娘、嵌められる
「まったく、何をやってるのよこのお馬鹿娘はぁ!」
「痛い! 痛いから! ごめん、ごめんってば!」
ムーナの手にする節くれ立った杖の先端でポコポコと叩かれ、フレイがたまらず手で顔を庇いながら謝る。だがそれでもムーナの手は止まらず、ゴンゴンと割と鈍い音を立ててひたすらフレイが叩かれ続ける。
「ムーナ殿、流石にそろそろ……」
「ふぅ、仕方ないわねぇ」
「ありがとロン。うぅぅ、酷い目に遭った……」
未だに口をとがらせ不満顔のムーナをよそに、ちょっとだけ涙目になったフレイがロンへ感謝の言葉を口にする。そんなフレイの姿にムーナは一旦怒りを収めると、難しい顔をして考え込む仕草をとる。
「にしても、厄介なことになったわねぇ」
「ムーナ殿、ちょっと宜しいでしょうか?」
「なぁにぃ?」
「フレイ殿から聞いた話なのですが、拙僧にはそれほど悪い事だとは思えなかったのです。フレイ殿が参戦できないことには思うところがありましたが、それ以外の部分に関してはむしろいいことばかりだったように思えたのですが」
そう疑問を口にするロンに、隣ではフレイが真剣な表情でウンウンと頷いてみせる。その子犬のような仕草はどことなく愛らしいが、事態はそれほど緩くはない。
「そうねぇ。確かにロンの言う通り、そのタバネルとかいう将軍の話は決して悪い内容じゃなかったわぁ……ただし、それは前提条件が満たされていればの話よぉ」
「前提? というと?」
「そうねぇ……たとえば世界最強の剣士を目指す少年がいたとして、その子が何の修行もせずに突然『持つだけで世界最強になれる剣』を手に入れてしまって最強になったら、そんなの誰も……それこそ少年本人だって認められないって思わないかしらぁ?」
「何、突然? まあ確かにそんな感じはするけど」
「ですな。努力も無しにいきなり最強になったとしても、自分も他人もそれを認めたりはできないでしょう」
同意する二人の言葉に、ムーナもまた満足げに頷きつつ話を続ける。
「つまり、今回のはそういうことなのよぉ。魔族を人間と同じように扱うって、フレイが掲げた理想の終着点でしょぉ? 本来ならそこに至るまでに色々な葛藤や問題があって、それを一つ一つ克服していくことで世界中の人々が『ああ、魔族も人間と変わらないんだ』って感じて受け入れていく、その過程こそが大事なのよぉ!
なのに、今回のそれは結果だけを上から押しつけられた形だわぁ。突然そんなこと言われても誰も納得できないし、かといってこれが『最後に辿り着くべき理想的な答え』であることには変わらないから、明確に否定することもできない。そうするとぉ……」
「……ど、どうなるの?」
ゴクリと唾を飲むフレイに、ムーナは恐ろしげな表情で薄く笑う。
「私の予想では、行き場のない不満が爆発するわねぇ。魔族に対する感情を処理しきれないうちに『こんな素晴らしい結論に同意できないなんておかしい』と叩かれ続けたら、どうしようもない思いが溢れて過激な行動に出る人が沢山現れるんじゃないかしらぁ」
「っ!? そんな……こと……」
ムーナの出した一つの推論に、フレイは強い衝撃を受ける。それこそ全く予想しなかった事態であり、だが話を聞けば確かにそうなりそうだという思いが強い不安をわき上がらせてくる。
「アタシのせいだ……アタシが変化を急ぎすぎたせいで……」
俯いたフレイが、そう呟いて固く拳を握りしめる。そうして思い詰めた表情をするフレイの拳に、ムーナはそっと自分の白く柔らかな手を重ねた。
「違うわぁ。これはフレイのせいじゃないわよぉ」
「でもっ!?」
「というか、フレイにそこまで世界を動かせる力なんてないわよぉ? そんなことができるなら今みたいに悪く言われることなんてないはずでしょぉ?」
「…………そう言われると、まあ、うん」
