父、捕まえる
『皇帝陛下の威光を騙りし、屋敷を荒らす賊め! その不届き者達を捕らえなさい! 無理なら殺しても構わないわ!』
「おーう、やっと出番か」
ユリアナの声に合わせて、ホールの左右にある幾つもの扉から続々と武装した戦闘員達が室内へと入ってくる。あえてなのかこれを見越してなのか調度品などが最小限しか無くだだっ広いだけのホールを満たす何百人もの敵は、ただそれだけで見る者の戦意をくじきそうだ。
「ヒャッハー! こいつは大軍だぜぇ!」
「うっわ、あいつらチューケン傭兵団か? 隣のはジョーイ戦士団だろうし、一体どれだけ金使ったんだよ……」
「冒険者も結構いるっぽいですね。これはまた……」
いつも通りの奇声をあげるモッヒとは裏腹に、他の警備兵達はその様子にすっかり及び腰になる。自分より強い上に数もずっと多い敵から殺気を向けられれば、その反応もやむなしだろう。
「うろたえるな。貸与しているその魔導鎧の力があれば、生き残るだけならどうとでもなる。決してバラバラにならず、ここで一塊になって戦うんだ」
そんな警備兵達の様子に、シラベルトは落ち着いた様子で剣を抜きながらそう声をかける。それと同時にシラベルトの装着した魔導鎧から青い光が薄く立ち上り始め、全身に力が漲ってくる。
「ということで、私達はここで敵を外に逃がさないように引きつけつつ戦います。ジュ……ニック殿はその間に中央を突破してレーズベルト女子爵を……ニック殿?」
シラベルトが振り向くと、その先にいるはずの筋肉親父の姿がない。
「え? に、ニック殿!? 一体何処に……っ!?」
慌てて周囲を見回すシラベルトだったが、あれほど目立つ巨体が何処にもない。
(いない!? まさか敵が多すぎると見て、逃げた!?)
「お、おいアレ! ニックさんじゃないか?」
と、そこで背後にいた警備兵の一人がそう言って正面を指さす。するとそこにはドレス姿の女性を小脇に抱えて敵軍の直中をぴょんぴょんと飛びながらこっちに戻ってくるニックの姿がある。
「えええ、何あれ……?」
その訳のわからない光景に、その場にいる全員が間抜けな顔でニックに注目する。中には何とか正気を取り戻してニックに剣を向けようとする傭兵もいたが、仲間によってその動きを止められていた。
「待たせたな! レーズベルト女子爵を捕まえてきたぞ!」
「え、ええ……ええ?」
「ふふふ、何とも楽な仕事であった。行きはともかく帰りはゆっくり移動せねばならぬから多少心配していたが、これもお主が腕利きを雇ってくれていたおかげだ」
そう言ってニヤリと笑いつつ、ニックが抱えていた女性をその場に降ろす。特に拘束などはしていないが、そんなものは必要無いだろうことはこの場の誰もが身を以て実感していた。
「もしお主が雇ったのが単なるごろつきであれば、雇い主のことなどお構いなしで攻撃されていただろうからな。そのくらいならどうとでもなるが、傭兵達は別に犯罪者というわけではないのだから、戦わずにすむならそれに越したことはあるまい」
「ヒャッハー! 流石はオッサン、器がでかいぜぇ!」
「……待って。待ってください。ちょっと理解が追いつかないんですけど……え? ジュバン卿、どうやって彼女を?」
「うむん? いや、普通に考えて警備の兵を呼んだなら主は奥に引っ込むであろう? ならばその前に捕まえてしまえばいいと思って、あそこまで跳んでから抱えて戻ってきただけだ。シラベルト殿とて見ていたであろう?」
「見て……見て? 確かに帰りは見えてましたけど……えええ?」
シラベルトの計画では、ユリアナはそもそも逃げるものとして想定していた。ニックには女子爵を確保する指示を出してはいたものの、あくまでも場を荒らすことが指示の趣旨であり、本気で捕らえられると思っていたわけではない。
なので自分達はここで敵の戦力の大半を足止めし、逃げるユリアナは屋敷の周囲に配置した他の部隊で捕縛する手筈になっていたのだ。
だが、今その捕らえるべき対象が目の前にいる。ユリアナの身柄を押さえてしまえば表向きの作戦は終了であり、誰の血も流れることなく終わるというのは考え得る最上の結末ではあるが、その事実をなかなか頭が受け入れてくれない。
「……ひょっとして今捕まえては駄目だったか?」
「いや、そんなことはないです。ハイ」
「そうか! ならばよかった」
微妙な表情をするシラベルトに恐る恐るそう聞いてみたニックだったが、問題ないと言われてパッと表情を輝かせる。そのまま未だに動いていない傭兵達の方に向き直ると、大声で呼びかけ始めた。
「ということで、お主等の雇い主はこちらの手に入った! お主達の雇用契約がどうなってるのかは知らぬが、単純に護衛だったのであれば依頼は失敗、これで戦闘は終了だ!
