父、尊敬される
その後すぐに現れた使用人に案内され、ニック達が辿り着いたのは小さな応接室だった。部屋の中央には大きなテーブルがあり、向かい合うように三人掛けのソファが置かれている。
『ようこそジュバン卿! さあ座ってくれ!』
そうしてやってきたニックを見ると、ソファに座っていたロリペドールが立ち上がり、両手を広げてニックを歓迎した。だがその姿を目にしたニックは冷めた表情のまま声をかける。
「ふむ。人を招待しておいて、自分は未だ幻影とはな」
『ハッハッハ、許しておくれよジュバン卿。何せ君には何度も痛い目に合わされているからね。話をする前に殴られるのは御免だし、拳ではなく言葉を交わすのであればこれでも十分だろう?』
「ふむん? 儂とお主は初対面のはずだが?」
『おや、そうだったかい? これは失礼。でも嘘じゃないんだよ?』
軽く首を傾げつつ革張りの大きなソファに腰を下ろしたニックに、ロリペドールもまた腰をおろす。幻影でありながらまるでそこにいるかのように振る舞う様はニックからすると何とも妙な気分だったが、事前にオーゼンから「屋敷の至る所に魔法道具が仕込まれている」と聞かされていたため、深くは気にしない。
『ま、積もる話はお茶を飲んでからにしよう。生憎と僕は飲めないけれどね……君、頼むよ。これが終わったら退室していいから』
「畏まりました」
ロリペドールの言葉に従い、部屋に案内してくれた使用人がニックに紅茶を入れていく。琥珀の中に深い赤を讃えるそれは立ち上る湯気だけで人を魅了するほどに芳醇な香りを放ち、それを見つめるシラベルトは……当然ながら彼の分は用意されていなかったので……知らず口内に湧き出していた唾をゴクリと飲み込んだ。
『僕のお勧め、トワイライトアンバーのファーストフラッシュだ。是非堪能してくれたまえ』
「うむ、いただこう」
「ちょっ!? ニック殿、そんな無造作に――」
敵地、しかも敵の首魁を前に、椅子に腰を下ろすどころか出された飲み物を何の警戒もせずに口に含んだニックに、背後に立ったままでいるシラベルトが思わず警告を口にする。
だが当のニックはしっかりと紅茶を味わってから軽く苦笑いしつつそれに答えた。
「ほぅ、素晴らしい味だ……大丈夫。儂は一切油断などしておらんし、仮にこれに猛毒が仕込まれていようともそんなものは効かん。
それに何より、この手の輩は矜持をこそ大事にする。もてなしのために用意した最上級の紅茶に毒を盛るなど、そんな無粋なことはせんよ」
『流石はジュバン卿だ。その通りだとも! さ、そんな事も理解できない有象無象など無視して、話を続けようじゃないか! まずは……そうだ。何故僕がジュバン卿を知っているかということだったね。簡単だよ、ジュバン卿には何度か僕の知り合いが潰されているのさ』
「知り合い?」
『そうだよ。たとえばエルフの国で君が潰したボッタクール商会。あそこは頻繁に僕にいい子を紹介してくれていたんだけど、あえなく君に潰されてしまったんだ。同じ系列だとツカイッパ男爵なんかもそうかな?
