娘、夢を見る ~とある兄妹の記憶 その一~
「何、ここ? アタシ何でこんなところに……?」
フレイの周囲に広がっているのは、荒涼たる赤い大地。カサカサに乾きひび割れた地面にはごくまばらに草が生えている程度で、それが見渡す限り、地平線まで続いている。
(何だろう。こんなに開けた場所なのに、風をほとんど感じない。それにこの空……)
小さく首を動かして見上げれば、そこに広がるのは赤い空。夕焼けとは違う暗くて重いその赤は、まるでのしかかってくるような重圧を感じさせてくる。
赤い大地、赤い空。ただひたすらに赤い世界に、フレイは一人立ち尽くす。
(うん、まずは冷静になろう。最後の記憶だと、あの時アタシは……あの時? あの時ってどの時? っていうか、アタシは……あれ? アタシって……誰?)
見つめる自分の手の輪郭が、不意にぼやける。自分を構成する全てが薄れていき……そうして襲ってきたのは、今まで感じたことの無い息苦しさ。
(なに、これ。息が……できない……!?)
ガクッとその場に崩れ落ちて四つん這いになると、刺すような胸の痛みが断続的に襲ってくる。勇者として鍛え上げたはずの体には何故か微塵も力が入らず、歪む視界の先にある自分の手が何故か子供のように小さくなっている。
(痛い、苦しい……アタシ、こんなに苦痛に弱かったっけ? あ、駄目……)
「たす……けて……」
意識が白く塗りつぶされるなか、フレイが必死に手を伸ばす。そこに自分のものではない温もりを感じたところで世界が白一色に塗りつぶされ……次に目覚めたのは誰かの背中の上だった。
「おにい……ちゃん……?」
自分のすぐ側にあった少年の顔をみて、少女がそう口にする。全身を焦がす熱はいくらかましになっており、少なくとも今は呼吸も落ち着いている。
「おお、目が覚めたか? そうだぞ、お前の大好きなお兄ちゃんだぞ!」
「あたし、どうしたの……?」
「多分、いつもの発作だな。オシッコしに行ったのに全然戻ってこないから心配で見に行ったら倒れてたんだ。いやぁ、焦ったぜ! ウンコしてたら悪いかなと思って見に行くか迷ったんだけど、行って正解だったな!」
「……お兄ちゃん、嫌い」
「何で!?」
ぶすっとした表情で呟いた少女の言葉に、少年がこれ以上ないほどに驚いた顔をしている。尊敬し信頼する兄ではあるが、こういうところだけはとても駄目だ。
「ぐぅぅ、何でだ? ウンコが駄目だったのか? ウンチの方がよかったんだろうか」
「……ねえ、今はどこに向かってるの?」
果てしなく的外れでどうでもいいことに悩み始めた兄を見かねて、少女がそう話題を変える。辺りは一面荒れ果てた大地が広がるばかりで、少女には兄が何処に向かっているのか全くわからない。
「ん? ああ、今向かってるのは最近できたっていう刹那派の拠点だな」
「せつな派?」
「そうだ。本当なら復興派の拠点に行けりゃあいいんだけど……」
「遠いの?」
「場所は問題ないけど、それ以外がな……アイツ等の所なら確かに医療施設もあるけど、ある程度実績を残した奴じゃないと十分な治療を受けられないんだよ。いくら俺が超天才でも、流石に他人を認めされるにはそれなりに時間がかかる。それまでお前を放置なんてできないからな。
その点刹那派はいいぞ? アイツ等は実力さえあればガキだろうと認めてくれる。コイツの力で闘技城を勝ち上がれば、あっという間に金が稼げる。そして金さえあればお前を治療することだってできるんだ。
ああ、ちなみに回帰派は駄目だぞ。アイツ等は『分不相応な医療に頼らなければならないなら、死ぬことの方が自然なのです』とか言いやがったからな。ペッペッ! あのウンコ野郎共が!」
心底嫌そうな顔をする兄の姿に思わず笑みをこぼしつつ、少女は自分の尻を支えるゴツゴツした感触に意識を移す。