ムーナの励まされているのか貶されているのか微妙な言葉に、フレイは複雑な気持ちを抱きつつも納得せざるを得ない。とはいえ何とも言えない憮然とした表情を浮かべるフレイをそのままに、ロンがムーナに問いかける。
「しかし、フレイ殿のせいではないとすると……?」
「ええ。前にニックが言っていた通り、裏で動いている奴がいるわねぇ」
「え、それ何の話? アタシそんなの聞いてないんだけど?」
「フレイには言ってないものぉ。どうも私達の知らないところで、フレイに活躍して欲しくない人達がいるみたいなのよぉ。今回のもおそらく、フレイが勇者として活動できなくするためにそういう理屈をでっちあげたってところでしょうねぇ」
「何それ!? っていうか、何でアタシに教えてくれないのよ!?」
「そうやってすぐ態度に出ちゃうからよぉ。気づいてないふりをしていた方がこちらとしても動きやすいし、何よりそれを聞いちゃったら、色んな国を回って王様達を説得なんてできなかったでしょぉ?」
「うっ!? そ、ソンナコトナイワヨ……」
「……ほらねぇ?」
あからさまに動揺を見せるフレイに、ムーナはそれみたことかと苦笑する。世界規模での情報操作など、よほど大きな組織……それこそ国に準ずるような規模でなければ不可能だ。
そんな敵がいることを知りながら、敵かも知れない国の王相手に本心を隠して説得するなどという器用なことはフレイにはできないし、何よりそんな半端な気持ちではフレイの本気は伝わらない。そう思ったからこそロンもムーナもフレイには何も話さないことを決め、そちらの調査は自分達だけで行っていたのだが……残念ながら未だ敵の尻尾も掴めてはいない。
「でも、じゃあこれからどうすればいいの? この戦争には参加できなくなっちゃったし、かといって他にすることって言っても……」
「それもそうだけど、それよりもっと深刻なのはフレイの評判を回復する手段がなくなっちゃったことだわぁ。『ぼうけんのしょ』にはそこまで細かくは記載されないから、世間的にはフレイは『偉そうなことを言うだけ言って、自分は戦わずに逃げた勇者』ってことにされてしまうわぁ」
「それはかなりマズいのでは?」
「ええ、マズいなんてもんじゃないわよぉ。最初の戦争に参加できなかったのは仕方ないとしても、あれだけの演説をした後で行う戦争に参加しないとなると、今まで様子を見てくれていた人達もフレイを批判する側に回りかねないわぁ。そうなるともう取り返しがつかないところまで勇者の評判が落ちてしまうでしょうねぇ」
「……早急に手立てを考える必要がありますな」
ムーナの説明に事の深刻さを理解したロンが、カチカチと牙を鳴らしながら考え込む。当然フレイやムーナも一緒になって考え相談していくが、これといった解決法は浮かんでこない。
「……駄目ねぇ。やっぱり地道に活動を続けるくらいしか思いつかないわぁ」
「まあ簡単に批判を覆すような方法があるなら、そもそも既にやっておりますからな」
「うーん…………よし、決めた」
と、そこでずっと悩み続けていたフレイが、そんな言葉を口にする。
「あら、フレイは何か考えがあるのぉ?」
「うん。今思いついたっていうか、ちょっと前からずっと考えてたことだけどね」
「ほほぅ! こういった事態を想定していたとは、流石フレイ殿は勇者ですな! して、どのような方法でこの状況を打開するのですかな?」
「あー、うん。簡単よ。それこそ今この場でほぼ全部の悩みが解決できるから」
「何よそれぇ!? どうやったらそんなことができるわけぇ?」
フレイのその言葉には、如何にムーナでもフレイに対して懐疑的な視線を向けざるを得ない。だがそんなムーナに対し、フレイは何処かさっぱりした表情でとんでもないことを口にした。
「あのね、アタシ勇者辞める!」