそ学ぶものがあると思っておりますからな」
「ロン……ありがとう。ああ、一応ムーナもね」
「何よ、素直じゃないわねぇ」
「フンッ!」
笑うムーナにむくれ顔でそっぽを向いたフレイが、そのまま二人に背を向け数歩距離を取る。それからすぐにクルリと二人に振り返ると、その場で大きく手を上げて二人に声をかけた。
「じゃ、アタシ勇者辞めてくる! もうちょっとしたらまた出撃の号令があるだろうから、その時にタバネルさんの横で宣言したら大体の国の人に話が通ると思うし」
「わかったわぁ。じゃ、私達はここで待ってるわねぇ」
「というか、今更なのですが勇者というのは辞めると言って辞められるものなのですか?」
「さあ? 知らないけど、まあ何とかなるんじゃない? だって――」
ふと、フレイが空を見上げる。冬の空は高く青く澄み渡り、天には太陽が煌々と輝いている。
「勇者じゃなくなった女の子を縛るモノなんて、この世界には何にも無いんだから!」
清々しい笑顔でそう宣言するフレイは、自由を体現するような弾む足取りで出発間際の大軍の方へと走っていった。