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娘、目覚める

(今の、何だったんだろう……)


 暗く深い虚無の闇。世界が閉じた後もフレイはその場に漂い続けていた。とても長い、だが一瞬の時が過ぎ去ってみれば、残っているのはただ曖昧な感覚のみ。


(アタシは……結局誰なの……?)


 通常ならばほんの数秒、長くても一〇秒くらいで終わるはずだった『請願』を一〇分近く発動させ続けた代償として、フレイの中からごっそりと欠けたナニカ。それが時間をかけてフレイの内側に補填されていったが、それはつまり「自分ではないモノ」が大量に自分に入り込んできたことに他ならない。


 混じり合ったそれが、自分の輪郭を曖昧にしていく。記憶には霧のようにもやがかかり、体からは感覚が薄れ、もはや自分がどんな姿形をしていたのかすらおぼつかない。


(あの子……お兄ちゃんに再会できたのかな……)


 ならばこそ思い出されるのは自分の事ではなく、ついさっきまで自分の中を流れていった誰かの記憶。それが自分ではない誰かだという認識があるからこそ、フレイはギリギリ「自分」というものを保つことができている。もしあれを自分の記憶と混同してしまえば、その瞬間にフレイという存在は溶けて消えてしまっていたことだろう。


(アタシにも……あんな風に会いたい人がいるのかな……? アタシに会いたいと思ってくれる人が、いるのかな……?)


 チラリと、誰かの顔が頭をよぎる。だがそれが誰だったのか、今一つわからない。


(そんな人が、いたらいいな……)


 体ではなく心で、フレイはそっと手を伸ばした。するとその手に何かが触れる。


 それは、柔らかくしなやかな手だった。その手にグイッと引かれ、フレイの心が少しだけ浮上する。


 それは、ひんやりとして固い手だった。その手にグイッと引かれ、フレイの魂が見えない水面から顔を出す。


 そしてそれは……大きくて温かい手だった。何よりも力強い手はフレイの全てを強引に引き上げ、暗い世界が光に満ちる。


「あっ……」


 明るくなった世界の空に、フレイは懐かしい笑顔を見た。





「……へっきし!」


「あら、ようやくお目覚めぇ?」


「あー……あれ?」


 くしゃみと共にフレイが目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋の中だった。声のした方に顔を向ければ、椅子に座ったムーナが手にした本をパタンとたたみ自分の方に顔を向けている。


「ムーナ? あれ、アタシ……」


「大丈夫ですかな、フレイ殿」


「ロン! 大丈夫って……ここどこ?」


「サイッショの町の宿屋です。フレイ殿が『請願』を使った後倒れられたので、こちらに運んで療養してもらっていたのですよ」


「あー、そうなの?」


 今一つ記憶が繋がらず、枕元で説明するロンにフレイはにわかに首を傾げる。


「『請願』を使って色々話をしたところまでは覚えてるんだけど……って、そうよ! 戦争! 魔族との戦争はどうなったの!?」


「貴方が頑張ったから、今のところは侵攻は止まってるわよぉ」


「そう、なんだ……よかった……」


 優しい口調で言うムーナに、フレイは心の底からホッと胸を撫で下ろす。その願いが叶ったのであれば、少なくとも自分が倒れた価値はあったと言うことだ。


「で、アタシどのくらい気を失ってたの?」


「今日で二週間ですな」


「二週間!? うっそ、そんなに長く!?」


 驚きの声をあげつつフレイが勢いよく上半身を起こすと、真剣な眼差しをムーナの方へと向ける。


「ねえムーナ、教えて。アタシが寝てる間に何があったの? 今すぐアタシがしなくちゃいけないことは何?」


「落ち着きなさぁい。そこまで慌てなくても、まだ少しくらいは猶予があるわよぉ」


「ってことは、のんびりもしていられないってことよね」


「まあ、それはそうだけどぉ」


 王や大臣などの為政者側と軍部の軋轢は日に日に強まってきており、ニックの言うことが正しければそれは何者かが意図的に引き起こしている現象だ。


 それを解消するにはフレイが勇者として活動するのが最善であると同時に、それ以外にはこれといった有効打が存在しない。ならばこそフレイの活動再開は一日でも早いほうがいいのは事実だが、かといって今原因不明の昏睡から目覚めたばかりのフレイをいきなり戦場や政治の場に送り出すのは流石に不安がある。


