多才王妃、相談する
「そう言えばニックさん。娘さん……勇者様が今どこで何をしているかってご存じなのかしら?」
その後しばらく雑談を続けたところで、ふとマルチナがそう聞いてくる。何かを伺うような視線だったが、残念ながらニックは期待に添えるような答えは持ち合わせていない。
「娘か? すまんが儂が知っていることは『ぼうけんのしょ』で知らされることと同じだな」
「あら、そうなの? 娘さんと連絡をとったりしないのかしら? それとも連絡できない事情があるとか?……って、ごめんなさい。他人の家族の問題に踏み込みすぎね。謝るわ」
「ハハハ、別に構わんよ。娘と別れたのは去年の春だったが、特に仲違いしたとかそういうことではない。単純にあの子が成長し、親である儂の助けを必要としなくなったというだけのことだ。
その後連絡をとらなかったのは、そういう娘の成長への思いを邪魔したくなかったからだな」
「ああ、そういうこと。確かに子供の成長ってあっという間だものね。ウチの子もそうだったわ。気づいたら大きくなってて……」
「おお、マルチナ殿にも子供がおられるのか」
「そりゃあ王妃だもの。お世継ぎを産むのはほとんど義務みたいなものよ。最初は仕事の邪魔になるかもってあんまり気は進まなかったけど、産まれてみたらすっごく可愛いしね。イツカって言うの。後で紹介するわ」
「それは楽しみにさせてもらおう……っと、話が逸れたな。そういうわけで儂も娘の細かい動向までは知らんのだが、それがどうかしたのか?」
そう話を切り返したニックに、マルチナの表情がやや曇る。
「実は……こんなことを言うのは国の恥なんだけど、最近どうも兵士達の間で勇者様に対する不穏な評判が広がっているみたいなの」
「そうか……それなら儂もついさっき直接耳にしたばかりだ」
そう言ってニックは昼に食堂であったことをマルチナに話していく。するとマルチナの顔が青ざめ、ニックが犯罪者のように引き立てられて来た時よりも更に悲壮な様子で深々と頭を下げた。
「ごめんなさい。我が民の無礼を王妃として正式に謝罪します。我が国は決して勇者様の行動を批判する意思などないし、そのような言動に対しては厳しく処罰することを約束します。さしあたっては町に衛兵を――」
「いやいや、頭を上げてくれ。そんなことをして欲しいわけではないし、ましてや責め立てるつもりなどないのだ。嘘を吹聴して回っているというのならともかく、単に自分の行動を批判するだけの相手を処罰するなど、フレイも望まんだろうからな。
むしろそんなことをすると言い出したら儂がいって叱ってやらねばならないところだ」
「ふふ、やっぱりニックさんは大きな人ね。勇者様も……でも、そうも言っていられないのよ」
冗談めかして言うニックに、しかしマルチナの表情は優れないまま。それが事態の深刻さを現しているようで、ニックもまた真剣な表情でマルチナに向き直る。
「町の酔っ払いくらいなら、正直そう問題でもないわ。有名人や権力者をお酒の勢いで悪し様に言うなんて珍しいことじゃないもの。勿論それを人の多い場所で昼間から声高に叫ぶのは問題だけど、少なくともこの国ではわざわざ探し出してまで処罰したりはしないわ。
でも、それが城の兵までとなると話が違う。不安や不満は上から一気に広がるか下からジワジワ浸透するかのどっちかだけど、城の兵士は丁度その中間くらいにいるの。つまりそこでこういう話が広がってしまうと……」
「なるほど、上にも下にも勇者を批判する感情が広まっていくわけか」
ニックの言葉に、マルチナが無言で頷く。その真剣な眼差しの裏には拭いきれない不安と不信が揺れている。
「ニックさんも知っていると思うけど、今世界各地で魔導鎧が生産されて、それを着た各国の兵士達が次々と魔族領域に攻め入ってるわ。昨日届いた早馬での連絡からすると、どうやら私達人間の領域と魔族領域を隔てていた深い森を遂に抜けたって連絡が届いてるの」
「ほぅ、あの森をか! それは凄いな!」
マルチナの言葉にニックは賞賛の声をあげる。世界を二つに分かつかのように魔族領域入り口に横たわる森は危険な魔物や動植物に溢れかえっており、その脅威は徒党を組んでも防ぎきれるものではない。
それは物資を運搬するような者にまで「強者」であることを求めるということであり、だからこそ今までは少数精鋭、それこそ金級冒険者が率いるパーティなどが森の手前三分の一くらいまでを探索するのが精々というのが常識だった。
だが、魔導鎧の力により全員が精強な兵となった人間の軍が、遂にその境界線を突破した。それは歴史に残る快挙であり、同時に歴史の転換点でもある。そんな快挙の報告であるというのに、マルチナの表情はやはり冴えないままだ。
「そう、凄いの。凄いからこそ、そこに勇者様がいないことが際立ってしまっているのよ。
今までの魔王討伐の旅は、基本的に勇者様に任せっきりで私達は遠くで見ているだけ、応援するだけだったわ。でも今回は各国の兵士達が大活躍してる。それはつまり、今まで何処か他人事、物語を遠くから見ているだけのようだった状況が、自分の同僚、家族、恋人の関わる現実に成り代わったってことなの。
傍観者から当事者になったことで、民の視点が変わってしまった。今までなら見守ることのできた勇者様の行動が、今は待てなくなってしまった。自分に近しい人達が命を賭けて戦っているのに、どうして勇者様は何もしないのか? 一緒に戦わないのかってね」
「……やはりそこに行き着くのか」
人が抱く不満に、身分や立場は関係ない。だからこそ分け隔てのない勇者への不満は、ニックの胸に深く突き刺さっていく。
「特に兵士達は今も続々と戦場に送られているから、尚更ね。きちんと注意はしているけれど、人の心の中までは変えられないし。
そして、これはとても危険な兆候なの。だってそうでしょう? 今は確かに魔導鎧が力を発揮して魔王軍を押しているけれど、それが本当にずっと続くと誰が保証してくれるの?
