父、入れ違う
その後、ニックは約束通りマルチナの手引きでホドホドーニ王との会談を改めて行ったり、イツカ王子に旅の話を語って聞かせたりして賑やかで楽しい夜を過ごした。
翌日はイツカ王子に「もっと話を聞かせて欲しい」とねだられ嬉しそうに困りながらやや遅めに城を出て、毒沼の薬草採取をあっさりと完了させる。
王城からきちんと通達がでていたらしく、平謝りする受付嬢に苦笑しながら「気にするな」と伝えて依頼を完了し町を出ると……その姿は街道から離れた森の中にあった。
「ふむ、この辺でよかろう」
誰にともなくそう呟いたニックが魔法の鞄から取り出すのは、石造りの壁に取り付ける用の木枠にはまった扉だ。
『まさかこんな方法で鍵束を使うとはな』
「そうか? 儂としては実に理に適った使い方だと思うのだが」
ニックの持つ「王の鍵束」の発動には、どうしても扉が必要になる。だがすぐに戻るつもりがない場合、宿などを借りてそこから跳ぶのは「客が突然いなくなる」という問題が生じてしまう。
かといってかつてオーゼンが提示したように、適当な建物の扉を利用するのも微妙だ。扉の向こう側は既に跳んだ先なので不法侵入しているわけではないのだが、それはあくまで利用者の主張であり、第三者が目にすれば見知らぬ誰かが勝手に建物に入ったと思われて当然だ。緊急事態であればそれもやむなしだが、余裕があるのであればできるだけ他者に不信感を抱かせるような行為はするべきではない。
そこでニックが考えたのが「枠のついた扉をそのまま持ち歩く」という方法だ。魔法の鞄を持っているからこその方法ではあるが、これならば何処からでも「王の鍵束」を使って跳ぶことができる。
当然跳んだ後で放置された扉は壊れたり移動させられたりする可能性があるため何らかの保護手段を考えないのであれば基本的には片道通行となってしまうが、戻る場合はそれこそ町の厠の扉にでも戻ればいいので、扉のみの大量注文に不審そうな顔をする職人に笑顔で仕事を頼める胆力と、普通に銀貨の値がつく扉を使い捨てに出来る財力があるのであれば、極めて有効な移動手段であった。
「では、フレイの所に跳ぶぞ……むーん……………………」
かつて一度成功(?)させた時のように、ニックは一心に意識を娘に向け、集中する。だが今回は前回以上にその気配が捕らえづらく、おおよそ五分ほどそのままの状態が続いたが……遂にカチャリと言う音と共に、ニックが手にしていた金の鍵が回る。
「よし! では行くぞ…………むぅ?」
そうして扉を開いた先にあったのは、随分と薄暗い部屋だった。背後から差し込む太陽の光に照らされた室内には窓の一つすらなく、扉を閉めてしまえば真っ暗になることが予想される。
『暗いな……昼間でこの暗さということは、何処か閉鎖された空間なのか?』
「フレイ達は今、海の底にいたはずだ。おそらくこの施設がそうなのではないか?」
『なるほど海か。であればこの暗さも納得だな』
魔法の鞄からランタンを取り出して明かりを灯しつつ、ニックは後ろ手に扉を閉めて室内を観察していく。そこには明らかな生活の跡があり、ここで娘が寝起きしていたことは間違いないと思われた。
「だが妙だな。近くに人の気配が全く無い」
『こんな場所に大勢の人が暮らしている方が不思議ではないか?』
「そうではない。娘達の気配も無いのだ」
『そうなのか? まあどちらにしろ、最初にやるべきは周囲の探索であろう』
「だな。大丈夫だとは思うが、一応慎重に行こう」
オーゼンとの短いやりとりを経て、ニックはその場所を探索していく。すぐにムーナやロンが暮らしていたであろう部屋も見つけ、動力室や舵輪のようなものが据え置かれた部屋なども見つけたことからここが魔導船の中であることを突き止め、そのまま外に出ると……暗い船内とは打って変わって眩い光に満たされたそこには圧巻の光景が広がっていた。
『これは……アトラガルド時代の施設、か? まさか海の底にこのような完全な状態で残っているものがあるとは……』
