娘、決断する
「ハッ! 何を言い出すかと思えば……」
真剣な表情で訴えてくるフレイを、しかし小隊長の男はいっそ哀れみすら感じさせる視線で見下す。
「長い人類の歴史で、貴方のような妄言を吐く愚か者が一人もいなかったとお思いですか? いましたよ。今までにも……おおよそ一〇〇年か二〇〇年に一度、痛い思いをした記憶を忘れた頃になるとそういう馬鹿が現れると、我ら軍人は必ず教えられるのです。
ですが、その試みが上手くいったことなど一度もありません。どれほど過去に歴史を遡ろうと魔族と和解した国など一つとしてなく、信じた者はただ一人の例外も無く裏切られ、利用されて殺されているのです。
わかりますか? 貴方のその甘い考えは何百人、あるいは何千人もの愚か者が目指し、その全てが失敗に終わっているからこその『今』なのです! 魔物や魔族は殺すしかない。仮に殺しきれないのであれば、徹底的に管理し骨の髄まで恐怖を叩き込み隷属させる。それ以外の道などないのですよ!」
「いや、力説してくれるところ悪いけど、それ多分半分しか合ってないわ」
「半分!? 何が半分だと言うのですか!?」
「今の自分達を見ればわかるでしょ? 魔族領域に住んでる魔族と人間の領域に攻めてくる魔族は別物よ?」
「……………………はぁぁ?」
何の気負いも無くさらりと意味のわからないことを言うフレイに、小隊長の男は苛立ちを通り越して恐怖すら感じ始めた。会話は成り立っているのにここまで根本的な意識がすれ違うとなると、ひょっとして勇者とは人間ではなく、もっと違う生き物なのではないかという思いすら湧き上がってくる。
「一体何が違うと? まさか勇者にしかわからない違いがあったりするのですか?」
「そんな大層なものじゃなくて、もっとわかりやすい簡単な理由よ。今までアタシ達が知ってた魔族って、あのくっそ広い森を抜けてこっちに攻め込もうとしている奴らばっかりだったわけでしょ? こっちを殺す気満々で攻めてきてる奴らに『仲良くしましょ』って手を差し出したって、そりゃ無理に決まってるわよ。
でも、ここに住んでる魔族は違うじゃない。そういう奴らに『人間は怖い』って教えられたから怖いと思ってただけで、実際の人間を見るのは初めてだって言うし。
こっちに攻め込んできた『誤解の余地のない明確な敵』にだけ和平交渉を申し込んで、それが失敗したからその奥にいる敵意も悪意も持っていない大多数の一般人まで全部皆殺しって、それこそ馬鹿みたいだと思わない?」
「……………………」
頭を鈍器で殴られたような衝撃に、小隊長の男は一瞬目の前が真っ白になる。わからない、わかりたくない。だがそれでも……わかってしまう。納得できる理屈と拒否し続ける心が折り合わず、うまく言葉が出てこない。
「……………………」
たとえ口は開かずとも、視線は動く。自分をまっすぐに見つめる勇者から目をそらせば、その背後には怯えた表情で事の成り行きを見守っている魔族達の姿がある。
「アンタ、さっき言ったでしょ? 攻めてくる敵を倒すことはあっても、その向こうにいる一般人を無闇に殺したりしないって。アタシ達が魔族の全てだと思っていたのは魔族の一面でしかない。
だから今ならまだ間に合うの。アタシ達の世界に攻め込んできた最初の魔族がそうしたように、魔族領域に踏み込んできた最初の人間であるアタシ達が悪意をまき散らさなければ、アタシ達が魔族と手を取り合う未来はちゃんとあるのよ!」
「そんな……そんなことが……」
「っていうか、そうよ。急いでどうにかしなくちゃ。どうしよう? どうすればいい?」
絶句する小隊長の男を前に、フレイが焦った様子でその意識を逸らす。
「ねえムーナ。魔族領域に来てる全部の兵士達に停戦と撤退の命令を勇者権限で出したとして、実際にそれが完了するまでどのくらいの時間がかかると思う?」
「何よ突然。そうねぇ……各国の王に通達して回るだけでも普通なら半年や一年はかかるでしょうし、それがこの現場に伝わって命令が実行されるとなると、そこから更に数ヶ月はかかるんじゃないかしらぁ?」
「遅すぎ! それじゃ全然間に合わない!」
「どうしたのですかフレイ殿、突然そのような……っ!?」
急に落ち着きをなくしたフレイを気にしてロンが声をかけると、フレイが勢いよくそちらを振り向く。その真っ青は顔色はロンが思わず反射的に回復魔法を使いそうになってしまったほどだ。
「酷い顔色ですぞフレイ殿!? 一体どうされたのです?」
「自分で言ってて気づいちゃったのよ。今この魔族領域に、アタシ達みたいに調査に出た兵士達は何人いると思う? その人達がこっちで活動している間中、今みたいに魔族を殺して回ってたら……」
「それは確かにマズいわねぇ。調査が目的だからどんなに長くても一ヶ月程度で一度拠点には戻ってくるでしょうけどぉ……」
「それだけあれば、どれほどの魔族が犠牲となるか……」
