父、海底基地を調べる
ニックが遺跡の内部に踏み込むと、そこに待っていたのは長い直線通路とその脇に並ぶ無数の横引きの扉であった。試しにその一つに手を掛けてみると、軽い手応えと共にスッと扉が開いていく。
「開いているのか。まあフレイ達が探索したのであれば当然だが……ふむ?」
十分に警戒しつつニックが部屋の中を覗き込むと、そこには魔竜王の墓所の地下にあったものと同じような金属製の箱が大量に並んでいる。
「またこの箱か……前も思ったが、これは一体何なのだ?」
『ああ、これは内部に圧縮した情報が刻まれているのだ。専用の魔導具を通さねばその内容を知ることはできぬが、この箱一つで紙の本なら数千、数万冊となるような情報を収納できる優れもの……らしい』
「ほぅ、そうなのか! ……ん? らしいというのは?」
オーゼンの言った言葉尻を捉え、ニックは首を傾げて問い返す。それに対するオーゼンの答えはやや苦々しいものだ。
『我がいた頃のアトラガルドでは、このような装置は存在しなかったのだ。構造を調べた結果そういう機能があるらしいということはわかったが……我が調べたのは自爆騒ぎで魔力回路を破壊されたものだけだからな。
故に改めて調べてみなければ断言できないという、まあそれだけのことだ』
「なるほど、そうか。ならばどうする? これを調べてみるか?」
『いや、先に他の部屋を全て調べてからにしよう。もしここにもあの遺跡のような機構が存在し、これを調べるだけで全情報を消そうとされたりしては事だからな』
「わかった。では次の部屋に行ってみるか」
オーゼンの言葉に従い、ニックは次々と別の部屋も調べていく。そうしていくつかの部屋を巡っていくと、やがて大量に紙の本が存在する部屋に当たった。
「これは……っ!?」
『素晴らしい! おい貴様よ、早く書架に近づくのだ!』
「うむ」
激しく興奮するオーゼンに促され、ニックは近くの書架から本を一冊取り出し手に取る。だがそこに書かれている文字は残念ながらニックには読めない。
「古代文字、か。まあ当然だが。聞くまでも無いとは思うが……」
『無論読めるとも! これは……「何でもいいを打開する! 魅惑の献立一〇〇選」だな』
「……何故料理の本がこんなところにあるのだ?」
てっきり高度な技術や歴史を伝えるような本だと思っていたばかりに、オーゼンから伝えられたその表題にニックは困惑の表情を浮かべる。
『それは……何とも言えんな。料理も貴重な文化であるし、保存する意義がないとは言わんが。
あるいは真に重要な情報は先程見た金属の箱に収められており、こちらは生活や文化を伝えるためにあえてそういう本を保管しているという可能性もあるな』
「おお、そういうことか」
その言葉に納得しつつ、ニックは部屋を見回す。そこには明らかに人が長時間過ごした生活の跡が残っており、近くにあるテーブルには読みかけと思われる本がそのまま放置されている。
「読みかけ……ということは、そうか。古代文字を読めるようになったのか」
かつての旅の途中で、ニックはムーナから古代文字……アトラガルドの文字について話を聞いたことがある。その時のムーナの言葉は「参考になる資料がなさ過ぎてどうしようもない」というものだった。
だが今ニックが手にしている本は、ページのたわみ具合などからかなり熱心に読み込まれた形跡がある。たゆまぬ努力を重ねたであろう仲間に強い敬意を抱きつつ、ニックはオーゼンに問いかけた。
「これだけの本が……資料となる文字があるのであれば、ムーナならば読めるようになったのかも知れんな。なあオーゼン、この本は何という本なのだ?」
『む? それは……………………』
ニックに言われて本の表題を読んだオーゼンは、しかしそこで言葉を詰まらせる。
「何だ? 何と書いてあったのだ?」
『うむ。その本の表題は……「女性の欲求不満を解消する四八の指技集」だ』
「お、おぅ。そうか……」
告げられた内容に、ニックはそっと本をテーブルの上に戻す。大人の女性であるムーナがそういう気分になることを否定などするつもりはないが、かといってムーナがこれを熱心に読んでいたというのは正直知りたくない情報であった。
『……とりあえずここはこのくらいにして、他の部屋を見て回るか?』
「ああ、そうだな。そうしよう」
それ以上はお互いに口を開かず、ニックは図書室、あるいは資料室とでも呼ぶべき部屋を後にする。その際オーゼンの中に「もしその本を読んでいたのが貴様の娘だったら――」という問いが浮かんだが、それを口にすることはない。
