娘、夢を見る ~とある兄妹の記憶 その三~
「これで終わりだ! ハンマーブラスト!」
男の右腕を覆う魔導兵装がガシャンと大きな音を立て、内蔵されていた六連装の衝撃発生機構が僅かな時間差をつけて連続起動する。そうして生み出された爆発的な推進力はそのまま破壊力となり、対峙する少年の顔面に突き刺さろうとするが――
「終わらねぇよ! 弾け! ハズーム・バウンダー!」
「んなっ!?」
少年の籠手から発生した青白い膜が、あり得ない弾力をもって必殺の拳を受けきってしまった。ブニョンという奇妙な手応えに焦る男に、少年はニヤリと笑みを浮かべて言い放つ。
「知ってるか? 柔らかいってのは魔鋼より壊れないってことなんだぜ! 貫け、ササール・ランサー!」
「ぐああっ!」
青い膜が消えるのとほぼ同時に今度は手のひらから生じた青い槍が、相手の男の肩を貫く。最強を決める年に一度の本戦ならばこの程度では終わらないが、今行われているのは週一の余興である野良試合。
『けっちゃぁぁぁぁぁぁく! 今回の勝利は「一〇日縛りの発明王」だぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
「よっしゃぁぁぁぁぁぁ!!!」
闘技場に響き渡る人工の声。刹那派に所属していれば親の声より聞いているアナウンスさんの声に勝利を告げられ、少しだけ体の大きくなった少年は雄叫びを上げて拳を突き上げる。
初めてこの施設に訪れた日から三年。少年はこの闘技城における上位闘士への昇格を最年少で決めていた。
「いっててて……くそっ、今度こそ俺が勝ったと思ったんだがなぁ」
「悪いな『永遠の三番手』。今日はまだ八日目なんだよ」
「言ってろ。ったく、負ける度に馬鹿みてぇな性能の魔導兵装を自作して、それの対策が取られるまではずっと勝ち続けるとか意味わかんねぇぜ。今回のも何だありゃ? 柔らかい防壁なんて何をどうやったら実現できるんだよ……」
「カッカッカ! ま、俺は天才だからな!」
少年の言葉に、ジャックと呼ばれた男は肩を押さえながら苦笑する。闘技城ではこの程度の怪我は日常茶飯事であり、アトラガルドで使われていた医療設備が現役で稼働しているここならば肩に穴が開いた程度はすぐに治るため、どちらもそんなことは気にしない。
「じゃ、俺は賞金もらって帰るから、またな」
「じゃーなクソ坊主! ハァ、今日は酒はやめとくか……」
そんな風にして闘士の男と別れると、少年は意気揚々と家へと戻っていく。三年前は路地の片隅に勝手に座り込んでいただけだったが、今の住処はこの施設内でもかなり上等な専用個室を借りている。プシュッという音を立てて扉が開けば、そこにいるのは美しく成長した愛しの妹の姿。
「ただいまー!」
「お帰りお兄ちゃん。試合はどうだったの?」
「勿論、大勝利だ! 何せ俺は超天才だからな! ということで賞金で色々パーツを調達してきたから、俺は少し部屋に籠もる――」
「駄目」
いそいそと自室に籠もろうとする兄を、妹たる少女は静かに、だが有無を言わせぬ口調で止める。
「お兄ちゃん、研究に熱中すると食事も取らないでしょ? ご飯用意してあるから、ちゃんと食べて……あとシャワーくらいは浴びてからにして」
「え? 飯なんて万能栄養食でいいじゃん。シャワーだって、別に臭いから死ぬわけでもないし……あ、チーズ味の在庫、まだある?」
「そっか、お兄ちゃん食べてくれないんだ……今日は調子がよかったから、せっかく手料理を作ったのにな……」
振り向きもせず言う兄に、少女はそう小さく呟く。すると少年は首がねじ切れるんじゃないかという勢いで振り返り、気持ち悪いくらいに早足で妹の方へと駆け寄ってくる。
「うっそだろおい、***が作ってくれたのか!? 食う! 食うぞ! 腹がはち切れても食うし、何ならウンコだって食う!」
「……お兄ちゃん、嫌い」
「如何にして!?」
相変わらず一撃必殺の威力を見せる妹の言葉に少年が悶絶し、その姿を見て少女が笑う。