ああ、もし雇い主の奪還まで入っているというのであれば相手になるが……この状況で向かってくるなら、あまり手加減はしてやれんかも知れんぞ?」
ニックのその宣言に、ホール全体にざわめきが広がっていく。その後は少しずつ傭兵達が部屋を出て行き、程なくして広い玄関ホールにはニック達以外の人影が綺麗さっぱり消えてなくなっていた。
「おぉぅ、まさか全員いなくなるとは……お主、ひょっとして人望がないのか?」
「失礼な! レーズベルト家が直接雇用している護衛は、全員女性です! あのような汚らわしい者達と一緒に配置するわけないでしょう!」
「ああ、そういうことか……ん? お主何だかさっきと声が違わぬか?」
「っ!? ……………………」
ニックの指摘に思わず声を荒げた女性が、顔色を変えて口をつぐむ。だがその様子を不審に思ったシラベルトが女性の方へと近づき、嫌がる女性の顔を掴んで強引にそれを見つめる。
「はなっ……離せ! この野蛮で汚らしい男が!」
「これは……っ!? 大変ですジュ……ニック殿! この女、レーズベルト女子爵ではありません!」
「何だと!?」
焦るシラベルトの言葉に、ニックは思わず驚きの声をあげる。
「いや、しかしあの場でドレスを着ていたのはこの者だけだったぞ?」
「フンッ! 私はユリアナ様と汚らしい男共の視線を分断するために、あの場に立っていただけにすぎません。お前達如きがユリアナ様のお姿を直接見ることも、またユリアナ様の美しい瞳にお前達のような汚物を映すこともあり得ないのです!」
「ヒャッハー! こいつは身代わりだぜぇ!」
「ちょっ、いきなり大声を出さないでください! 何ですかその下品な頭髪は!? これだから男は……」
「ヒャッハー! こいつは俺の魂だぜぇ!」
「よるなっ! くるなっ! 邪魔っ! あと何か臭い!?」
挑発するように鼻先をかすめて振り回されるモッヒの頭髪に、偽ユリアナが露骨に嫌な顔をする。そしてそんな茶番を無視して、警備兵の男が新たに問いかける。
「待て、この女が偽物だとしたら、どうして傭兵達は引いていったんだ?」
「一山幾らの無個性な顔をした知性のかけらもない愚物に説明してあげますが、ユリアナ様があんな奴らにお顔を晒すわけないでしょう。彼らとの交渉は全てこの私、ミガワリンデが取り仕切っておりました」
「護衛として雇った者達にすら姿を見せていなかったのか……これはやられたな」
その場で暗く表情を沈ませ「え、俺ってそんな顔なの……?」としょぼくれている警備兵の男をそのままに、ニックは軽く渋い表情をする。そしてその隣では、シラベルトがこれ以上無い程の焦燥を浮かべている。
「くっ、まさかこんなに綺麗に騙されるとは! これじゃ作戦が…………あれ?」
自分でそこまで言ったところで、シラベルトが思いきり首を傾げる。
ユリアナを逃がすことは、最初から作戦の内……というよりもあの状況で捕らえることができるなどと想定しているはずがない。そして引きつけておくべき敵の戦力は既に帰還してしまってここには無い。
「な、何の問題もない……のか? いや、戦闘による被害が双方共に一切無かったと考えれば、むしろ成功してる……?」
見事にしてやられたというのに、結果は想定を超える大成功。シラベルトの中では己の狭い世界の壁がまた一つ音を立てて崩れ、何だかよくわからない新境地が見える気がする。
「まあ偽物というのならそれはそれで構うまい。儂等は予定通りの屋敷の奥に進み、本物のレーズベルト女子爵や、もう一人を捕まえるだけだ」
「そ、そうですね。よしっ!」
一瞬鋭くなったニックの視線に、シラベルトが気合いを入れ直す。女子爵捕縛作戦は、まだ始まったばかりだ。