百合貴族、歓談する
「ふぅぅぅぅぅぅぅぅ……………………」
むせかえるような性臭の漂う部屋の中、一〇人は一緒に寝られるのではないかという巨大なベッドの端に腰掛け、妖艶な美女が煙管を口に長い息を吐く。噴き出された煙が細くたなびき宙に消えると、女は煙管をサイドテーブルの上に置いてそっとベッドから立ち上がり、側にあった薄衣一枚で見事な肢体を覆い隠す。
「ユリアナさまぁ……もう行ってしまわれるのですかぁ?」
そんな女に、何処か焦点の定まらぬ瞳をした別の女がベッドの上から呼びかける。当然のようにそちらも全裸であり、媚びるような甘い声に応えるべく振り向いたユリアナが女の顎にそっと指を当てる。
「ふふふ。そんな声を出さなくても、またすぐに可愛がってあげるわ。それに……」
「それに……何ですかぁ?」
「……いえ、あまり急ぎすぎては楽しくないと思っただけよ。じっくり時間をかけて可愛がってあげるから、今は我慢なさい」
ユリアナのほっそりした指が女の顎から首をなぞり、鎖骨をくすぐり胸へと降りていく。
「はぁ……ユリアナさまぁ……」
「じゃ、後でね」
その優しく甘美な感触に女が更なる嬌声を漏らしたが、ユリアナは強い意志でそれを振り切り己の寝室兼遊び場を後にした。
(ふう、いけない。伯爵様のおかげで久しぶりに手に入った雌ですもの。すぐに使い潰してしまっては勿体ないわ。我慢しなくては)
疼く胎に手を当てて欲情を押さえ込み、ユリアナはそのまま廊下を歩いて行く。途中すれ違う使用人は一人の例外もなく全員が年若い女性であり、中には全裸よりも扇情的なユリアナの薄衣姿にモジモジと太ももをすりあわせる者すらいたが、そんないつもの光景をユリアナは気にしない。そのまま廊下を進んで食堂へと辿り着くと、こちらはいつもとは違って来客の姿が先にあった。
「おや、ユリアナ君。今日は随分と遅いようだね」
「おはようございます伯爵様。久しぶりなので楽しみすぎてしまったようで……お恥ずかしいですわ」
大きな食卓にたった一人で座る、上品な身なりの美丈夫。上層部の刷新によりめっきり調達の難しくなっていった雌をいとも容易く手に入れてくれた大事な客人に、ユリアナは館の主人らしく優雅に一礼をして挨拶を返した。
「ははは、僕はもう伯爵ではないよ?」
「いえ、私にとっては伯爵様はいつまでも伯爵様ですわ」
「ということは、僕が皇帝になっても君は僕を伯爵と呼ぶのかい?」
「いえ、それは……意地悪を言わないでくださいませ」
「ごめんごめん。今日も君が素敵だったから、ちょっとからかってみただけさ」
「ありがとうございます。ロリペドール様」
柔らかく笑うロリペドールを前に、ユリアナもまた微笑みながら食卓につく。するとすぐにユリアナの前にも食事が運ばれてきて、二人は揃って食事をしながら歓談を続けていく。
「ところで伯爵様……いえ、ロリペドール様の方こそ、本日はもう宜しいのですか?」
「伯爵で構わないよ。自分で言っておいてなんだけど、二〇年もそう呼ばれていれば僕としてもそちらの方が慣れているしね。
そして、愛に焦りは禁物だ。君だってそうだろう?」
「ええ、そうですわね。じっくりたっぷり時間をかけて愛してあげれば、あの娘達はとてもよい声で鳴いてくれますから」
「そうだろうそうだろう。人の数だけ愛の形があるけれど、愛する気持ちそのものは皆共通だ。ユリアナ君の激しく深い愛、僕はとても好きだよ」
「伯爵様ほどの方にそう言っていただけるなんて、光栄ですわ」
男性であるロリペドールからの求愛のような言葉に、ユリアナは静かに微笑んで答える。女性しか愛さないユリアナがロリペドールにそのような態度を取れるのは、偏にロリペドールが自分を見る目に情欲が一切存在していないからだ。
枯れ果てた老人であろうと奮い立たせるほどの魅力を持つユリアナにとって、男性は本能のみで生きる獣であり、その存在を受け入れることなど到底できない。それ故に女性を求め女性を愛するユリアナだったが、男性を……自分を受け入れないユリアナのことを、周囲の者は人の道を外れた変質者だと激しく糾弾した。
