父、お礼をされる
「あ、あのっ!」
「ん?」
そのままその場を立ち去ろうとしたニックに、背後から呼び止める声が聞こえる。ニックがそちらに振り返れば、そこには先程助けた親子の姿があった。
「助けていただいてありがとうございました!」
「ありがとうございましたー!」
「ハッハッハ、気にせんでくれ。単に儂の体がちょいと人よりでかかっただけのことだからな」
「ふふっ、わかりました。そういうことにしておきます」
笑顔で言うニックに、おそらく三〇には届いていないであろう若い母親がクスリと笑って答える。
「では、ここでお知り合いになったのも何かの縁ですし、せっかくですから我が家でお茶を飲んでいかれませんか?」
「いやいや、そこまでしてもらうほどでは……む?」
断ろうとしたニックの足下に、不意に小さな影が忍び寄ってくる。そちらに視線を向ければ、そこにはニックの太い足にガッシリとしがみつく八歳ほどだと思われる少女の姿。
「あのね、お父さんが親切にしてくれた人にはお礼をしなきゃ駄目だって言ってたの! だからカレンはおじちゃんにお礼をするのよ!」
「こら、カレン! すみません……でも娘もこう言ってますし、本当にご迷惑ということでなければ、是非」
「ははは、これは参ったな。わかった、では少しだけお邪魔することにしよう」
伝説に謳われる巨人族だろうとニックの動きを止めることなどできないが、幼い少女に懇願されては一溜まりもない。こぼれる笑みを押さえられないニックは、そうして二人に連れられるままに彼女らの家に招かれていった。
「カレン? 本当に一人で大丈夫なの?」
「もーっ! お母さんは心配性なの! 作り終わったら呼ぶから、それまでお母さんは来ちゃ駄目なんだからね!」
「はいはい。じゃ、私達は向こうの部屋にいるからね」
張り切る娘に笑顔でそう言うと、女性はカレンを調理場に残し居間にいるニックの方へと戻っていく。
「はい、お茶をどうぞ」
「うむ、いただこう……しかし儂のような得体の知れぬ者を家に招いたりして、本当によかったのか?」
出されたお茶を飲みながらニックがそう問うと、ニックの正面に座った女性が自身もまたお茶を飲みながら答える。
「はい。私、結婚前は冒険者ギルドの受付で働いてまして、今でも週の半分はお手伝いにいってるんです。だから人を見る目には割と自信があるんですよ?
それによると、貴方は……あ、そう言えばお名前を伺ってませんでしたね。私はビレイと申します」
「ビレイ殿か。儂はニックだ」
「ニックさんですね。では改めまして、ニックさんは新人の子の面倒をよくみてくれる世話焼きな『お父さんタイプ』ですね。どの支部にも一人は本拠地登録していて欲しい感じの冒険者さんです」
「お父さんか……それは儂にとっては最高の褒め言葉だな」
ビレイの言葉に、ニックは上機嫌で微笑む。そんなニックをジッと見つめながら、ビレイが更に言葉を続ける。
「あとは、ニックさんがかなり上位の冒険者だと思ったからですね。装備もそうですけど、あんなに無造作に金貨を扱う人なんて滅多にいません。それだけ稼げる冒険者の方からすれば、今更我が家にあるようなものをどうこうしてせっかく高めた名声を捨てたりはしないでしょうから」
「なるほど、それは確かに納得だ」
ニックがあの時男に握らせた金貨の量は、この家にあるもの全てを……それこそ土地や家屋の権利まで含めて……売り払った額よりもずっと高い。見知らぬ他人のためにそんな額を簡単に手放そうとする相手が今更自分達に何かをするはずもないという見識はニックにしても頷けるものだった。
と、そこで調理場の方からカレンがひょっこりと顔を出し、母に向かって声をあげて手招きをする。
「お母さん! お母さん! できたから、あとやって!」
「あら、もうできたの? じゃ、ニックさん。もう少しだけお待ちいただけますか?」
「うむ、わかった」