それは終わってしまったこの世界では、あまりにも贅沢な幸福の日々。だからこそ長く続くはずもなく……それから二年後。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
「***……クソッ!」
荒い息を吐きながらベッドに横たわる妹の姿に、一七歳となってすっかり大人の体つきになった少年が悔しげに壁に拳を叩きつける。
刹那派の施設には、確かにアトラガルド時代の医療設備がある。だがそこに登録されている医療データはもう何百年も更新されていない古いものだ。人体の構造がそう簡単に変わるわけがないので外傷の治療には何の問題もないが、病の治療……とりわけ昔は存在しなかった病気に対しては対処療法以上のものは望めない。
(これ以上はここじゃ無理だ。でもここ以上に設備の整ったところとなると……やっぱり復興派の施設しかないか)
風の噂では、一部地域の復興派は人工的に新たな生命を生み出すことに大分前から成功しているらしい。それほどの技術があるなら、妹の病を治す手段を持っている可能性は十分にある。
だが、当然ながらそんな高度な医療を受けられるのは復興派でも幹部クラスの人員だけだ。かつての何の実績も無い子供である自分ではとてもそんな待遇は望めなかったが、今ならばこれまで開発した魔導兵装の図面を持って行けばある程度の待遇で受け入れてもらえるかも知れない。
「ハァ……ハァ……おにい……ちゃん……」
「大丈夫、大丈夫だぞ***。お兄ちゃんが必ずお前を助けてやるからな」
「うん……………………」
(迷ってる余裕はない。決断しろ、俺!)
覚悟を決めた少年は、有り金をはたいて携帯式の……それでも本来は専用の車に載せるものだが……治療ポッドを購入し、完成したばかりの第五世代魔導兵装をその身に纏い、妹と共に再び旅に出る。
そして再び、時が流れる。過ぎ去った時が一瞬に感じられるように、長く苦しい時間がまるで瞬きほどでしかなかったような気分を味わう少女が横たわるのは、何処とも知れぬ暗い場所。断続的に途切れる意識は、もはや今がいつなのかすら少女に認識を許さない。
「悪いな***。もうこれしか方法がないんだ」
「ハァ……ハァ……ハァ……」
(胸が苦しい……言葉が出ない……言いたいことが、沢山あるのに……)
少女の目の前には、随分とやつれた兄の姿がある。そこに浮かぶ寂しそうな笑みが、少女の胸を病とは違う苦しみでギュウギュウと締め付けてくる。
「今からお前を眠らせる。なに、大丈夫だ。目が覚めた時にはすっかり元気になってるさ」
「ハァ……ハァ……ハァ……」
「そう心配そうな顔をするなよ。これはもう一つの約束も一緒に叶えられる、超天才の俺だからこそ可能なお得プランなんだぜ?」
「ハァ……ハァ……ハァ……」
「お前と一緒に世界も治しておくから……目覚めたら平和で綺麗な世界をゆっくり楽しんでくれ」
「ハァ……ハァ……ハァ……」
(お兄ちゃんは……? お兄ちゃんはどうするの……?)
「じゃあな、***」
「ハァ……ハァ……ハァ……ッ!」
(嫌だ! お兄ちゃん! 一人は嫌! 一緒じゃなきゃ嫌だよ!)
人一人入るのがやっとの、狭い空間。その内と外を隔てる扉が、ゆっくりと閉ざされていく。
(言いたいことが……まだ言ってないことがあるの! だから、お願い……っ!)
「……おやすみ」
「ハァ……ハァ……お……にぃ……………………」
馬鹿なことばかりする兄に、だからこそ言えなかった。いつもいつも強がるばかりで、本当の気持ちを言葉にしたことがなかった。
「大好きだよ、***」
「――――――――――――――――――ッ!」
今だけでいい。これで死んでも構わない。閉じた扉の向こう側、のぞき窓から見える兄の背に少女は力の限り叫ぶ。
声は出ない。体は動かない。意識ももう保てない。それでも最後の最後まで、魂を震わせ少女は叫ぶ。
(お兄ちゃん、大好き)
この世に生まれ落ちなかったその言葉を最後に、少女の世界は暗闇に包まれた。