皇帝、興味を持つ
知る人ぞ知る……と言うには些か大きな騒動であったレーズベルト家の大捕物から、一週間後。ザッコス帝国皇帝の私室では二人の男が向き合っていた。
「では、報告を頼む」
大きな執務机につき、難しい顔でそう告げるのはザッコス帝国皇帝、マルデ・ザッコス。そしてその言葉を受けて書類の束を翻すのは、ザッコス帝国現宰相であるウラカラ・アヤツールである。
「は。まずはマジラヴ・ロリペドール元伯爵ですが、自分にのみ関係する情報に関しては比較的素直に答えております。ですが取引のあった貴族など、繋がりのある人物に関する情報は一切口を割らないようです」
「ふむ。拷問により口を割らせることは可能だと思うか?」
「既にあの状態ですから、難しいかと」
マルデの問いに、ウラカラは事務的にそう答える。ロリペドールの体は今も胴体と首だけという状態であり、この状態からの拷問となると死の危険が高すぎて本当に最後の手段としてしか使えない。
一応どうしてもとなれば莫大な金と長い時間をかけて手足を再生することはできるが、わざわざそんなことしてから拷問するなど本末転倒も甚だしい。
「唯一考えられるのは、あの男が囲っていた子供を目の前で傷つけると脅せば口を割る可能性もありますが……」
「駄目だ、それは絶対に許可できん」
ウラカラの言葉に、マルデは即座に有無を言わせぬ口調で断言した。怖いくらいに真剣な表情のままマルデは言葉を続けていく。
「報告によると、ロリペドールは幼児に偏愛していたのだろう? その手の輩は目の前で執着の対象を傷つけられると、心が折れるより先に怒りに狂う。そうなってしまえば処分するしかなくなってしまうし……何より子供に手を出してあの男との約束を違えるのは今はまだ絶対に避けねばならん」
ロリペドールの子供を収容する際に、その場に居合わせたとある人物より「子供達の為に使ってくれ」とかなりの額の金貨を寄付されている。マルデとしても強い興味を持っている相手だけに、その人となりを調べきる前に関係を損ねるようなことはしたくない。
「ロリペドールの事はわかった。ではレーズベルト女子爵の方はどうだ?」
「は。ユリアナ・レーズベルトの方は当初は激しい抵抗を見せていたものの、接する人員を全て女性にすることでとりあえず会話は成り立つようになりました。
その後はロリペドールの今の姿を見せたことで表面上は協力的になっておりますが、本心からそうしているかと問われると……」
「そうか……まったく、厄介な客人など引き入れたりしなければ、もうしばらくはこの帝国で安寧の日々を送れていただろうに」
ウラカラからの報告に、マルデは小さくため息をつきながらそうこぼす。実際レーズベルト家の政治的な手腕はかなりのものであり、それはかの家が存在することによって生じる悲劇を計算してなお保護する余地のあるものだった。
「あの女の才覚は惜しいが、全てを無かったことにするには問題が大きすぎる。こうなっては精々適当な娼婦でもあてがって、それと引き換えに事務仕事を……そうだ、あの女に接している女達の対処はどうしている?」
「レーズベルトと直接接触のある女性職員は完全に人員を固定し、そこから更に何人かを介さない限り外部と接触できないようにしてあります」
「ならばいい。あの女なら自分の身の回りの女など簡単に籠絡するだろうし、その女に籠絡された男が情報を漏らす可能性もある。定期的に入れ替えて薄く広く汚染が広まるよりもアレに関わった人員は全員汚染されているという前提で対処する方がまだマシだからな。全く面倒なことだ」
「……僭越ながら、陛下。あの二人は始末してしまった方がよいのでは?」
頭を抱えるマルデに、ウラカラが若干躊躇ってからそう進言する。父によって人心掌握術を叩き込まれたウラカラからすれば、自分が染めることができないどころか、条件さえあえば自分よりも濃く他人を染められるこの二人は極めて危険な存在に感じられていた。
だが、そんなウラカラに対してマルデはニヤリと笑ってみせる。
「甘いな。危険な相手ならば始末した方が後腐れが無いというのは一つの真理ではあるが、それはあくまで自分の手に負えない場合だけだ。お前は手に入ったばかりの駒を、使ってみることもなく早々に諦めて手放すのか?」
「それは……」
「ロリペドールにしろレーズベルトにしろ、どちらも費用対効果を考えれば使い道は幾らでもある。それを使いこなさずして何が為政者か!
