父、疑う
「そもそもお主達は、この状況をおかしいと思わんか?」
「おかしいって……フレイの言ったことを考えれば、批判が出るのは普通じゃないかしらぁ?」
ニックの問いかけに、ムーナもまた席に腰を下ろして言う。ただしこちらは流石に血の臭いが残る部屋で冷め切った料理に手をつける気にはなれず、自分の前に置かれた皿を横にどかしてワインだけを口にする。
「そうだな。魔族との和平に反対意見が出るのは当然だが……だが何故それが今なのだ? もしフレイが『今すぐ魔族と和平を結ぶから、即時停戦せよ』と言ったのであればわかる。が、この子が言ったのは『和平交渉ができる可能性があるから、調べることもせずに無差別に殺すのはやめてくれ』だぞ? その内容でどうしてここまで批判が集まるのだ?」
「……言われてみれば、そうですな」
ニックの発言を改めて噛みしめて、ロンがハッとした表情をとる。確かに「皆殺しにする前に相手のことをちゃんと調べて欲しい」という要望に対し、ここまで抵抗意見が出るのはいくら何でも不自然だ。
「であろう? もしくはフレイがもう二度と魔族とは戦わないとか、無闇に魔族を傷つけるなら人間こそ野蛮な存在だなどと魔族よりの立場で発言をしたというのであればそれに非難が集中するのは道理だが、そんな事も言っておらんしな。
そもそも戦局はやっと人間側が魔族領域に足を踏み入れた程度なのだから、戦争はこれからが本番ではないか。魔族側とて今の状況で和平など受け入れるはずもないのだから、ここからまだまだ戦う意思を持つ魔族との戦争は続き、フレイはその先頭に立って戦う覚悟があると言ったのだぞ? それなのにどうしてフレイを裏切り者や臆病者呼ばわりするのだ? 敵国に攻め入る際に無抵抗な民間人まで皆殺しにするのは間違っている、やめてくれと願うのがそうなのか?」
「そうねぇ、おかしいわよねぇ……」
ムーナもまた、ニックの言葉に考え込む姿勢をとる。なまじフレイの側にいて彼女の気持ちを知っていただけに、ムーナとしてもまるですぐ目の前に和平があるように感じていたが、実際にはニックの言う通り和平などまだまだ遙か先の話であり、フレイの主張は決して大仰なものではなく、人として当たり前の要求の範疇でしかないことに改めて気づき直す。
「……ねえ、これひょっとして、ちゃんと説明したらフレイへの批判は大分収まるんじゃないかしらぁ?」
「それはそうだろうが、問題はそこではない。一番重要なのは、世界中の多くの者達がどうしてそう勘違いさせられたのかということだ」
『なるほど、情報操作か』
オーゼンのその言葉を、ニックが真剣な表情で頷いて肯定する。
「そうだ。ムーナやロンのようなフレイに近しい者であれば、思いが先走って勘違いすることもあるだろう。また長い戦争の歴史がある以上、どんな理由があろうと魔族を許せない、認められないと主張する者がいるのも理解できる。
ムーナから聞いた王や兵士達の意見も納得のいくものだ。統治者として、あるいは戦う者としてのそれぞれの思惑と都合があり、きちんとした理由があって賛同したり反対したりするのはむしろ自然な流れであろう。
だが、あの話を聞いた多くの一般人が皆同じ方向に勘違いしているというのはいくら何でもおかしすぎる。何者かが恣意的に勇者の評判を落とそうとしている可能性が高い」
「しかし、誰が? フレイ殿が失脚して喜ぶ者など……ひょっとして魔族の間者でしょうか?」
「そこに関しては今は何とも言えん。だからこそさっきの暗殺者に伝言を持って帰ってもらったのだしな」
「そういうことぉ……でもあんなのから辿れる相手なんてたかが知れてるんじゃないかしらぁ?」
「仕方あるまい。民に噂を流している者の方は何をどうやっても特定できんからな。かなりか細く怪しい線だが、そこぐらいしか辿れるものがないのだ」
ムーナの指摘に、ニックが苦笑して答える。勇者の評判を意図的に貶めるような相手など業腹以外のなにものでもないが、だからといって殴れば解決する問題でない以上後手に回っているとわかっていてもこのくらいしか対策が打てないのだ。
「各国の王に助力をお願いするのはどうなのですか?」
「一つの手ではあるが、厳しいな。そもそも儂の話を聞いてくれるようなまともな相手であれば、自国民に勇者を批判する声が溢れていることなど既に気にして手を打っているだろう。それでも思うように沈静化しないのは、権力で押さえつけるのはかえって勇者の名声を貶めてしまうと理解してくれているからだ。
そして勇者に否定的な国の王であれば、下手に弱みをみせると実利はないのに『借り』だけを作ることになってしまう。儂一人の問題であればそれもどうにでもなるが、今回はどうやってもフレイの名が前に出てしまうからな。
だが、それもフレイが目覚めるまでだ。この子が目覚めて勇者として活動し始めれば、その事実は『ぼうけんのしょ』に記録され衆目に晒されることになる。動かしようのない事実としてフレイが敵対する魔族との戦闘を再開すれば、どうやっても今の流れは維持できんよ」
『だからこその暗殺か』
「死んじゃえばそれで終わりだものねぇ。やっぱり人間は面倒だわぁ」
色々な勧誘やしがらみが面倒になって一時期森の奥に引き籠もっていたムーナだけに、うんざりした表情でそう呟く。
「となると、一刻も早くフレイ殿に目覚めてもらわなければならないわけですが……」
「本当、何で起きないのかしらねぇ」
立ち上がったムーナがそっとベッドの側まで歩み寄り、フレイの頬をツンツンとつつく。血色のいいほっぺたはプニプニとした弾力をもって指先を弾き返してくるが、それでもフレイが目覚める様子はない。
「目覚めないということは、目覚めるために必要な何かが足りていないということだ。一月も目覚めぬということであれば何か手を講じる必要があるだろうが……まあ、もう少しくらいはゆっくり休ませてやってもよかろう。この子はずっと走り続けてきたのだからな」
そんなムーナの隣に立ち、ニックもまたフレイを見つめる。何処までも優しい父親の顔には、ただひたすらに娘への慈愛だけが満ち満ちている。
「そんなわけだ。もうしばらくは迷惑をかけるだろうが、何とかフレイのために力を貸してくれ」
「無論です。拙僧にできることなら幾らでも協力致しますぞ」
「フフ、仕方ないわねぇ。でもこの貸しは高いわよぉ?」
「ハッハッハ、儂に返せる程度にしておいてくれ」
『……仲間とはよいものだな』
笑顔で言葉を交わすニック達に、ふとオーゼンがそう言葉を漏らす。するとニックはテーブルの中央に置かれたオーゼンを手に取ると、わざとらしい程に呆れた声を出してみせる。
「何を言っておるか! オーゼンとて儂等の仲間ではないか!」
「そうよぉ。まあ私とロンはまだ出会ったばっかりだけどぉ、あのニックと二年近くも一緒に旅をしていられたなら、十分に仲間よねぇ」
「苦労話に花が咲きそうですな」
「ぬぅ!? そういう方向にもっていくのか!?」
『お主達……ふふふ、そうだな。この男との苦労話であれば、三日三晩であっても語り続けられるぞ』
「くぅぅ……」
悔しそうに顔をしかめたニックに、三人の笑い声が室内に木霊する。暗殺者が襲ってきたばかりとは思えない和やかな空気が部屋を満たすなか――
「……え? ここどこ?」
フレイは一人、見知らぬ大地に立っていた。





