娘、解説する
風に乗る僅かな血の臭いを頼りに、フレイが全力で村の中を駆ける。するとすぐに視線の先に人だかりが映る。
広場の中央に集められているのはノーミンと同じような姿の魔族達が多数。怯えた表情の彼らを絶対に逃がさないとばかりに抜き身の剣を手にした五人の兵士が取り囲んでいる。
「何を――」
その包囲のなかでは、一人の魔族が血を流して倒れ、それを守るように他の魔族が自らの体を覆い被せている。そんな魔族の前で、包囲に加わっていない最後の兵士……ずっとフレイに厳しい視線を向けていたその舞台の小隊長……が剣を振り上げ、今まさに魔族達の命を断たんと振り下ろす。
「死ね」
「やってんのよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
ガギィィンという高音が鳴り響き、振り下ろされた青白い剣閃をフレイの聖剣が受け止める。
「ロン、回復! ムーナは拘束!」
「承知!」
「わかったわぁ!」
そのまま振り返ることなく仲間達に声をかけると、まるでフレイの考えなどお見通しとばかりにムーナが即席の魔法を発動させ、目の前にいた二人の兵士を魔法の茨で拘束した。
もっとも戦闘状態にある魔導鎧は大量の魔力が常時流れているせいでその手の魔法は効きが悪く、きちんと魔力を練って発動すればドラゴンですら数秒は拘束できる魔法もすぐに効果を失い、茨が脆くも千切れて消える。
だが、それで十分。誰かを助けるためにこそ鍛え上げたロンの健脚は一瞬動きを封じられた兵士達の間を危なげなく走り抜け、軽い土埃をたてながら倒れた魔族の側で停止する。
「どう?」
「単純な切り傷ですな。これなら十分に助けられます」
倒れ伏す魔族の体を見て、ロンがそう言って回復魔法の詠唱を始める。幸いだったのはこの魔族が弱かったため、兵士達が魔導鎧はともかく魔力刃までは使わなかったことだ。もしそちらを使用されていれば傷口に残留する魔力によって、回復魔法の効果は著しく阻害されていたことだろう。
斬った相手が傷を癒やすことを許さない。それもまた魔導鎧の強さの一つなのだ。
「ならよかった……で? アンタ達は何でこんなことをしてるわけ?」
「こんなこととは心外ですな。私達は私達の仕事をしていただけ……そう、魔族の駆除をしていただけですよ」
「駆除って……っ!」
人間の勇者であるフレイと戦う気はないとばかりに腰に剣を収めて言う兵士に、フレイは思いきり抗議の声をあげる。だがそれに対して小隊長の男はもはや隠すことなく見下す視線をフレイに向ける。
「ふぅ。勇者殿は冒険者の真似事もしておられたようですから、当然ご存じだとは思いますが……魔物の巣を見つけた時の対処は、一匹残らず皆殺しが基本にして絶対です。
雄はそのまま戦士になって人を襲いますし、雌は子供を生んで数を増やします。そして子供は成長して大人になるわけですから、一見無力に震える雌や生まれたての赤ん坊だろうと、全部殺すのが兵士や冒険者の『義務』なのです」
「それは知ってるわよ。アタシだって今まで散々ゴブリンの集落とか潰してきたしね」
「ならおわかりでしょう? 今回も同じです。勇者殿が魔族と何を話されても自由ですが、我らの仕事を邪魔するのはおやめいただきたい」
「いや、それは違うでしょ!? アタシとノーミンさんのやりとり、途中までだろうと見てたでしょ!? 積極的に襲ってくるわけでもない会話の成り立つ相手が、どうしてゴブリンと同じ扱いになるのよ!?」
必死のフレイの訴えに、しかし小隊長の男は心底不思議そうに首を傾げる。
「何が違うのですか? 魔族や魔物に違いなどないでしょう?」
「…………ああ。そう、か。そうなのね」
その言葉に、フレイの中でずっとモヤモヤしていた考えがピンと繋がった。はっきりしなかった違和感の正体……原因が、今は明確に頭に浮かぶ。
「わかっていただけたのなら結構。では処分しますので、そこをどいてください」
「お断りよ」
「……今の話を聞いていなかったのですか? その魔族達を見逃せば、後続の兵士達やその他の罪も無い人間が襲われることになるのです。なのに助けろと? 身勝手な偽善の心で見逃した魔物が人を襲ったとき、貴方はどうやって責任をとるつもりなのですか!?」