お前がゲコックに言ったという言葉を、余もまたお前に贈ろう……覚悟を持て、ウラカラ」
自身の信頼する腹心に向かって、マルデはまっすぐにその目を見つめて言う。その背から吹き寄せてくる王の貫禄とでも言うべきものに、ウラカラは身じろぎ一つすることなくただジッとマルデを見返す。
「『民の顔を見る政治』などというのが通じるのは、精々二、三〇〇人の集団までであり、それを超える人民を統治するなら、むしろ全ての民を冷静に数字で割り切らなければならない。
当たり前だろう? 民の顔をみるということは、そこに個人的な感情による優劣が生じるということだ。殺したくない一人を救うために助けねばならない一〇〇人を犠牲にすることこそ統治者として恥ずべき行為。そんなことをしていてはあっという間に国が滅んでしまうからな。
大局を見据え、救うべきを冷静に救い、甘んじて犠牲を受け入れろ。見捨てられた者達の恨み言を平然と聞き流せ。今日明日の数字ではなく、一〇年、一〇〇年先に待つ最良の結果を読み解けるからこそ、為政者は人を数字で扱うことが許されるのだ」
「……勉強になりました」
マルデの語る帝王学に、ウラカラは大きく頭を下げて一礼する。その行為に込められているのは心からの敬意。
(頭でわかっていることと、心で覚悟することとはこれほど違うのか……やはり陛下に着いていく決断をしたのは間違いではなかった)
「それでは陛下のご意向通り、この二人に関してはしばらくは現状維持とさせていただきます。それで、その……最後の報告なのですが……」
ここまで基本饒舌だったウラカラが、ここに来て言葉を濁す。その原因に心当たりがあるだけに、マルデもまた思わず苦笑を浮かべてしまう。
「うむ。あの男……勇者の父、ニック・ジュバンか。まさか本当にそこまで強いとはな」
「はい。調査を任せた配下の騎士だけではなく、彼の者にやられたレーズベルトの配下の話なども聴取したのですが、全員の発言に齟齬が一切見られず……真実としか」
「ハッハッハ。まさにでたらめな強さということか。多少無理をしてでも調査しておいてよかったな」
今回の反乱未遂に関して、マルデは当然事前に情報を察知しており、もっとずっと早い段階で鎮圧することもできれば、かつてカゲカラにそうしようとしたようにロリペドールに一旦国をとらせ、その裏で暗躍するという計画もあった。
だがそれをしなかったのは、ちょうど近くにいるという勇者の父を名乗る男の力が本物かどうかをこの機会に見極めたいと思ったからだ。
「身長二メートルを超える巨体でありながら視認できぬ速さで動き、腰に立派な剣を佩いているというのに魔導鎧を素手で切り裂く……何なのだコイツは? 何もかもが滅茶苦茶で合理性が何処にもないぞ!?」
「それは何とも……私には」
思わず叫んでしまったマルデに対し、ウラカラは答えを持ち合わせない。理不尽の権化のような筋肉親父を語る理屈など、如何に天才であるウラカラとてこれっぽっちも思いつきはしない。
「ああ、別にお前に言った訳ではないから、気にするな。まあとにかく、こんなものがいるのであれば勇者に直接介入するのはやはり危険だな。圧倒的な個は守るには向かずとも攻めるには最適だ。この男が帝城に攻め込んできたら、どうやっても止められる気がせん」
「……………………」
皮肉げに語るマルデの言葉に、またもウラカラは何も言えない。自分の手の内にある帝城の警備が筋肉親父一人に劣るなど認められるはずもないが、かといって否定もできない。
「少々計画を変更する必要があるかも知れんな。だが集まってきた情報や、先の寄付などから推測されるニック・ジュバンの人となりからすると……むしろこちらに取り込むべきか?」
「陛下!? それは流石に危険では!?」
「慌てるな。流石の余とてこの男が手に余ることくらいは自覚している。だがそれは一方的に利用できないということであって、交渉ができないというわけではないのだぞ?」
「では……」
「ああ、会ってみよう。今回の事件を解決してくれたことで、余が直接呼び出す丁度いい理由もできたことだしな。早速手配せよ」
「畏まりました」
無謀とも思える主の命に、ウラカラは静かに一礼して応えるのだった。