父、ばれる
「勇者の父親? え、本物!?」
「リダッツ隊長、勇者と知り合いだったのか?」
「勇者本人ならともかく、父親とかどうでもよくないか?」
リダッツの発した言葉に、訓練に励んでいた兵士達の間で動揺が走る。その反応は概ねこの三つであり、少なくともニックの凄さを語る者はいない。
これは『ぼうけんのしょ』の仕様であり、個人の名前や続柄は特に必要とされない限り表記されないからだ。ニックの場合も旅立ちの日のところでは「勇者は父と共に旅立った」と表記されているが、その後は特に「父」とは書かれていない。
なので大抵の人にとってニックは「勇者の側で暴れている意味不明なくらい強い戦士」という認識であり、そもそも一般人であるはずの「勇者の父」がその後もずっと一緒に旅をしていると考えている者の方が余程少なかった。
「何と!? ニック殿、勇者様の父君であらせられたのか!?」
対して驚愕に目を見開いているのがガドーだ。それだけ口にしたところで、慌ててその場で膝を突きニックに対して頭を垂れる。
「これまでのジュバン卿に対する数々の無礼、心よりお詫び申しあげます。ですのでどうか部下達のことは……」
「いらんいらん! そういうのは無しだ! 勇者と一緒にいるときはともかく、今の儂はただのニックだ。その手の扱いが性に合わぬから隠していたのだし、どうしてもとは言わぬが可能であれば今のリダッツ殿の言葉は忘れてくれ」
心底嫌そうな顔をするニックに、ガドーもまた苦笑しながら立ち上がる。
「わかりました。ジュバン卿……いえ、ニック殿がそうおっしゃるのであれば」
「よーし、お前等も聞いたな? 余計なことを口にする奴には地獄の特訓が待ってるから覚悟しておけよ?」
それに追従するようにリダッツもそう言うと、それを聞いた周囲に兵士達は一様に苦い顔になった。リダッツのしごきは効果はあるが大変にきついと知れ渡っているからだろう。
「で、リダッツ殿。儂のことを知っていると言うことは、やはり何処かでお会いしたのか?」
「自分の事をお忘れか!? ほら、ゆう……ニック殿の娘を迎えに来た城の兵士がいたでしょう?」
「……おお! そうか、あの時の!」
リダッツに言われてしばし考え、ニックはポンと手を打ち鳴らす。
「なんだ、やはりお二人とも知り合いなのですか。一体どのような経緯で?」
「うむ。あれは今から一〇年ちょっと前のことだ……」
「どうしても従えぬと?」
「くどい!」
それは今から一一年前。ギリギリ二十代ということで若々しくはあるものの今とほぼ変わらぬ体型となったニックと、その太い足に隠れるようにしている六歳の娘の前には、金属鎧に身を包んだニックよりやや年下とおぼしき兵士……若き日のリダッツが渋顔をして立っていた。
「何度来ても同じだ。儂は娘を政争の具にさせるつもりはない」
「そんなことは……」
「無いとは言えないのだろう? 儂の話を聞いて一旦城に戻ったからには、違う景色が見えたはずだ」
若い見た目に似合わぬ一人称を使うニックの言葉に、リダッツは返答に詰まる。
幼い勇者を城で保護する。そのための使いとして勇者を迎えに行って欲しい。最初にその任務を与えられた時、将来有望と言われつつも未だ一兵卒であったリダッツの胸にはたとえようのない栄誉が溢れた。
いつか世界を、人類を救う戦いの旅に出る勇者。その最初の旅に自分が立ち会うのだという事実に胸を躍らせ、意気揚々と辺境の村までやってきたのが三ヶ月前のことだ。
だが、簡単だと思っていた任務は最初で躓いた。勇者の父であるニックが、勇者フレイを手放すことをかたくなに拒んだからだ。
「幼い勇者を国で安全に保護する。城で何不自由ない暮らしをさせ、何人もの高名な人物を家庭教師として招き知識を、技術を、経験を身につけさせる。実戦訓練も兵を帯同すれば危険はほとんど無く、有力な貴族達と顔つなぎをすることでいざ旅立ちの日を迎えた後も各地で様々な保護を受けられる。
なるほど確かに、話だけ聞けば至れり尽くせりだが……ハッ! 幼い勇者を取り込み、国の為に動かそうという意識が隠れてすらおらぬ」
