父、見定められる
「ニック様。皇帝陛下との謁見の準備が整いましたので、準備をお願い致します」
「おお、遂にか!」
そうして居心地の悪い帝城生活を過ごすこと、更に二日。遂にそう声がかかり、ニックは思わず喜びの声をあげてしまった。その子供のようなはしゃぎぶりに、迎えに来たメイドの女性が小さく笑みをこぼす。
「ふふ、皇帝陛下もきっとお待ちかねですよ」
「お、おぅ。そうだな。では着替えを――」
「お手伝い致します」
「いやいや、そのくらいは自分で――」
「お手伝い致します」
「……いや、こんなでかい体に服を着せてもらうなど、却って手間がかかる――」
「お手伝い致します」
「…………まあ、うむ。では宜しく頼む」
妙に押しの強いメイドに押し切られ、ニックが正装に着替えさせられる。ちなみに今回はいつもの海賊服ではなく、このために帝国側が用意してくれた謁見用に装飾を抑えた貴族服だ。
「はい、これで宜しいですよ。念のため確認致しますが、きつかったりはしないですか?」
「うむ、大きさは問題ない。多少動きづらくはあるが、まあそれはやむを得んだろうしな」
当たり前の話だが、皇帝と謁見するために用意された服が自由に動き回るのに適しているはずもない。きちんとニックの体を採寸してオーダーメイドで作られたのだからサイズが合っていないということはないが、もしこの格好のまま戦ったりすればあっという間にビリビリに破けてしまうことだろう。
「…………これも一応確認致しますが、皇帝陛下の前で暴れたりしては駄目ですよ?」
「そんなことするわけなかろう! 儂を何だと思っておるのだ!」
「ですよね。ではご案内致します」
クスクスと笑うメイドに引き連れられ、ニックが部屋を後にする。周囲が周囲だけにある意味もっとも親しく気安い関係となったメイドに見送られて謁見の間へと足を踏み入れると、そこでは予想外にも何の前置きもなく皇帝から歓迎の言葉を投げかけられた。
「やあやあ、よく来てくれたねジュバン卿! さ、ほら、こっち! こっちに来てくれ!」
「ゴホン……陛下、陛下が声をおかけになるのは、ジュバン卿がこちらに来て跪いてからだとお教えしたはずですが?」
「あっ、そうだっけ!? いや、ほらだって、ジュバン卿だよ? 勇者様のお父さんが来てくれたとか、ちょっとはしゃいじゃって…………あー、うん、ごめん」
「そのように簡単に謝られてはならないというのも、何度も……んんっ!」
何とも気の抜けるやりとりにニックが呆気にとられていると、皇帝の横に立つ男が大きく咳払いをしてニックの方に視線を向ける。それを受けてニックは無言で前に進むと、適当な位置で立ち止まり膝をついて頭を下げた。
「陛下、ジュバン卿がおいでになられました」
「うん。あー、面を上げよ! 僕……じゃなくて、余がザッコス帝国皇帝、マルデ・ザッコスである!」
「私は今代勇者フレイ・ジュバンの父、ニック・ジュバンでございます。この度は拝謁賜りまして、誠にありがとうございます」
「うむ! くるしうない!」
そこで一旦言葉を切ると、マルデがチラチラと視線を側に立つ男……帝国宰相であるウラカラに向ける。その「これで間違ってないよね?」という無言の問いかけにウラカラが小さく頷いてみせると、マルデはあからさまにホッとした表情となってニックに声をかけてきた。
「ふぅ……で、ジュバン卿。今回は我が国の大事を解決するのに尽力してくれたとのことで、本当にありがとう! 心から感謝しているよ!」
「いえ、私は単に通りすがっただけ、そして冒険者としての依頼を受けただけですので、それほど大したことはしておりません。むしろ貴国の対応が素早く、そして適切であったからこそこれほど早く事態の収束が成ったのでしょう」
「そ、そう!? そんな、褒められたら照れちゃうな。まあ余としてはウラカラ……ああ、隣に立ってるこの人のことだけど、宰相のウラカラがいい具合に考えてくれたことに許可を出しただけっていうか、そんな感じではあるんだけどさ」
「ははは、優秀な人材を抱えていることも偉大な王の条件の一つ。それもまた陛下の人徳ではありませんか」
「うへっ!? それはちょっと褒めすぎじゃない!? へへへ……」
如何にも純朴な青年という感じで、マルデは照れ笑いをしてみせる。だがその目の奥に宿っているのは、ニックの人となりを見極めるための観察の光。
(これは……なかなかに厄介だな)
ここまでマルデは、皇帝という地位にあるまじき失態を幾つも重ねている。謁見の手順すら守れない自制心の弱さや、部下に重要な判断を任せて自分は最後に許可を出しただけという、傀儡であることを認めるような発言など、ごく普通の貴族や王族ならばこの時点でマルデに「無能」の烙印を押したことだろう。
だが、そんなマルデを前にニックは苛立つわけでも見下すわけでもなく、ごく普通に礼節をもって受け答えをしている。謙遜から入りこちらを褒める流れもなかなかに堂に入ったものであるし、何より言葉を選んでこそいても、こちらに取り入るためにお世辞を言っているという印象が全く感じられないのが大きい。
(権威を認めぬわけではなく、然りとて権威に必要以上には屈せず、そのうえで自身の権威を求めない……といったところか。正しくあの勇者の父親だな。いや、この男が育てたからこそ勇者がああ育ったと言うべきか)
あらゆる国家と微妙な距離をとる今代勇者の扱いは、諸国王の悩みの種の一つであった。どうにかして自勢力に取り込みたいと思っても、王が提供できる一般的なもの……地位、名声、財産などではどうやっても靡かなかったからだ。
だが、それも目の前の男が育てたと思えば納得できる。わざわざ五日も「あの二人」のいる城内に留めたことで得られた情報と今の会話の内容を組み合わせれば、マルデの予想は半ば以上確信へと変わっていた。
(ならば、もう一歩踏み込んでみるか)
「そんなことよりジュバン卿! 今回の事件を解決してくれた事に対して、余からも正式にお礼をしようと思うんだけど」
照れて動揺したところから立ち直ったように見せ、マルデが会話を仕切り直してそう問いかける。それに対するニックの答えは、今回も落ち着いたものだ。
「礼ですか? 冒険者として依頼を受け、その依頼料は受け取っておりますので、それ以上何かをしていただくわけにも……」
「それとこれとは話が別だよ! こちらの予想を大幅に超える大活躍をしてくれたっていうしね。普通の冒険者だったら単に追加報酬でもよかったんだろうけど、ジュバン卿であれば金銭よりも欲しい物があるんじゃないかと思ってさ。
さ、何でもいいよ? 余にできる範囲であれば、どんな願いでも頑張って叶えてみせるから!」
(さあ、どうでるジュバン卿?)
落ち目とはいえまだまだ大国であるザッコス帝国の皇帝が切る、ほとんど白紙の手形。その重さをこれっぽっちも理解していなそうな得意顔の裏で、これだけの餌をぶら下げられてニックがどう出るかを鋭く見つめるマルデに対し、ニックはしばし考える様子を見せ……
「ふーむ。そういうことであればちょうど一つ欲しいものがあるのですが」
「お、何だい? 何でも言ってみてよ!」
「では、この町の地下にある古代遺跡の調査許可をいただきたい」
「なっ……!?」
ニックの口から飛びだした余りにも予想外の願いに、マルデは生涯で初めて素の驚きを声に出してしまった。