蛙男、参戦する
「……………………」
「ぐあっ……くそっ、人間が……っ!」
魔族領域にある、何の変哲も無い村。突然襲撃してきた妙な鎧を着た兵士の一撃に、黒狼族の戦士が血を流して倒れ伏す。自慢の爪も牙も敵の着た鎧には文字通り歯が立たず、魔力を宿した毛皮は青く光る敵の刃にあっさりと引き裂かれてしまった。
「……人間、か」
そうして最後に戦士が口にした怨嗟の言葉に、それを切り倒した兵士は皮肉げに小さく呟く。他の兵士達が薄鈍色に青い線の入った魔導鎧を着ているのに対し、その男だけは翡翠のような色の特注品を身につけている。
「隊長、こちらは終わりました」
「そうか。生き残りは?」
「大丈夫ですよ。きっちり確認して、一匹残らず殺しましたから!」
「……そうか」
部下からの報告に、男は言葉少なにそう答える。元々は陽気で多弁だったはずなのに、最近はすっかり声を出すことが少なくなった。
それは決して正体を隠すためだけではない。そのことを男は誰よりも自分自身で理解している。
「なら、遺体……じゃない、死体を片付けたら全員に小休止だと告げろ。それが終わったら次の場所に向かう」
「わかりました」
部下にそう指示を出し、男もまた近くの地面に腰を下ろす。その視線の先で部下が魔族達の死体を集めて焼いているのを見つめながら、男……ゲコックはこれまでのことを思い出していた。
「小隊長!? 俺がですか!?」
皇帝マルデの呼び出しに応えて会議室へとやってきたゲコック。そこで耳にした指示は「魔族領域へ攻め込む兵士達の小隊長として参戦しろ」というあまりにも予想外のものだった。
「何だ、小隊長では不満か? 悪いが流石に表だった実績の無いお前を一〇〇人長には据えられないぞ?」
「いや、そういうことじゃなくて……魔族の俺が、魔族を攻める部隊の隊長っていうのが……」
「お前の目的は下克上なのだろう? なのに同族を敵とするのは躊躇われるのか?」
「それは……そんなことはないですけど……」
そもそもここにいる時点で、ゲコックは魔族を裏切っている。それに魔族と言ってもその範囲はかなり広く、種族が異なれば争い合うことすらあるのだから、それらと戦うことに特に抵抗を覚えるわけではない。
だがそれでも、自分が先兵となって魔族と戦うということには軽い抵抗を覚えなくもない。まさかここで自分を使い潰し、都合の悪い事実を消すつもりかという疑念を抱くゲコックに、マルデは小さく笑って見せる。
「ふっふっ、納得しない顔だな。本来ならば『命令だ』の一言ですませてもいいんだが……お前には期待しているからな。きっちりと説明してやろう。
お前は魔族だ。しかもちょっと姿を変えれば人間に見えるとかではなく、何処からどう見ても魔族だ。蛙人族などという種族は獣人の中にもいないからな」
「はぁ。まあそうですね」
魔族と人間、魔物と獣の違いは体内に魔石を宿しているか否かだ。獣人や精人のなかにはなんとなく体内の魔石の存在を感じ取れる者もいるようだが、基本的には体を切り裂かれでもしなければ魔石の有無など確認しようがないのだから、魔族が見た目の近い人間種族になりすますのはそう難しいことではない。
が、流石に蛙人族ほどの特徴的な種族となると未知の獣人だと誤魔化すのは無理がある。それは当然ゲコック自身もわかっており、だからこそしばらく姿を隠していろというマルデの指示に大人しく従っていたのだ。
「で、だ。今現在我らは魔族と戦争中なわけだが……この戦争が終わったら、その後はどうなる?」
「後ですか? えっと……勝った方が負けた方を征服する?」
「当たり前だ馬鹿。そうではなく、その場合どうなるかを聞いているのだ」
「ええぇ……何だ? 負けた方を手下にしてこき使うとか?」
