父、勧誘される
「今日で三日目か……」
帝都オチブレンの中央にそびえ立つ巨大な城。そこにある客間のなかでも割と上位にあたる豪華な部屋のなかにて、ニックは巨大なベッドに寝転がり天井を見上げてそう呟いた。
『なんだ、もう飽きたのか? 王との謁見にこの程度待たされるのは普通であろう?』
「勿論それはわかっているが、だからといって時間を持て余さぬわけでもあるまい?」
鎧と剣は魔法の鞄に入れているものの、これだけはずっと身につけている腰の鞄から聞こえた相棒の声に、ニックは苦笑しながら答える。
「それに、待つことそのものは別にいいのだ。問題は――」
「失礼致しますニック様。お食事の準備が整いましたので、食堂までお越し下さい」
と、そこで部屋の扉がノックされ、メイドの声がニックの耳に届く。それに返事をしたニックが食堂へと赴き席につくと、そこに近づく一人の男の姿があった。
「ごきげんようジュバン卿! こんなところで奇遇ですな」
「ヤリテー殿」
やってきたのは三〇代中盤くらいと思われる、シュッとした出で立ちの細身の男。高価な魔法道具である眼鏡を身につけた理知的な……あるいは狡猾そうな印象のこの男は、現在ザッコス帝国で権力を握っている三人のうちの一人にして、大国ノットルデムから政治顧問として派遣されているヤリテー・リーマンだ。
「確かにこれだけ広い城で食事の度に顔を合わせるとなれば、なかなかの『奇遇』ですな」
「おっと、これは手厳しい。ですが敗戦で弱ったザッコス帝国においては、料理人の負担一つでも軽くしてやりたいというのが私の方針なのですよ。そこは是非ご理解頂きたい。
ああ、私にもジュバン卿と同じものを。ただし量は半分でいい」
「畏まりました」
ニックの皮肉をさらりとかわし、ヤリテーがニックの正面の席についてメイドに注文を出す。すると程なくして料理が運ばれてきて、二人は同じものを食べ始めた。
ちなみに、当然ながらこれは全てヤリテーの指示によるものである。通常ならば直接部屋に運ぶはずの食事をわざわざ食堂で食べるように手配したことも、自分の量を半分にして食べ終わる時間を同じくらいに調節するのも、全てヤリテーの計算の内だ。
「時にジュバン卿。先の件は考えていただけましたか?」
そんなヤリテーがニックが料理を食べ終わり食後のお茶を出された所を見計らって話を切り出してくる。席を立つには早すぎ、かといって食事中でもないこの機会に話しかけられれば答えないわけにはいかないとわかっているからだ。
「先の件というと、移住の話ですかな?」
「ええ、そうです。カタイナッカ村は確かに静かで落ち着いた場所なのでしょうが、些か以上に交通の便が悪すぎる。世界を巡る旅をしているというのでしたら、やはりもっと大きな町に拠点がある方が便利でしょう? 我がノットルデムの首都ティオービィなら主要な周辺諸国の町まで太い街道が――」
「いやいや、利便性に関しては理解しておりますが、以前にもお答えした通りそれでも引っ越す気はないのです。カタイナッカには妻も眠っておりますし、単純に拠点というのであれば世界中を旅しておりますからそちらも必要ではありませんからな」
「奥様のお墓に関してならば、ティオービィの大聖堂に移っていただくことも可能ですよ? それにカタイナッカに思い入れがあるということでしたら、そちらの家は維持するだけにして本拠地をティオービィに移すというのもアリです。その場合はカタイナッカの家を維持する資金に関してもこちらで負担させていただきますし。
人が多く文明が発達し、交通の便のよい都会というのは暮らしやすさが違います。お嬢様である勇者様が魔王を討伐された後の暮らしや、万が一体を壊したり病気になったりしたときのことも考えれば、今のうちからこちらに家を持っておくのは決して悪い話ではないと思いますが」
「それはそうかも知れませぬが……」
グイグイとくるヤリテーに、ニックは困り果てた顔で問答を繰り返す。自国にニックが……正確には勇者が所属しているという事実が欲しいヤリテーの思惑が透けるどころか全面に押し出されているやりとりではあるが、内容そのものは単に勧誘しているだけなので、それを強引な手段で排除したり、一切無視するなどの子供のような対応はできない。そんなことをして万が一「勇者の父は人の話すらまともに聞かぬ野蛮人だ」などと噂を流されてしまえば、娘に迷惑がかかってしまうからだ。