好奇心は竜すら殺す。ニックがその程度で怒るとは思わなかったが、いらぬ不興を買うほどオーゼンは愚か者ではなかった。
そうして更に扉は開けられていく。だがその後はこれといった発見もなく、最後に辿り着いたのは長い廊下の突き当たり。閉じている扉にニックが手を掛けたが、今までと違い固い感触が返ってくる。
「む? ここは鍵が閉まっているのか?」
『ふむ。この作りだと……おい貴様よ、その扉の横にある出っ張りに我を押しつけるのだ』
「ここか?」
似たようなやりとりは何度も繰り返しているだけに、ニックは腰の鞄から取り出したオーゼンを迷うこと無く扉横の出っ張りに押しつける。そのまましばらく待つと、ニックが動かすまでもなく目の前の扉が音も無く横にずれて開いた。
「これはまたわかりやすいな」
開いた扉の中に入って、ニックは思わずそう漏らす。そこは壁面に光る幻影窓が立ち並ぶ作りで、地下遺跡やYggdrasill Towerの最深部とほぼ同じであったからだ。
『…………………………………………』
「オーゼン? どうしたオーゼン?」
『緊急時……情報保全施設……』
「む?」
『緊急時情報保全施設、海底基地シズンドル。それがこの施設の名だ』
「情報保全……ということは!?」
『ああ。ここにならば、アトラガルドが滅んだ理由が……その情報が残っている可能性が高い。というか、ここになかったら世界中何処を探しても無いかも知れぬくらいだ』
書架を見つけた時とは比べものにならないほどの興奮がオーゼンの意思を泡立たせ、金属製の体があふれ出す魔力でフィィィンと硬質の音を立てて震える。
「遂にか……やったなオーゼン」
『ああ。遂に……遂にだ。貴様と共に旅に出て、もうすぐ二年……それまでの一万年の停滞を考えればあっという間とも言えるが、それでも遂に、我が望みが叶う。
調べるぞ、ニック。たとえどれほどの時間がかかろうとも、安全に確実に情報を引き出さねばならぬ』
「うむ。慎重に行くことに何の異論も無いが……だがその場合、またここに長期間の足止めになるのであろうか? できれば三日後くらいに、最低一度は娘の動向を確認しておきたいのだが」
『むぅ……そう、だな。確かにそれも重要だ』
オーゼンとしては今すぐにこの施設の調査に専念したいところだったが、かといってニックの事情を蔑ろにするつもりもない。相棒への感謝を忘れ己の欲望を貫くなど、誇りあるアトラガルドの至宝が取るべき手段ではない。
『わかった。ならばとりあえず三日前後で一度調査を切り上げられるように意識しておこう。後は……そうだな。できるだけ急ぎたくはあるが、一旦地上の町に戻って適当な場所を「銀の鍵」で登録しておくがいい。そちらならば我が調査をしている間も使えるからな』
王の鍵束の本体ともいえる「金の鍵」は、オーゼン自身が王能百式を発動させなければ使用することができない。だが「銀の鍵」と「銅の鍵」はその限りではなく、以前のようにオーゼンそのものに異常がでなければオーゼンをここに置いたままでも使うことができるのだ。
「わかった。お主をここに放置する気はないが、それでも備えはあるに超したことはない。地上に出る方法があるならば、最悪の状況でもここを破壊せずにフレイ達の所に行けるしな」
『……うむ、備えは大事だ。万全にすべきだな』
もしもフレイの身に何かあった場合、ニックは躊躇うこと無くそこに向かう。それ自体は問題ないが、この施設が海底にある以上、そこから地上にまっすぐ進まれたら施設に大穴が空いて水没するのは必至だ。
もしそうなった場合ニックが無理矢理オーゼンを引き剥がして行くのか水底に沈んでいくオーゼンを後で探しに来るのかはわからないが、どちらにしてもオーゼンの知りたい情報が施設と共に水泡に帰すのは変えようのない事実だ。
『よし、方針が決まったならば早速動くぞ。我は今貴様の筋肉がひと震えするほどの時間すら惜しいのだ!』
「わかったわかった。では早速一旦地上に戻るとするか……とはいえここの扉は鍵穴がなくて『王の鍵束』は使えんから、一旦魔導船まで戻るしかないが」
『何だと!? 扉を! あの扉をまた使えばいいではないか! 確か貴様はあの時一〇枚の扉を職人に発注していたはずだ!』
「確かにまだ扉は持っているが、魔導船まで戻ってもほんの一〇分もかからんではないか」
『その一〇分が貴重なのだ! 早く! 早くするのだ!』
「フッ、わかったわかった。ではそうするか」
早く遊びに行きたいとせがむ子供のようなオーゼンに、ニックは苦笑しながら魔法の鞄から枠付き扉を一つ取り出し、壁に立てかけるのだった。