皇帝、説明する
「こりゃ一体どういうことなんですか陛下!?」
ザッコス帝国、皇帝の私室。本来ならば余人の立ち入ることなど許されないその場所に異形の戦士の声が響く。
「うるさいぞゲコック。少しは落ち着いたらどうだ?」
「とても落ち着いてなんていられないですよ! 何でこんなことになってるんですか!?」
『そうだぜ陛下! 兄貴にちゃんと説明してくれよ!』
「わかったわかった。話してやるからちょっと待て……どうだウラカラ、わかったか?」
猛然と抗議してくるゲコックとコシギンをそのままに、皇帝マルデはすぐ側で大量の資料の目を通していたウラカラに声をかける。
「はい陛下。どうやら勇者の暗殺依頼を出したのは、イーワ連合国の貴族のようですね」
「イーワ? 確か今あそこを纏めているのは、ナッカ・イーワ侯爵だろう? 上手くやっていると思っていたが……」
「ナッカ侯爵は連合国内における融和路線の急先鋒ですが、家を継げなかった次男であるモウ・イーワはそれを面白く思っておらず、前々からナッカ侯爵とは不仲だったようです。
そこに今回の勇者の言葉があって、それを受けて魔族との和平を念頭に置くナッカ侯爵に反目する貴族達がモウの派閥に加わり、その一名が独断で勇者に対する暗殺依頼を出したようですね」
「何だその馬鹿は。まったく、余計なことをしてくれる……」
ウラカラの報告を聞いて、マルデは露骨に顔をしかめる。今回の勇者の行動はマルデからしても面白くないものだったが、だからといって暗殺など下策中の下策だ。せめて魔王を討伐した後ならばまだしも、これから戦争が本格化するというのに勇者という切り札を自分達の手で捨てるなど愚か以外の何物でもない。
「動き出したというのであればこれを機に勇者の動向をつぶさに調べようと思っていたが、これでは諜報員を貼り付けるのも難しいな。『ぼうけんのしょ』ではどうしても細かい情報はわからんし――」
「あの、陛下? こっちの話は……」
『そうだぜ! 兄貴を放置するなんてあり得ないぜぇ!』
真剣に考え込み始めてしまったマルデに、ゲコックがやや控えめに……そしてコシギンは遠慮なく大声で催促する。それに僅かな苛立ちを感じたマルデではあったが、為政者としてすぐに感情を抑え込むと平然とした表情でゲコックの方へと顔を向け直した。
「ああ、そうだったな。で、何が問題なのだ?」
「何がって、そりゃ何もかもですよ! 勇者が余計なことを言ったせいで、俺達の部隊は結局途中で引き返すことになっちまった! これじゃ陛下が『俺を魔王にする』って作戦が台無しじゃないですか!」
『そうだぜ! 俺は見えてなかったけど、兄貴が凄ぇ頑張ってるのはわかってたんだ! それを無駄にするなんて絶対に駄目だぜ!』
「ふむ、まあそうだな。確かに勇者があのような行動に出るとは……しかも一度しか使えない『請願』の札を切ってくるのは予想外に過ぎた。あの場面においては、こちらの完敗と言っていいだろう」
勇者が魔族を人と同様に扱うという方針を打ち出したことで、マルデの立てた計画は完全に潰されてしまった。今の状況でゲコックにゴリ押しさせても単に魔族を無差別に殺し回る殺戮者にしかならず、悲劇の英雄に仕立て上げることはとてもできない。
「この流れははっきり言って脅威だ。一時的に昏睡状態だった勇者も今は目覚めて精力的に各国を回っているようだし、このままならば程なくして何故か落ちていた勇者の名声も回復することだろう」
「ですな。今代の勇者は何故か評判が悪かったですが、支持を取り戻すのは時間の問題かと」
「そういや、部下や同僚の間でもえらく嫌われてましたね。まあずっと戦場から離れて遊んでた奴がいきなり出てきて偉そうな事を言ったら、そりゃ嫌われても当然ですけど」
『その点兄貴はいつも一本筋が通ってて、まさに男の中の男って感じだぜ!』
含みを持たせたマルデの言葉をウラカラはさらりと流し、ゲコック達は気づかない。それを確認して僅かにウラカラに視線を走らせた後、マルデはそのまま言葉を続けていく。