フレイの言った内容の危険さにムーナはギュッと眉をひそめ、ロンは悲しげに目を伏せる。
(駄目。それじゃ駄目よ。強い魔族に当たって大きな犠牲が出れば戻ってくるでしょうけど、そんなのを願うのは間違ってる。かといってここみたいに戦う意思のない魔族達を虐殺して回られたりしたら……)
何千、あるいは何万。どれほどの犠牲が出て、そこからどれだけの恨みが生まれるか。それはきっと取り返しが付かない悲劇を生み、本当の意味で人間と魔族が敵にしかならない世界が誕生するきっかけになってしまう。
「……………………決めた」
悩みに悩み、考えに考えて……そしてフレイは覚悟と決意を持ってそう呟く。真っ青だった顔には再び赤みが戻っており、その瞳には強い炎が燃えている。
「『請願』を使うわ」
「何ですと!?」
フレイの言葉にロンが驚きの声をあげ……ムーナがジッとフレイを見つめる。
「『請願』って……自分が何を言っているか、わかってるのよねぇ?」
『請願』とは、世界中の人々の自分の声を届けることのできる、聖剣を携えた勇者にただ一度だけ許された奇跡の力だ。通常ならばそれを以て皆に願いを……勇気を捧げてもらい、莫大な力を集めた聖剣で魔王城の結界を切り裂く必殺の一撃とするのが正しい使い方なのだが……
「わかってるわよ。でもそれしか手段が思いつかないの」
「確かに『請願』を使えば、魔族領域に散らばった兵士達全員にフレイの声は届くわよぉ? でもそれはあくまで聞こえるだけで、強制できるわけじゃないわぁ。そんな不確かなもののために、魔王を倒す切り札を使っちゃうわけぇ?」
「そうよね。今まで散々勇者らしくない行動をとってたけど、今回はとっておきに駄目よね」
ムーナの指摘に、フレイは思わず苦笑する。魔王を倒すことこそ勇者の最重要使命であり、ただ一度の奇跡はそのために存在している。それを別のことに使うなどそれこそ人間に対する裏切りと取られても仕方がない。
「でも、後悔はしたくないの。魔王は別の手段でも倒せるかも知れないけど、今声を届けなかったら、きっと世界の在り方が決まっちゃう。それはアタシの……四代目勇者の目指す『平和な世界』じゃないと思うのよ。
あと、魔王城の結界については二つほど解決策があるわ」
「へぇ。言ってみなさぁい」
幾らフレイの願いとは言え、流石に何の考えもなしにただ一度の奇跡を使ってしまうというのであれば、ムーナとしても止めざるを得なかった。だがそれ以外に無いはずの結界破りの方法に二つも思い当たることがあるというのであれば、確認しないわけにはいかない。
「一つは簡単よ。アタシ達って『鍵』が使えるでしょ? ならあらかじめ魔王城の近くに辿り着いたら世界中の国をそれで跳び回って、たとえば一週間後の正午に結界を破るからみんなでお祈りしてくださいって事前に頼んでおけば、あとはそれに合わせるだけでいけるんじゃない?」
「……確かに、それならば『請願』は必要ないですな」
フレイの説明に、ロンがなるほどと納得してみせる。本来は引き返すことなど到底叶わない魔族領域の奥だからこそ『請願』の力が必要なわけで、いつ結界を破るかを事前に告知して時間を合わせることができるのであれば、わざわざ奇跡の力に頼る必要はない。
「それは確かによさそうねぇ。で、もう一つの方法はぁ?」
「あー、うん。そっちは海底の古代遺跡……シズンデル? だっけ? の結界を破ったときに思いついたんだけど……アタシが聖剣を持ったまま結界に切っ先を当てて、その後ろから父さんが柄を殴りつければ、結界が割れそうな気がしない?」
「……なんとなくできそうな気がするのが怖いわぁ」
勇者で無いニックには、当然聖剣は使えない。だがフレイが手にしていれば聖剣の力が発揮されるというのであれば、そこに外部から力を加えることに制限がかかっているとは思いづらい。
「はぁ……そういうことなら好きにすればいいわぁ」
思わず呆れた声を出しながら、ムーナがそう言って微笑む。今までで最大の我が儘だが、それに付き合う覚悟などとっくの昔に済ませている。
「魔族達の周囲には防御結界を張っておきます。フレイ殿は、どうぞご自由に」
ロンもそれは同じで、怯える魔族達の周囲に強固な魔力防壁を張りつつ頬を釣り上げ口を開く。隙間から覗く鋭い牙と真っ赤な口内が如何にも凶悪そうだが、それが笑顔であることをフレイは知っている。
「ありがとう、二人とも。それじゃ、ちょっと頑張ってくる……四代目勇者、フレイ・ジュバンが希う! 聖剣スカイプ、起動!」
腰から聖剣を抜き放ち、胸に構えて堂々とそう宣言する。すると聖剣の刀身が眩いばかりの光を放ち、そこからかつて一度だけ……聖剣を抜いたときに聞こえたのと同じ声がフレイの頭の中に直接響いてきた。
『正規登録ユーザーより「ただ一度の奇跡」でのアクセスを確認。正鍵Sky Princessを管理者モードで起動します』