自分より二つ年上でしかない兄が小さな体で自分を抱えて長距離歩けるのは、兄が何処からか拾ってきたガラクタ同然の魔導兵装を修理し、その手に装着しているからだ。幾らおんぼろとはいえ元が戦闘用の武装だけあって、三〇キロにも満たない少女の体を支えるなど造作も無い。
だが、逆に言えばそれだけだ。多少力を増幅できる程度で勝ち抜けるほど闘技城は甘くない……知るはずの無いそんな知識がどこからともなく流れてきたことを少女は不思議に思ったが、それもすぐに泡沫のように消えてしまう。
「お兄ちゃん、あたし歩く」
「大丈夫なのか? お前くらいなら全然重くないぞ? 確かに前よりちょっと重くなってる気はするけど、俺の改造したこのモテール・ハンドなら今の三倍くらいまでなら――」
「……お兄ちゃん、嫌い」
「だから何で!?」
盛大にショックを受けた顔をする兄の背から、少女はもぞもぞと体を動かして大地に降り立つ。正直まだ少しふらつくが、それでも兄に背負われ続けているのは辛い。
迷惑をかけている。足手纏いになっている。自分さえいなければ兄はもっと自由になれる。その事実が黒鉄の鎖となって少女の心を縛り付け、全身のだるさとはまた違った重みで少女を常に押しつぶそうとしてくる。
「ねえ、お兄ちゃん――」
「なあ***、知ってるか? 空って昔は青かったらしいぜ?」
そんな少女の悲痛な思いを吹き飛ばすように、少年はそういって少女の手を握り空を見上げる。それに釣られて少女もまた空を見上げるが、そこに広がるのはただただ赤い空ばかり。
「……嘘。空は赤いよ?」
「いやホントだって! ほら、魔力って青いだろ? だから魔力に満ちた昔の空は青かったんだってさ。いいよなぁ、俺も見てみたいなぁ。お前はどうだ?」
「青い、空……」
目をキラキラと輝かせて言う兄に、少女は一時何もかも忘れて青い空を思い浮かべる。産まれてから一度だって見たことの無い光景のはずなのに、何故か抜けるような青空が鮮明に頭に浮かんできて……その儚い幻の美しさに、少女はぽつりと言葉を漏らす。
「あたしも、見てみたいな」
「そうか! よーし、なら兄ちゃんが見せてやる!」
「どうやって?」
「決まってるだろ! 魔力があるから青いって言うなら、魔力を戻してやればいいだけの話だ!」
「そんなことできるの?」
「できる! ……はずだ。まあ今すぐは無理だけどな。前に復興派の奴らから話を聞いた限りじゃ、アイツ等はそれを目指してるらしい。ならそこに超天才の俺の頭脳が加われば、青空くらい楽勝で取り戻せるって!」
「……じゃあ今もふっこう派の人の町に行った方がいいんじゃないの?」
「それだとお前が苦しいだろ」
首を傾げた少女に、少年が真剣な表情で向き直る。また自分が兄の足を引っ張っていると少女が表情を歪めるより先に、少年の手が少女の肩を掴んだ。
「忘れるなよ***。俺にとって一番大事なのはお前だ。お前が空を見たいなら、俺がそれを取り戻してやる。でもそれをお前が見なくちゃ意味がないんだ。
だから今は刹那派の拠点にいって、まずは金と資材と権利を勝ち取る。最初さえ上手くいけばお前の体も治してやれるし、この魔導兵装だってもっと改造して楽に勝てるようになる。そうなればあとは流れでどうとでもなれ! だ!」
「お兄ちゃん……」
力強く断言する兄に、少女の胸はどうしようもなく切なくなる。また兄だけが危険に身をさらし、自分の為に無茶をしようとしている。その気持ちが――
「それにな、刹那派の拠点ならほとんど無制限に全盛期の頃の魔導具が使い放題、調べ放題なんだよ! むっふっふ、今度行く拠点にはどんなのがあるだろうな? ああ、俺の浪漫汁が止まらないぜ……」
「……お兄ちゃん、嫌い」
「どうして!?」
少しだけ心も体も軽くなった少女の言葉に、少年は三度いい感じに驚きの声をあげた。