「だから新居など必要ないのですよ。再婚をするつもりもないし、金にも一切困っておりませんから、欲しいと思えばその時に買えば……」
「であればこそ、今のうちに家を購入しておくべきなのですよ! 金銭的に余裕がある間に家を買っておけば後々何かあっても安心ですし、いざという時に換金する財産にもなります。今ならお住まいにならない間の家の維持管理に関しても我々が――」
「あのっ、お、おはようございますっ!」
なおも勧誘の言葉が止まらないヤリテーにニックが辟易していると、その流れを切り裂くように三人目の声が食堂に響く。二人が顔を向けた先に立っていたのは、こんな所にいるのは場違いでは無いかと思われるほどに素朴な顔立ちをした二〇代中盤と思われる若い女性。
「チッ……っと、失礼。ネコカブリナ様でしたか」
「ああ、おはようネコカブリナ殿」
ヤリテーは舌打ちを交え、ニックは微妙に引きつった笑みを浮かべながらその女性に挨拶をする。だが女性……ネコカブリナはヤリテーに対してはチラリと視線を向けて小さく頷くだけに留め、すぐにニックの側へと駆け寄ってくる。
「あ、あのっ、ニック様! 昨晩はその……ありがとうございました」
「む? いや、別に大したことは――」
「ニック様の太くて固い……その、アレが気持ちよくて、思わずはしたない声を漏らしてしまいましたけど、今度はもう少し声を抑えられるように頑張りますから、またその……お願いできませんか?」
「う、うむ。まあ構わんが……」
「……ジュバン卿? ネコカブリナ殿と一体何を――」
「そんな事恥ずかしくて言えませんっ! 自分の肌に殿方がどんな風に触れたかを他の人に知られるなんて、そんなことになったら私恥ずかしくて死んでしまいます!
ですから、あれは二人だけの秘密……ですよね、ニック様?」
「お、おぅ? いや、儂は別に……」
「……ニック様がどうしても自慢したいと仰るなら涙を呑んで耐えますけれど」
「…………わ、わかった。誰にも言わずにおこう」
「ありがとうございます、ニック様!」
怒濤の勢いでそう告げると、ネコカブリナがそそくさとその場を去って行く。その姿を見送ると、ヤリテーがじっとりした視線をニックに向けてきた。
「……ジュバン卿。お嬢様に内緒の火遊びがお望みということでしたら、我が国に秘密の邸宅をご用意することもできますよ? ああいう娘が好みというのであれば、そちらの方も――」
「そういうのではない! 約束してしまったから多くは語らぬが、ヤリテー殿の想像しているようなことは一切無かったとだけは明言しておこう」
「そうですか? ではそういうことにしておきましょう」
したり顔で頷くヤリテーに、ニックはそれ以上何も言うことができない。実際にはネコカブリナに肩こりが酷いと相談されてマッサージをしただけなのだが、その反論は先程のやりとりで表に出すことを封じられてしまっている。
だが、言葉全てを封じられたわけではない。素知らぬ顔で紅茶を飲むヤリテーに、ニックは苦々しい表情を浮かべて言う。
「……こんなことを言うべきではないのかも知れぬが、ヤリテー殿とてネコカブリナ殿がどういう女性かはわかっているのであろう? ならば察してはもらえぬか?」
その体を使って客をもてなすことが目的であったハニトラと違い、相手を籠絡することを目的としているネコカブリナの本性に、ニックは当然気づいている。そしてそれは目の前の男も同じだろうと会話を降ってみたが、問われたヤリテーは平然と茶を傾けつつ語る。
「わかってはおりますが、わかっているからこそ割り切って刹那の快楽に身を委ねる者もいれば、わかっていてもその罠にはまり込んでしまう者もおりますので。そして一見して真面目な身持ちの堅い者ほど、そこにはまり込むと抜け出せなくなってしまうのですよ。
もし本当にそういう遊びがお望みでしたら、我々の方がずっと後腐れの無い相手をご用意できるとだけはお答えしておきます。では、私はこれで」
会話のために残していた最後のお茶をクイッと飲み干すと、ヤリテーが食堂を後にしていく。そうして一人ニックもまたカップの中の紅茶を飲み干せば、冷たくなったそれは香りなどとうに吹き飛んでおり、口の中に嫌な渋みを残すのみ。
「……苦いな」
コモーノ以来、久しぶりに感じる政治的なやりとりの窮屈さに、ニックは思わず苦笑しながら小さなため息をついた。