父、愚痴を聞く
「もーっ! お父さんはいつもやり過ぎなの!」
「ヒャッハー! こいつは申し訳ないぜぇ……」
散々はしゃいだ結果娘に怒られて正座されられているモッヒの姿に、ニックは強い親近感を覚えて温かい視線を送る。それに気づいたモッヒがカレンの許しを得て立ち上がると、ニックの側にやってきて隣の席に腰を下ろした。
「ヒャッハッハ! みっともないところを見せちまったぜぇ」
「ハハハ、よいではないか。儂も昔は妻や娘にああやって怒られたりしたものだ。幸せな証拠だぞ」
「ヒャッハー! その通りだぜぇ! おーいビレイ! この話がわかるオッサンに酒の一つも出してやってくれ!」
「はいはい。まったく仕方ないお父さん達ね」
上機嫌で言うモッヒに、妻のビレイが苦笑しながら調理場の方へ入っていく。だがその姿を見てニックが慌ててモッヒに声を掛ける。
「おいおい、いいのか? 素晴らしい礼も受け取ったし、儂はそろそろお暇しようかと思っていたのだが」
「ヒャッハー! そう言うなって。もういい時間だし、夕食くらいは食っていけばいいぜぇ!」
「そうね。宿の方は私の名前を出してくれれば冒険者ギルドで確保している部屋が取れますから……あ、それともお連れの方がいるとか、もう宿を取ってらっしゃるとかでしょうか?」
「いや、そんなことはない。儂は一人旅をしておるし、今日の昼に町に来たばかりだから宿もまだ決めておらん」
「なら大丈夫ですね。せっかくですからご馳走させてください」
「カレンも手伝う! お父さんとおじちゃんに美味しいお礼をもっとするー!」
「ビレイとカレンもこう言ってるんだ、遠慮するなよオッサン! ヒャッハー!」
一家揃っての笑顔の勧誘に、流石のニックも苦笑して折れる。ここで頑なに断るのは逆に無粋というものだろう。
「わかった。とはいえもてなされるばかりでは儂の方も落ち着かん。せめて酒と食材くらいは提供させてくれ」
言ってニックは魔法の鞄から遠慮されない程度によい酒を取り出してテーブルに置き、次いで残っていた最後のブラッドオックスの肉を取り出しビレイに渡す。
「あら、これひょっとしてブラッドオックス? っていうか、それ魔法の鞄よね? うわぁ、私初めてみたわ」
「ヒャッハー! こいつはいい酒だぜぇ! いいのかオッサン?」
「構わんとも。よい物を提供した方が、美味い料理にありつけるだろうしな」
「ふふっ、そういうことなら期待に応えさせていただきますね。じゃあカレン、お母さんと一緒にご馳走を作りましょうか?」
「作るー!」
笑顔で手を取り合いながら、カレンとビレイが調理場に消えていった。そうして残されたニックとモッヒは、ちびちびと酒を飲みながら話をする。
「にしても、本当に助かったぜぇ。騎士崩れがいるのは知ってたんだが、まさか自分の家族が目をつけられるとはなぁ。世の中狭いぜ、ヒャッハー」
「騎士崩れ? というと、あの男が騎士と言っていたのは自称なのか?」
「正確には『半年前までは騎士だった』だな。戦争の前までは、帝国ではそれなりの地位か金があればどうにかなることが多かったんだぜ。でも戦争に負けてからその辺が変わったらしくってな。俺みたいな下っ端にゃ詳しいことはわからないけど、いい思いをしていた上の方の連中が大量に降格されたらしい。
そのなかでもわかりやすいのが、そいつみたいな騎士崩れだぜ。ちょっと前まで騎士だったから好き放題できてたけど、今は俺達と変わらない一般兵だ。それを認められなくて未だに昔のまま好き放題やろうとうする馬鹿がいて……半年で随分数が減ったはずなんだが、それでもまだこの辺にいるとはなぁ。ヒャッハー! 世知辛いぜぇ!」
「なるほど、過去の栄光を忘れられない……というよりは、急に変わった現在を受け入れられないというところか」
「そういうことだぜぇ」
苦々しい表情でそう呟くと、モッヒがカップの中の酒を呷る。
「一番始末に悪いのはよぉ、アイツ等は何かやらかすまで処罰できないってことだぜぇ。一般兵が……っていうか今の帝国でならたとえ騎士様だろうと、子供がぶつかったくらいで剣を抜くなんて普通に犯罪だぜぇ。なのにアイツ等は平気でそれをやろうとする。
でも、逆に言うと何かするまでは別に普通に暮らしてるわけだから、『罪を犯しそうだ』なんて理由じゃ逮捕なんてできるわけもないぜぇ!