吐き捨てるようなニックの言葉に、リダッツは黙して語らない。ニックの言葉を考えすぎだと笑い飛ばしたリダッツだったが、頑として譲らないニックにやむを得ず一旦城に帰還したところ、そこでかけられた言葉は正しくニックの言うとおりだったからだ。
「こんな田舎の村でろくに教育も受けていないはずの小娘なら、思想を染め上げるなどさぞ容易いことだろう。周囲にいる友人モドキは、いずれ救世の英雄となった娘を娶る貴族か王族か? 勇者という報奨を与えるなら、さぞかし高い値がつくのだろうな。
儂が着いていっても同じだ。適当な理由をつけて段々と会える機会を減らされるのが目に見えておる。いや、むしろ儂にも適当な女をあてがうか? 勇者の母、勇者の身内というのも価値があるだろうしな」
「……だが、それでも幼い勇者がここよりずっと安全であることには変わりない。今や勇者の存在は世界に知れ渡り、我が国だけでなくやがては遠方の国々からも使者がやってくるだろう。中には過激な思想を持つ輩だとているはずだ」
「そんなもの、全て殴り飛ばしてやればいい! そのためにこそ儂は強く……強くなったのだ。娘は儂が守る。ほかの誰かの手にそれを委ねるつもりは毛頭無い!」
「本当にそんなことが可能だと?」
「無論だ!」
リダッツの言葉に、ニックは一瞬たりとも迷わず断言する。その瞳には力と覚悟が満ちあふれ、生半な気持ちではこれを否定することなどできない。
「わかった。だがどんな覚悟も力が伴わなければ無意味。それだけの大言を吐くなら、相応の力を見せてもらおう」
故にリダッツは剣を抜き、構えた。
「俺を倒せない程度の力で、守れるものなんて何も無い。この勝負、受けるか?」
「よかろう。さ、フレイ。少し離れていなさい」
一変して優しげな表情になったニックの言葉に、ズボンの裾を掴んでいたフレイの手にキュッと力が入る。
「お父さん、戦うの? 私がお城に行けば、戦わなくていい?」
「ん? まあそうだが……何だ、フレイは城に行きたいのか?」
「うん。ちょっと行ってみたい気はする。ご馳走とか出るかもだし」
「おぉぅ、そうか」
フレイの言葉に、ニックはちょっとだけたじろいだ。もしも本当に娘がそれを望むならば、ニックとしても血の涙をのんで娘を送り出すことを選ぶだろう。
「でも、お父さんと一緒じゃなきゃ嫌! お父さんが戦うのはあんまり好きじゃないけど、でもお父さんと一緒にいられなくなるのはもっと嫌。だから……」
すがるような瞳で見上げてくるフレイに、ニックは最高の笑顔で頷き返すとグリグリと頭を撫でる。
「任せろ! 約束だ。儂はずっとお前と共にいる。儂の拳がお前の望まぬ全てを砕く。儂はお前の最強無敵のお父さんだ!」
「頑張って! お父さん!」
グッと力こぶを作ってみせるニックに、フレイもニッと笑顔を見せると素早くその場から離れていった。その場に残るのは剣を抜いて構えたままのリダッツと、全身に力を漲らせたニックのみ。
「待たせたな」
「もういいのか? あるいはこれが今生の別れ……とまでは言わないが、平和が訪れるまでの長い別れになるかも知れないが」
「無用な心配だな。儂が負けるはずがない」
相手の実力も知らずに勝利を宣言するニック。だが言葉を受けたリダッツは、それをうぬぼれとは思わなかった。圧を持って押し寄せてくる強者の気配に、剣を持つ手にギュッと力を入れ直す。
「……俺が勝ったら、俺の力の及ぶ限り勇者を……貴殿の娘を守ると約束しよう」
「儂が勝ったならば……何だ? 娘を立派に育てるのは別にお主に約束するようなことではないし、あー……あれだ。そういうことなら儂もお主の大切な者を守ると約束しよう」
「大きく出たな。俺が大切なのはこの国と、この国に住まう人々全てだぞ?」
「まあ、そのくらいならいけるであろう」
言って、二人揃って小さく笑い息を吐く。いい具合に体の力が抜けた次の瞬間、二人の表情が一気に引き締まる。
「いざ、尋常に――」
「勝負!」
奔る銀閃と唸る剛拳。わずか瞬きの間にその勝負は決着した。