呆れた顔で言うマルデに、ゲコックは必死に考えてそう答える。それくらいがゲコックの限界であり、マルデは小さくため息をついてから言葉を続けた。
「まあ今はそれでよかろう。我らが勝った場合、魔族領域は人間によって統治されることになるだろう。そしてその場合、魔族達はお前の言う通り下の下……事によっては公には廃止されている奴隷のような立場になる可能性もある。
だが、その時お前はどうなる?」
「俺ですかい!? 俺は陛下に協力してるんですから、特別じゃ?」
「そう、特別だ。だが戦争が終わった後で、誰も知らない魔族を『こいつは以前から協力してくれていたから特別だ』と言って、それに皆が納得すると思うか? 昨日まで自分達と殺し合っていた相手が、いきなり自分より上になるんだぞ?」
「それは……確かに面白くないですね」
もしも自分が魔王軍に所属したままで、人間達を攻め滅ぼした後で突然魔王様が見知らぬ人間を引き連れ「こいつは昔から人間の協力者だったから、今日からお前達の上司、新たな四天王……いや、五天王だ」なんて言われて納得出来るとは思えない。
「だろう? だからこそ戦争が終わる前ではなく、戦争が始まる今、お前が活躍しておく必要があるのだ。
無論この段階で正体を明かしてしまえば軍内部に混乱が起こるし、お前自身もやりづらいだろう。だから特注の魔導鎧を用意し、お前の正体は絶対にわからないようにして小隊長として最前線で活躍してもらう。魔導鎧の力とお前の戦士としての力量があれば、そう危険はないだろう。
そうして戦場で肩を並べて戦ったとなれば、戦後にお前を『魔族の協力者』として発表しても受け入れられやすくなる。何故ならお前は『突然現れた魔族』ではなく『ずっと一緒に戦っていた仲間』だからだ」
「なるほど。確かにそれなら納得いきますね」
『流石皇帝陛下っすね! 兄貴の次くらいに凄いっす!』
頷くゲコックに合わせて、彼の腰でコシギンがクネクネと触手を揺らす。その様子に満足げに頷くと、マルデは更に言葉を続けていく。
「まだあるぞ。お前の存在を公表することで、当然あるであろう魔族の反発も効果的に抑えることができる。お前は我らの力をいち早く悟り、できるだけ少ない犠牲で戦争を終結させるために努力した『裏切りの英雄』となるのだ。
同胞の犠牲を減らすため、泣く泣く同胞を切った悲劇の戦士。そしてその勝利の褒賞は、魔族側の待遇の保証。お前が自らの功績の全てを費やして魔族が奴隷になるような未来を阻止するのだ」
「ええっ!? お、俺そんなこと考えたこともないですよ!?」
『スゲーぜ兄貴! やっぱり兄貴は最高だぜぇ!』
「待てよギン、だから俺は――」
いつも通りのコシギンの賞賛も、今はちょっと違う。慌てて訂正しようとするゲコックを、しかしマルデの声が制する。
「いいのだ。お前がどう考えているかではなく、これは余の計画の一環だ。実行当初はお前を非難する声の方が上回るだろうが、実際にそれによって魔族側の待遇がよくなれば次第にお前に感謝する声が増えていくことだろう。
それがある程度高まったところで、余がお前を魔族と人間を仲立ちするような立場に徐々に押し上げていく。その結果……
お前は次の魔王になるのだ。世界の仕組みが選んだ魔王ではなく、全ての魔族から請われて就任する、真の魔王にな」
「俺が……魔王……?」
自分の顔をまっすぐに見つめるマルデの瞳。そこに籠もった力と意思がゲコックの魂を揺さぶっていく。
「そうだ。お前の望み、下克上の頂点。魔王ゲコックの誕生だ」
「魔王……魔王ゲコック……っ!」
『スゲースゲー! あまりにも凄すぎるぜ兄貴ぃぃぃぃぃぃ!!!』
噛みしめるように呟くゲコックと大はしゃぎするコシギンの姿を、マルデは悪魔のような笑みを浮かべて見つめていた。