船着き場から見えたその景色に、オーゼンが驚きに満ちた声をあげる。その気持ち自体はニックも同じだが、表情の方は微妙なままだ。
「むーん……」
『どうしたのだ貴様よ? 我らが探していた場所とは違うが、これほどの場所であれば我が求めていた情報もあるかも――』
「いや、やはり娘の気配がないのだ。少なくともこの近辺……この建物の内部には生きた人間の気配は一つも無い」
『…………それはもしや、貴様の娘の身に何かあったということか?』
「それは無い」
心配そうなオーゼンの言葉に、ニックは一瞬の迷いもなく断言する。もしも娘の身に何かあったのであれば、ニックならばたとえ世界の果てだろうとすぐにわかる。
だが、ここにフレイの気配がないことも事実。ならばとニックはもう一度真剣に娘の気配を追いかけ……そして気づく。
「……何?」
『どうした? 何かわかったのか?』
「フレイの気配が、かなり遠くにある。これは……魔族領域の方か?」
『……いや、待て。魔族領域と言えばここからだと世界の反対側とでも言うべき場所だぞ? 何故そんなところにいる娘の気配が感じられるのだ?』
「? 何を言っておるのだオーゼン。娘の気配であれば、世界の果てだろうが違う世界だろうが感じられて当然ではないか」
『ああ、そうか。まあ、うむ。貴様だからな。それはいいが……つまりはどういうことだ?』
「あくまでも予想だが、そっちに気配があるというのであれば、儂が言うまでもなくフレイ達が自力で現状に気づき、兵士達の応援に向かったのではないだろうか?」
『と言うことは……』
「入れ違いというか無駄足というか、そういうことだな。魔導船を放置した理由は、おそらく事が終わった後に『鍵』でここに戻るためであろう」
導き出した結論に、ニックは思わず苦笑いを浮かべる。それは娘の成長への喜びであり、自分の過保護さに対する皮肉だ。
ちなみにだが、ニックがここに跳んでしまったのはフレイ達が転移先からすぐに移動を開始していたことと、フレイ達がここに滞在していた時間がかなり長かったこと……つまり色濃く気配が残っていたことが原因である……閑話休題。
「まあ、詳しいことは数日すれば何処かの町の『ぼうけんのしょ』で確認できるだろう。そこで全く予想外の動きをしているようだったら、改めてまた会いにいけばいい」
『ふむ、貴様がそれでいいというのであれば我に異論はない。だが、そういうことであれば……今は時間があると思ってもいいのだな?』
「ふふふ、これほどの宝を前に、お主に我慢せよとは言えまい」
期待するようなオーゼンの声に、ニックは小さく笑って答える。目の前にあるのは完全に形を残した古代遺跡。であればここにも大量の情報が残っていることが期待できるし、そこにオーゼンの知りたい過去がある可能性は十分にある。
「よし、では早速中に入って調べてみようではないか」
『うむ! ただし、慎重にな。また自爆などされては目も当てられん』
「あれはお主が失敗したからではないか。別に儂が壊したわけではないぞ?」
『……そういう側面があったことも認めないこともなくもないが、それはあくまで我が能動的に動いた場合のみだ。貴様の場合うっかりその辺を殴り壊したりしそうだからな。どちらかというのであれば貴様の方が気をつける割合は高いであろう?』
「むっ、それはまあ否定せんが……オーゼンお主、最近ちょっとズルい言い回しなどが増えておらんか?」
『なっ!? 貴様、我を愚弄するか!』
思わず声を荒げるオーゼンに、ニックは喉の奥から小さな笑い声を漏らす。
「くっくっく、そういう人間らしい反応が増えていると思っただけだ」
『ぐぬぅ……我は偉大なるアトラガルド最高の魔導具なのだぞ! その我にそのような物言いをするとは……っ!』
「いいではないか。儂はそういうオーゼンも嫌いではないぞ」
『……ふんっ!』
人に近しい心を持つのは、果たして堕落か進化か。拗ねたように無言になるオーゼンに、ニックは軽く鞄を叩いてから大口を開ける遺跡の中へと侵入していった。