このまま勇者様を批判し続けて、でも何処かで魔導鎧の力が通用しなくなったら、その時勇者様は私達のために戦ってくれるの? 今までずっと戦ってくれてたのに、それに感謝するどころかもう必要無いと罵倒した私達が手のひらを返して、もう一度助けを請う? そんなみっともない真似できるわけないじゃない!」
バンと、マルチナがテーブルを叩く。その勢いで高級なカップがカチャカチャと音を立てて純白のテーブルクロスにこぼれたお茶が染みを広げていくが、そんなことをマルチナは気にしない。
「政治の世界で見れば、今年三十になったばかりの私なんてまだまだ小娘扱いよ。ましてや女性……それも女王ではなく王妃であれば、どうしたって軽く見られるのは仕方がないわ。
でも、そんな事に甘えていられないの。自分より年下の女の子が頑張ってるのに、椅子でふんぞり返って命令してるだけの私達がそれを見てるだけなんて絶対にあり得ないわ!
だから私は戦うの。ニックさんが私の代わりに妹達を助けてくれたように、私は私の立場でニックさんの娘さんを助けるわ。
だけど、それにも限界がある。どれだけ擁護しようとしても最低限勇者様が姿を現してくれないと、私としても動きようがないのよ。だからニックさん、どうにかして勇者様を戦場に引っ張り出せないかしら?」
「ふーむ……できないことはないと思うが……」
「本当!?」
難しい顔をして唸るニックに、マルチナがその場で立ち上がり、身を乗り出して言う。それほどまでに状況は切羽詰まっていると感じていたのだ。
「う、うむ。確実とは言えぬが、連絡を取る手段に心当たりはある」
「そうなの! よかったわぁ。冒険者ギルドには招集依頼を出してるんだけど、少なくともこの一ヶ月は何処のギルドにも勇者様は現れていないっていうし、そもそも『ぼうけんのしょ』では海の底にいるなんて言われてるしで、どうしたらいいかずっと悩んでいたのよ! 流石は勇者様のお父様ね!
……ちなみに、どんな方法で勇者様と連絡を取るのかしら?」
「それは勿論……父の愛だ!」
「……あー、そうなの」
満面の笑みでそう言い切ったニックに、マルチナは再び椅子に腰を落とすと微妙に引きつった笑顔で返した。自分も人の親となりはしたが、母の愛では世界の果てどころか隣の部屋にいる息子にも思いを届けることはできそうにない。幼い日の息子が寂しさを我慢できずに自分の執務室に飛び込んできたのがつい昨日のことのようだ。
「まあいいわ。それじゃ、勇者様のことはお願いね! 戦場に立ってさえくれれば、後は私が民や兵士達の不満を必ず抑えてみせるから」
「わかった、そちらは任せよう」
力強くそう断言したマルチナに、ニックもまた頷いて返す。救った者、救われた者、これから救う者、救おうと動く者。それぞれの立場と思いが互いに強い信頼関係を生み出し、どちらからともなく差し出された手をもう一人がガッシリと握り返す。
「そういうことならば、動くのは早い方がいいか。と言っても昼間受けてしまった依頼は片付けねばならんから、どんなに早くても明日以降となってしまうが……」
「そういうことなら今夜はお城に泊まるって事でどう? 今の話も含めて陛下にきちんとニックさんを紹介したいし、あと息子の顔も見せたいしね」
「そういうことなら、お言葉に甘えよう……今だと町で宿は取れんだろうしな」
「…………あー、本当にごめんなさい」
流石に手配犯扱いで町中を引き回された直後では、まともな宿は取れない。気づけば夜の帳が半分ほど降りてきていた今から御触れを出したところで、それを民が目にするのは明日以降だろう。
「いいわ! こうなったらニックさんには最高級のおもてなしをしてあげる! 何がいいの? 肉! お酒? それとも美女かしら? それならウチの妹なんかお勧めよ?」
「美女とキレーナ王女は遠慮させていただくが、肉と酒は楽しみにしておこう」
「あら残念」
苦笑しながら言うニックに、マルチナはそう言って悪戯っぽく笑うのだった。