「責任なんてとらないわよ。だってそれはアタシじゃなくて、アンタ達のせいだもの」
「は!? 被害が出ないように殺しておこうとする私の邪魔をしているくせに、言うに事欠いて責任が我らにあるだと!? ふざけるのも――」
「違う! そうじゃないわ! 魔族が人間を襲うことがあるとすれば、アンタ達のその対応のせいだって言ってるのよ!」
「……………………?」
フレイの言っていることの意味がわからず、小隊長の男が思いきり眉をひそめる。魔族や魔物に出会った時の対応などそれこそ何百年、何千年も前から一度として変わったことなどないのだから、それが悪いなどと言われて理解できるはずもない。
だからこそ、フレイもまた剣を納めて小隊長の男にまっすぐに向き合う。
「たとえば……そうね。アンタ、人間同士の戦争に参加したことある? あー、実際に戦ったことはなくても、戦争の規律とか心得とか、そういうのを教えられたのでもいいわ」
「それは……戦争の経験はありませんが、規律や心構えは当然教えられておりますが」
「そう。ならそこに『敵国の人間は全て敵なので、どんなことをしても構いません。いずれ敵になる可能性があるので町や村を見つけたら積極的に襲い、老若男女問わず一人残らず皆殺しにしなさい』みたいな方針とかある?」
「なっ!? あるわけないでしょう! いくら勇者だからって、我が国をそのような下劣な国と罵るのであれば――」
「だから違うって! ないんでしょ?」
「当たり前だ!」
背後にいる魔族達がビクッと体を震わせるほどに力の籠もった、小隊長の男の怒鳴り声。だがそれを正面から受け止めたフレイは、怯むどころかむしろ満足そうに頷いてみせる。
「そうよね、当たり前よ。だから戦争の恨みは、そこで止まるのよ」
「止まる?」
「そう。戦争になれば兵士達は死ぬわ。そして死んだ兵士には家族や恋人、友人がいるでしょう? そう言う人達は当然自分の大切な人を殺した相手を恨むだろうけど、だからってどうしても相手を探し出して復讐してやろうなんて人、あんまりいないと思わない? 何で?」
「何でって……戦争ともなれば参加する兵士は何千人といるわけですから、そこで特定の相手を見つけるのは難しいからでは? そもそも有名な将でもなければ誰が誰を殺したかなどわからないでしょうし」
「うん、そうね。じゃあそこで相手を特定できないから、敵国の人を無差別に殺そうなんて思う人が滅多に出てこないのはどうして?」
「それは……そんなものはただの八つ当たりでしかないからでしょう。そんな理由で民間人を襲ったりすれば、同じように身内を失った者からすら賛同など得られるはずもない」
「うむうむ、その通りね。じゃ、ここで追加の質問。もしその敵国がさっき言ったような非道な行為を……目に付く町や村を片っ端から襲ってお年寄りだろうが赤ちゃんだろうが問答無用で皆殺しにするような奴らだったらどう?
自分がそんな体験をしたら……兵士とかそんなの関係なく、敵国の存在だってだけで殺したいほど憎むと思わない?」
「むっ……それは、まあ……」
軍人である以上、上から命令があればそのような非道な行為だろうと行う必要があるし、だからこそ敵がそうしたからといって実際に手を下した兵士すら憎んでも意味がないことは理解できる。
だが、理屈で理解していても心が伴うかは別だ。実際に手を出すかはともかく、そんな国で平然と暮らす国民を非難し見下すくらいはするだろうと兵士の男は考え……そこで改めてフレイの方を見る。
「一体さっきから何の話をしているのですか?」
「あら、ここまで言ってまだわからない? 今この状況のことよ」
言って、フレイはバッと両手を広げてみせる。その背後にあるのは、固唾を呑んで状況を見守る魔族達の姿。
「魔族にとってのアンタ達が単なる敵国の兵士なのか、それとも冷酷な殺戮者なのか……今この瞬間が、その分水嶺よ」
対立する魔族と人間、そしてその間に立つ勇者。そこにあったのは正しく世界の縮図であった。