父、次の狙いを定める
皇帝との謁見を終え、ウラカラから貴重な情報を手に入れた後。やっと帝城での生活から解放されたニックは、久しぶりの自由を思いきり満喫していた。
「うーん! あぁ、やっぱり外はいいな。どうもああいう場所は窮屈でいかん」
『貴様にしてはよく我慢したではないか。我としてはいつ暴れ出すかヒヤヒヤしていたのだぞ?』
帝都オチブレンの大通りを歩きながら大きく伸びをするニックに、腰の鞄からオーゼンの冗談めかした声が聞こえてくる。昼をやや過ぎた時間帯の町中はなかなかの賑やかさだが、ニックがその声を聞き逃すことはない。
「人聞きの悪いことを言うなオーゼン! 儂が暴れたりするわけないではないか!」
『本当か? 本当にか? 今までの自分の行動を省みて、間違いなくそうだと断言できるのか?』
「…………ふぅ。暖房の効いた城内にばかりいたから、外の冷たい空気が実に心地いいな。身も心も引き締まる思いだ」
『まったく貴様という奴は……』
そっぽを向いて深呼吸を始めたニックに、オーゼンが呆れた口調で言う。それは常に人目がある帝城のなかではなかなかできなかったやりとりであり、そんなところからもニックは自分が日常に戻ってきたことを強く実感していた。
「そういえば、地下の遺跡はやはり無理だったな。少々残念ではあるが……」
『それこそ仕方あるまい。それは事前に話し合った通りであろう?』
「まあ、そうなのだがな」
オーゼンの言う「謎の施設」の場所がこの町の地下ではないかとわかった時点で、おそらくそこを調べるのは無理であろうというのは二人が話し合って出した答えだ。だからこそ無茶な願いに皇帝が驚いていたことも、それを宰相の男に断られたこともニック達は何とも思っていない。
『これほどの人々が住む町の地下を好き勝手に掘り返したりすれば、それこそ甚大な被害が出る可能性があるからな。それでも真実を知る前であれば何とか手段を考えただろうが……今となってはな』
既にアトラガルドの顛末を知った以上、オーゼンがここに来たのはいわば「おまけ」とでも言うべきものであり、駄目なら駄目で構わないという程度のものだ。そしてそれはニックも同じであり、今回はたまたま「何でも言ってくれ」と言われたので頼んでみただけで、許可が下りないことに不満など全く無かった。
「お主がいいなら儂としても特に思うところはない。それに代わりと言ってはなんだが、よい情報も聞かせてもらったしな」
『イーワか……一体どういう国なのだ?』
「イーワ連合国は、元々近隣にあったいくつかの国が戦争で崩壊し、行き場の無くなった貴族達が寄り集まって新たな国を作ったという経緯で生まれた新興国だな。王はおらず合議制をとっているようだが、元になった領地の大きさがそのまま発言権の大きさになっておるから、事実上は国名となっているイーワ家が王家のようなものらしい。
その成り立ちから連合国内での競争意識が激しくて近年では民の格差が広がっているのが問題だったようだが、一〇年ほど前に決まった新たな代表によってそれが少しずつ是正されており、最近はなかなかに過ごしやすい国だという話だったが……」
そんな事を説明しながら、ニックの視線がふと遠くを見つめる。その視線の先にあるのは、娘に手を出した愚か者の住まう土地だ。
『どのような国であろうとも、一枚岩ということはあるまい。馬鹿をやらかした者に同情する気はないが、くれぐれも関係の無い者を巻き込むなよ? まあ我が言うまでもないとは思うが』
「当然だ。ただ平和に暮らしているだけの者に儂が拳を振るうわけがないではないか」
『うむ。それは勿論理解しているが……我が言いたいのはそうではなく、興奮しすぎて壊しすぎるなということだ。暗殺組織の拠点を潰したときのこと、まさか忘れたとは言うまいな?』
「むっ!? いや、あれは……」