「まあとにかく、そんな勇者だろうとこれから前線に出て戦い始めれば、その評価はすぐに変わる。『ぼうけんのしょ』がある以上勇者の行動はある程度周知されることになるから、そこを誤魔化すこともできんしな。
かといってさっきも言った通り、暗殺などもってのほかだ。死人の評価は動かしづらく、何より死を以て神格化されたりすればもはや余でもどうにもならん」
「ならどうするんですかい? 俺があれだけ苦労したのを全部無駄にして、勇者が活躍するのを黙って見ていろと……?」
ゲコックの声色がにわかに敵意を帯びたものになる。流石にこの場では魔導鎧どころか帯剣すらしてはいないが、鍛えているわけでもない人間を殺すことぐらいは蛙人族の戦士であるゲコックには造作もない。
「フッ、そんな声を出すな。確かに余はやり方を教えたが、それを実行したのはお前自身が決めたことだろう?」
「そりゃあまあ、そうですけど……」
同じ魔族を殺した感触は、今もゲコックの手に残っている。それは確かに自分が望んだ「下克上」への一歩だったかも知れないが、だからこそその死を無意味なものにすることは許容できない。
「安心しろ。勇者に関しては次の手を考えてある。それが上手くいけば、お前を魔王にする道が再び戻ってくることだろう」
「そうなんですかい!? あ、でも、それだと……」
「そうだ。お前はこれから、また魔族を殺していくことになる。向かってくる敵ではなく、己を押し上げる糧とするためにな。どうだゲコック、まだその覚悟があるか?」
「……当たり前だ! ここで引いたら、それこそ今までの戦いが無駄になっちまう! そうとも、もう後には引けねぇんだ」
『兄貴……』
固く握りしめられたゲコックの拳に、コシギンの触手がそっと絡みついていく。
『俺は何処までも兄貴と一緒ですぜ!』
「ギン……ありがとうな」
「ふむ。ではこれで話は終わりだ。魔族領域での戦闘が再開されるまでにはまだしばらく時間があるだろうから、そこまでに勇者に関しては手を打っておく。お前の方も準備をしておけ」
「わかったぜ陛下!」
『じゃあな陛下! 兄貴の勇姿をそこでタップリ見ててくれよな!』
そう言ってゲコックとコシギンがマルデの私室を後にすると、残されたウラカラは小さくため息をついてマルデの方に顔を向ける。
「フゥ、全く騒がしい男だ。陛下、本当にあの男が次の魔王で宜しいのですか?」
「構わんさ。下手に小賢しい者よりもよほど扱いやすいし、驕ってもいない。足りぬ事は色々あるだろうが、そこは追々教えてやればいいだけのことだ」
「教育……ですか。陛下はあの男を使い捨てや傀儡にするつもりではないのですね?」
「無論だ。どうしようもなくなれば切り捨てることも視野に入れるが、そうでなければ普通に部下として重用し続けるし、魔王となれば対等の扱いをするだろう……まあそうなるまでには相当に時間がかかるだろうが」
「……やはり陛下は父上とは違うのですね」
「お前にこんなことを言うのはどうなのかとも思うのだが……アレと一緒にされるのは流石に不快だぞ?」
「これは申し訳ありませんでした、皇帝陛下」
苦笑いを浮かべて言うマルデに、ウラカラが恭しく頭を下げる。
「権力を欲し、支配者になろうとする者は幾らでもいるが、そういう輩の妄想する統治者というのは野盗の頭と大差ないのは何故なのだろうな? 完全な平民というならともかく、貴族として王の仕事を見ていればそれがどれだけ面倒で自由などないものなのかなどすぐにわかると思うのだが……」
「それでも陛下はそこを目指されるのでしょう?」
「まあな。持つ者として、持たざる者を導くのは義務だ。そのために犠牲になる者からすれば余は最悪の暴君とでも呼ばれるのだろうが、そんなことは知らん。
余は余として、余のやり方で一〇〇〇年先まで平和な世界を作ってみせる。それを後の歴史家が何と評するかなど、余にはどうでもいいことだ」
「最後までお供致します、陛下」
立派な椅子の背もたれをギシリと鳴らして手元の書類に目を落とすマルデに、ウラカラは祈るようにそう呟いて応えた。