「ふぅ……話はしてあげるから、まずは体調を万全に戻しなさぁい。それが終わったら今までの分まで苦労してもらうわよぉ」


「うっ……わ、わかった。頑張る!」


「フフッ、その意気よぉ。ならまずは――」


グゥゥゥゥゥゥゥゥ


「……食事が先みたいねぇ」


「ア、アハ! アハハハハ……ご、ごめん……」


 自分の腹から鳴り響いた盛大な音に、フレイが顔を真っ赤にして照れ笑いを浮かべる。そのあまりにもいつも通りな様子に、ムーナは喜びと呆れの入り交じった笑顔で言う。


「まったくこの娘はぁ……」


「ハハハ、よいではありませんか。空腹を訴えるのは健康な証拠ですぞ。そういうことなら拙僧が食事を運んでまいりましょう」


「あ、いいわよ。体の調子も全然問題ないし、下に行って普通に食べましょ」


「そうねぇ。フレイの元気な姿を見せた方が色々と都合はいいでしょうし、貴方がいいならその方がいいかもねぇ」


「じゃ、決まりね。行きましょ!」


 元気よくベッドから跳ね起きたフレイが、そう言って扉を開いて部屋を出る。


「あっ、ちょっ、待ちなさいフレイぃ!」


「ほら、早く来ないとおいてっちゃうわよ!」


「そうじゃなくてぇ! あー、もう! 本当にお馬鹿なんだからぁ!」


 慌てて呼び止めたムーナに寝間着であることを指摘され、大慌てでフレイが部屋に戻ってきたのは、僅か一分後のことである……





『娘の目覚めを待たなくて良かったのか?』


 瓦礫の山に腰掛けるニックに、オーゼンが腰の鞄からそう声をかける。もうすぐ娘が目覚めることを偉大な父の愛にて察知したニックは、フレイが目を覚ます前に町を後にしていた。


「ははは、いいのだ。下手に顔を合わせると里心をつけてしまうかも知れんからな。それに……何と言うか、儂の存在は邪魔であろう?」


『邪魔? そう言えば貴様は勇者パーティを追放されたのであったか。いや、しかし……』


 苦笑いをして言うニックに、オーゼンは納得しない。今までに聞いた話、交わしたやりとりからしてもニックの娘がニックを本気で疎んでいるなどとはとても思えなかったからだ。


「ああ、嫌われているとかそういう理由ではないぞ? 自分で言うのも何だが、儂はそれなりに強いであろう?」


『それなりとはこの身が砕けても言えぬが、貴様が強いということには何の異論もない。で、それがどうしたのだ?』


「うむ。儂は強い。儂が共に行動しさえすれば、大抵のことは何とでもなる。だがそうなってしまえば、せっかくフレイ達が成し遂げた偉業が儂の力のおかげになってしまう気がしてな。それが嫌だったのだ」


 それは正しく、かつて(フレイ)がニックを追い出した理由。それを今自分が口にできる状況に、しかしニックは喜びを滲ませている。


「フレイは成長した。儂が想像するよりずっと強く大きくなっていた。ならば親がでしゃばって大きな拳で道を整えてやる必要などない。


 フレイの努力と決断、その先にある未来は、フレイ自身の手で切り開いてこそ輝くものだ。儂の力がそれを台無しにしてしまっては、向こうでマインに合わせる顔がないわ」


『なるほど、娘のみならず貴様も成長したということか』


「ふふふ。無論本当に危ないと思ったり、助けを求められたりすればいつでも駆けつけるがな」


『ほぅ、そうか。では今のこの状況はどう説明するのだ?』


「むぅ?」


 瓦礫の山のすぐ側には、無数の人間が倒れている。予想外にも報復してこなかった暗殺者の居場所を「王の羅針」で探し当て、拠点ごと壊滅させたからだ。


「これはまあ、もののついでだ。ちょっと散歩に出たらたまたま怪しげな集団が目についたから、軽く殴っておいただけだぞ」


『まったく貴様という男は……』


「とはいえ、これからが本番だ。頑張るのだぞ、フレイ」


 いつも通りに呆れた声を出すオーゼンをそのままに、何処までも高く澄み渡る冬空を見上げ、ニックはそっと娘に声援を送るのだった。

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