念を押すようなオーゼンの言葉に、ニックのなかで僅かな動揺が走る。娘を殺そうとしたような者達に対する配慮などこれっぽっちも考えていなかったため、ニックは割と雑に拠点ごと全てを粉砕したりしたのだが……
『先の話を聞く限りでは、今度の相手は貴族なのであろう? ならばその邸宅は当然町の中にあるであろうし、使用人などのなかには悪事とは無関係に仕事をしている者だっているであろう。
それをあの時のように雑に壊して回ったりすれば……貴様なら怪我人などは出さぬのであろうが、それでも驚いて腰を抜かす者くらいは幾らでも出てくるのではないか?』
「ぐぅぅ……りゅ、留意しよう……」
暗殺組織の拠点は最初の一人を『王の羅針』で見つけることから始め、後はそれぞれの施設に残されていた情報を元に芋づる式にいくつかの拠点を壊滅させたわけだが、それらの所在は森の奥のような人目に付かない場所の他、貧民街の一角や何ならごく普通の商会に偽装した建物などもあったため、周囲に一般人がいることもあった。
当然ながらニックは無関係な人を巻き込まないように細心の注意を払っていたし、何なら飛び散った瓦礫が建物を傷つけないようにまで配慮していたが、だからといって空から降ってきた筋肉親父の手で大きな館が一瞬にして崩壊する様を見せられた一般人が驚きのあまり尻餅をつくことまでは阻止できるわけではない。
結果としてそれなりの大騒ぎになったのだが、そこは自分では無く勇者に手を出した組織ということでジュバンの名を出してきっちりと片をつけていた。
『まったく貴様は……では、次の目的地はそのイーワという国でいいのだな?』
「うむ。既に目覚めて動き出しているフレイに今更何かできるとも思えんが、知った以上は野放しにする理由もないからな。一体どのような者が儂の娘に手を出したのか……これはなかなかに楽しみだ」
(哀れな……)
とても悪い顔で笑うニックに、オーゼンは内心そう呟く。立場の違いからやむを得ず敵に回すという状況ですら手に負えないのに、ニックが最も大事にする娘に手を出すなどという明確な敵対行動をとった相手がどうなるかなど、想像するだけで恐ろしい。
『程ほどに……くれぐれも程ほどにな。で、イーワにはどうやって行くのだ?』
「うむん? ここからなら太い街道で繋がっておるから、乗合馬車にでも乗るのが一般的だな。あるいは特に急ぐ用事がないのであれば、途中の町に立ち寄って依頼をこなしつつ徒歩移動も冒険者ならありだろう」
『ならば徒歩か。ずっと城に籠もって怪しげな輩に絡まれてばかりの日々であったし、気分転換も兼ねれば丁度よいではないか』
「そうだな。オーゼンがそう言うのであれば徒歩で行くとしよう。なに、ちょっと気持ちよく走れば明日の朝までには辿り着く――」
『馬車だ。馬車にすべきだな。文明の利器は最大限活用するべきだ』
上機嫌なニックの言葉を遮り、オーゼンが有無を言わせぬ口調でそう告げる。そこから感じられる固い決意は、ニックが思わず戸惑ってしまうほどだ。
「馬車がいいのか? いや、しかしせっかく城から出たのだから外を自由に走った方が……」
『馬車だ。馬車は素晴らしい。馬車こそ人類が生み出した最高の発明だ』
「そこまでか!? しかし金はかかるし狭い車内に長時間ジッとしていることになるし、何より走るよりずっと遅いのだぞ?」
『馬車だ。馬車は至高にして究極だ。何より速すぎないのがいい。旅というのはのんびりと節度を持った移動速度で行うべきものなのだ』
「……まあお主がそこまで言うなら、別に馬車でもいいが」
『おお! 貴様にしては実に懸命な判断だ! では馬車だ! 馬車にするぞ!』
「オーゼンお主、そんなに馬車が好きだったのか……わかったからそう急くな」
相棒の意外な一面(?)を発見し、ニックは小さな笑みをこぼしながら乗合馬車の停留所へとゆっくりと向かっていった。