ニックが頷くのを確認して、ビレイが娘と調理場の方に入っていく。そこから漏れ聞こえてくる母娘の会話に顔を合わせても声を交わさなかった娘への思いが刺激され、ニックの胸が少しだけ痛む。
(ふぅ、儂もまだまだだな……)
「ヒャッハー! 今帰ったぜぇ!」
そんな風にニックがややしんみりしていると、家の扉を開けてコカトリスの鶏冠のような髪型をした細身の男が入ってくる。その明らかに特徴的な見た目にニックが名を思い出すより早く、自分の家に見知らぬ者がいることに驚いた男の方が声をあげた。
「ヒャハ!? 何だテメェ!? 何で俺の家にいやがる!?」
「おお、お主は入門審査をしていた門番の……モーンとバーンだったか?」
「モッヒとカーンだよ! そして俺はモッヒだ! って、そうじゃねぇ! おいオッサン、一体ここで何を――」
「あら、お帰りなさいアナタ」
「ヒャッハー! ただいまだぜビレイ! で、このオッサンは一体何なんだ?」
「今説明するわね。実は――」
夫の声を聞きつけて調理場から戻ってきたビレイが、モッヒにこれまでの経緯を説明する。するとモッヒの訝しげな視線がみるみる軟化していき、すぐに満面の笑みでニックの手をとってきた。
「ヒャッハー! そうか、ビレイとカレンを助けてくれたのか! こいつは感謝感激だぜぇ!」
「お、おぅ。まあ言うほど大したことはしておらんが」
「それでもだぜ! ありがとよオッサン!」
「ははは、わかった。感謝の言葉、ありがたく受け取らせてもらおう」
「できたー!」
ニックとモッヒが固い握手を交わしていたところに、カレンの可愛らしい声が調理場から響く。その後すぐにカレンが小さな体で一生懸命に運んできたのは、大皿に盛られた焼き菓子だ。
「ヒャッハー! 何だこりゃ、途轍もなく美味そうだぜぇ!」
「あのね、これはおじちゃんへのお礼だから、カレンが生地をこねたんだよ! どう? 凄い?」
「ああ、凄いなカレン。上手にできているぞ」
「でしょー? ふふん!」
自慢げな表情のカレンに、ニックは手放しでそう褒め称える。多少の形の歪さなど、この笑顔の前では何の問題にもならない。
「焼くのは私がやりましたから、生焼けということはないはずです。どうぞ召し上がってください」
「うむ、では――」
「ヒャッハー! こいつはゴキゲンだぜぇ!」
皿に盛られた焼き菓子にニックが手を伸ばすより早く、モッヒが凄い勢いでそれを掴んで頬張っていく。
「ひゃっふぁー! さくさくたひぇー!」
「もーっ! これはおじちゃんへのお礼なんだから、お父さんは遠慮しなきゃ駄目でしょ! あとせっかく一生懸命作ったんだから、もっとちゃんと味わって食べてよ!」
「ひゃ、ひゃっはー……こいつはサクサクだぜぇ……」
娘に怒られ、モッヒの頭髪が心なしかしおれる。そうして一つ一つ丁寧に摘まんで食べるモッヒを尻目にニックもまた一つ摘まんで口に入れると、口いっぱいに素朴な甘さとバターの風味が感じられ、その優しい味はお世辞抜きで十分に美味い。
「ふむふむ……ほほぅ、これは美味いな」
「ホント!? 本当に美味しい!?」
「ああ、美味いぞ。カレンは料理が上手だなぁ」
「やったー! お母さん、おじちゃんが美味しいって!」
「よかったわねカレン」
「な、なあカレン? お父さんもこれ、最高に美味いと思うぞ?」
「お父さんはいいの!」
「ひゃは!? な、何でなんだぜ?」
「……だって、いつも褒めてくれてるでしょ?」
「ヒィィィィィィィヤッハー!!! こいつは可愛すぎるぜぇ!」
「ちょっ、お父さん!? 恥ずかしいよ!」
思いきり奇声をあげながら、モッヒがカレンを抱き上げてその場でクルクルと回り始める。
「うちの娘は最高だぜぇ! ヒャッハー!」
「お父さん、降ろして! 目が回っちゃう! あと髪の毛が顔に当たって痛い!」
「ヒャッハー!」
「ふふ、仲のいい家族なのだな」
口の中のほろ甘さと、目の前の幸せな光景。心も腹も満たされたニックは、しばし楽しげにその様子を眺めていた。