他にも、少し前にペタンスキー男爵の所もやられたね。あの家の男達はなかなかに愛のわかる人物だったんだけど、今となっては……』
「ああ、あの者達か」
残念そうに首を振るロリペドールの言葉に、ニックはそれらの人物の事を思い出す。言われてみれば全員が子供を攫うようなことをしており、その全てがこの男に繋がっていたと言われれば確かに納得できた。
「ならば、儂と話をしたいというのは恨み言を言いたかったということか?」
『まさか! 彼らがジュバン卿に敗れたのは、偏に愛が足りなかったからさ! それに僕はジュバン卿を恨んだりなんてしていないよ! むしろ尊敬しているくらいさ。同じ愛の求道者としてね!』
「……子供を金で買いあさるような輩に『同じ』と言われるのは、些か不快だな」
興奮した様子で言うロリペドールの言葉に、ニックの手にほんの僅かに力が籠もる。だがそれを気にすることなく、ロリペドールは一転して穏やかな笑みを浮かべながら言葉を続けた。
『ふむ、どうやら誤解があるようだね。確かに僕はお金で子供を買っているけれど、それは子供を愛しているからだよ。
ジュバン卿にも娘さんがいるだろう? 一つ聞くけれど、その子がもし誰かに奪われそうになったなら、ジュバン卿はどうするんだい?』
「無論、叩き潰す」
一切の迷いも躊躇いもなく、ニックは力強くそう断じる。
「奪い返すなどと生やさしいことは言わぬ。そもそも奪われぬようにあらゆる手を尽くすし、もし万が一娘が意図せぬ何かに絡め取られたというのであれば、この拳が全てを打ち砕き助け出す。どんな手段を使っても、どれほどの犠牲を出してもだ」
それは善でも悪でもなく、ニックが貫くただ一つの誓い。感情に任せて無差別に破壊するようなことをするつもりはないが、逆に言えば純然たる敵意や悪意を持って娘を害そうとする「敵」であれば、それが王だろうが世界だろうが、たとえ神や運命であってもニックはそれを殴り壊すことだろう。
『…………素晴らしい』
そんなニックの言葉を受けて、ロリペドールはまるで恋する娘のように瞳を潤ませ感嘆の声を漏らす。胸の前で組み合わせた手は喜びに打ち震え、魂にくべられた火は燃えさかる熱を言葉に変えて放出する。
『そうだ! そうだよ! それが愛! それこそが愛! 愛する者の為にあらゆる努力と犠牲を厭わない! まさにジュバン卿こそ僕の理想とする愛の体現者だ! ああ、何て素晴らしいんだ! 今日この日ほど感動を覚えた日はない!』
「お、おぅ。そうか……」
まるで狂信者のようなその様子に、ニックは心も体も少しだけ引いてしまう。しかしそんなニックの態度など目に入らないとばかりに、ロリペドールの言葉は途絶えない。
『だというのに、この世の親たちは何と愛に乏しいことか! どいつもこいつも自分の手から子供が奪われているというのに、大した抵抗もせずにあっさりと諦める! ああ、何て可哀想な子供達! その程度しか親に愛してもらえないなんて、この世に産まれた意味がないじゃないか!
……だから僕が愛してあげるんだ。薄情な親に代わってね。それなのにそんな僕の愛の活動に、世間はなかなか理解を示してくれないんだ。悲しいことだよ』
「それでカッツヤックを追い出されたのか……っ」
シラベルトがついついそんな言葉をこぼしてしまうと、ロリペドールの瞳がギロリとそちらを向く。だがすぐに興味を失ってニックの方に視線を戻すと、小さく肩をすくめてみせた。
『やれやれ。己の分すら弁えられない羽虫の音が聞こえたようだから一応釈明させてもらうけど、カッツヤックを出てきたのは僕の意思だよ? 元々新しい女王……いや、王妃の即位で上向きになっていた国だけれど、魔導鎧のおかげで一気に豊かになったからね。僕が愛してあげなければならない子供達の数が減っていたから、これを期に新たな一歩を踏み出そうと思っていたんだ。
ちょうどそこにユリアナ君が声をかけてくれてね。丁度いい場所があるからと誘われ、ここに来たってことさ』
「なるほどな。ではやはりこの国で反乱を起こして、お主が新たな王……皇帝になろうということか?」
『反乱だなんて聞こえが悪いなぁ。僕はただ、僕の愛を世界に広めたいだけさ。そう思い立った時に、目の前に情けなく落ちぶれている国があった。ならこの国ごと僕の愛で包んであげるのが一番の救いだろう?
だからこれは革命だよ。僕のように皆に受け入れられない愛を持つ者達が、その愛を思う存分叫ぶことのできる夢の国。その建国の第一歩さ』
正しく子供のように純粋な笑顔を浮かべて、ロリペドールは静かに夢を語った。