故に、自分を誘拐してくれた先代当主から初めてロリペドールを紹介されたときに彼女が受けた衝撃は途轍もないものだった。
自分を蹂躙する雌ではなく、人として見てくれる。自分の性癖を受け入れ肯定してくれるばかりか、その手助けすらしてくれる。そんなロリペドールにユリアナは心酔しており、彼が国を追われた際に誰よりも先に自領へと招き入れたのもそのためであった。
「失礼致します、ユリアナ様」
と、そんな楽しい食事の時間に、不意に使用人の一人が言葉を割り込ませてくる。歓談の時を邪魔されて不快感を感じるユリアナだったが、それを理解している使用人がそれでも声をかけてきたのだから、無視するわけにはいかない。
「なんですか?」
「お屋敷の正面玄関に、騎士を名乗る男が手勢を連れてやってきたとのことです」
「騎士? それは最近うるさいハエのことかしら?」
使用人の言葉に、ユリアナがかすかに表情を歪める。如何に目立たないように分散しているとはいえ、一万人もの兵士を自領に集めておいてそれに気づかれないわけがない。だからこそ上層部にはたっぷりと賄賂を送ってあるのだが、それでも全ての勢力を黙らせることなどできるはずもない。
「何人来てるの?」
「その男が連れているのは一〇人です。内訳は警備兵が九人と、あとは高位の冒険者と思われる男が一人」
「ふぅん。その人数だと『調べたけれど何もなかった』という言い訳のための部隊かしら? でもそんな話は事前に聞いてないわ。何処かの派閥が嫌がらせでもしかけてきたのか……これだから男は嫌ね。この屋敷に男がいるというだけで不快だわ。
あ、勿論伯爵様は例外ですわよ?」
「はは、わかっているから大丈夫さ。でも、ふむ……その部隊、ちょっと気になるね」
失言を慌てて訂正するユリアナに微笑むと、ロリペドールは思案するように視線をそらせて顎に手を当てる。
「どういうことでしょう?」
「よほどの馬鹿でない限り、革命の兆候は誰にでも見て取れる。そんな場所にたかだか一〇人の騎士だの兵士だのを送り込んでくるなんて、油の詰まった樽の側で火を熾すようなものだ。あるいはそれが目的かも知れないけど……これはひょっとするかな?」
「あの、伯爵様?」
「いや、こっちの話だよ。そういうことなら僕の方でも色々と準備をしておくことにしよう。ユリアナ君は相手が何かしてくるようならできるだけ時間を稼いで、最悪の場合は僕を気にせず退避するといい。万が一の場合は多少家が狭くなる代わりに、今よりももっと濃厚に愛を育める場所を提供させてもらうよ」
「わかりました。伯爵様がそう仰るのであれば」
口元を丁寧にナプキンで拭うと、ユリアナが席から立ち上がる。レーズベルトが受け継ぐのは血脈ではなく精神。だからこそ誰かに与えられた肩書きにそこまで強い拘りはなく、同時に貴族社会や国家に対する思い入れもない。ユリアナが求めるのは、ただ愛しい雌との愛の日々のみ。
「着替えをしてきますので、いつも通りの準備をして頂戴」
「畏まりました」
強い口調で使用人に命令すると、ユリアナが颯爽と食堂から去って行く。にわかにざわつき始めた屋敷内の空気を感じながら、ロリペドールもまた食後の紅茶をコクリと飲み干し、席を立つ。
「さて、一体誰が動いているのかな? 僕の愛を理解してくれる人だといいけど……ふふふふふ」
※はみ出しお父さん レーズベルト家
一般的な貴族が血族による世襲制なのに対し、レーズベルト家だけは同性愛者である当主が「これ」と見込んだ女性にしっかりとした教育を施した上で養子縁組し、次代の当主に任命する。なのでレーズベルトの歴代当主にはただの一人も血縁者はなく、同時に誰一人として既婚者も存在しない。
もっとも、世襲制ではないということはお家騒動が存在せず、常に優秀な者だけが当主の座に着くということであり、血統主義の色濃く残る貴族社会で異端として差別されつつも実務能力が高すぎて排除することもできないという独特な立ち位置を長年築き上げてきた。
感情論で有能な相手をどうにかしようと思う輩が実権を握れるほど、本物の貴族社会は甘くないのである。