ああ、危ないとわかってるのに誰かが傷つくまでどうにもできない! こいつはもどかしいにも程があるぜぇぇぇぇぇぇ!!!」
そそり立つ頭髪を勢いよく振り回しながら、モッヒが激しく頭を揺らして叫ぶ。なお、その声を聞きつけてビレイが一瞬だけ調理場の方から顔を出したが、すぐに気にすることなく調理場に引っ込んでしまった。感情が高ぶると激しく頭髪を振り回すのはモッヒのいつもの癖であったからだ。
「確かに、それは如何ともし難いな。一見すると普通の兵士となると変に避けて行動するのも不審であろうし」
「そうなんだぜぇ。まあ本当に危ない奴らは降格後すぐにやらかしてさっさと捕まってるから、しばらく前までは徐々に治安も安定してきてたんだが……」
「……何かあったのか?」
しかめっ面でカップを握りしめるモッヒに、ニックは真剣な表情で問う。
「三ヶ月くらい前に、この辺の領主であるレーズベルト女子爵のところに他国の貴族が客人としてやってきたらしいんだぜぇ。で、そいつが来てから領内で行方不明事件が多発してるんだぜぇ」
「行方不明?」
「まあ、建前だぜぇ。本当はレーズベルト女子爵が、その客人のために領民の子供を誘拐してるって話なんだぜぇ」
「待て、そんな話を軽々しくしてもいいのか? 確証も無しに貴族を貶めたりすれば、それこそ処罰されるのではないか?」
「問題ないんだぜぇ。そもそも戦争に負ける前までは、レーズベルト女子爵も割と好き放題やってたんだぜぇ。一体何人の娘が女子爵に泣かされたか……」
「むぅ…………」
貴族が子供を攫うという事件を、ニックは以前に解決したことがある。とはいえそれはあくまでたまたま事件の現場に居合わせたからであって、その容疑がある貴族を直接取り締まることができるわけではない。
「敗戦を機に政治の流れが変わったのを見て、一応今回のことも上申したけれど、今のところ返事はないし……結局この国に変わりはないんだぜぇ。ヒャッハー……」
「そうか……」
怒りの表情を一転、民を守る兵士でありながらそれを実行できていない自分の不甲斐なさにモッヒがションボリと頭髪を垂れ下がらせる。そうして苦悩するモッヒを前に、ニックもまたそれ以上に言葉が出ない。
(アッネとイーモの時は向こうが手を出してくるのがわかっていたから対処できたが、そうでない以上こちらからその女子爵とやらに何かをすることはできん。かといって他人の娘を延々と囮にするなどできるはずもないし、これはどうしたものであろうか……)
『すまぬが、我にもいい方法は思いつかぬ』
そっと腰の鞄にも手を触れてみたが、返ってきたのはそんな返事。何もかもを救えると思うほどにニックは傲慢ではないが、それと救えない者の存在に胸を痛めることは別の話だ。
「さあ、ご馳走ができましたよー!」
「お父さん、おじちゃん、できたよー!」
そんな重い空気を振り払うように、調理場から楽しげな声と共に笑顔の母娘がやってくる。いい匂いを漂わせる料理が幾つもの皿に盛られており、ただ目にしただけでも口の中に涎が湧いて出てくるほどだ。
「ヒャッハー! こいつはご馳走だぜぇ! 暗い話は終わりだオッサン! 今は食事を楽しむ時間だぜぇ!」
「……そうだな。でなければせっかく作ってくれた二人に申し訳がたたん」
「そういうことだぜぇ!」
「さあ、沢山ありますからドンドン食べてくださいね」
「カレンの作った肉団子、甘くてしょっぱくてカリッとしてて凄く美味しいんだから! ……じゅる」
「ふふふ、沢山味見したものね」
「あーっ!? お母さん、それは言ったら駄目でしょ!?」
「ヒャッハー! こいつは楽しみだぜぇ!」
「うむ! では冷めないうちにいただくとしよう」
どうにもならない暗い現実をしばし忘れるように、ニックはモッヒ一家と一緒に絶品の家庭料理を目一杯堪能するのだった。