父、謝られる
「貴方、えっと……警備隊長のマエノメリーだったかしら? この状況を説明して頂戴」
「ハッ! 以前に王妃様よりいただいた人相書きに該当する冒険者が冒険者ギルドにのこのこ現れたとの通報を受け、連行して参りました!」
マルチナ王妃の言葉に、マエノメリーが誇らしげにそう言って胸に手を当て敬礼する。だがそれに対するマルチナの反応はこれ以上無い程に苦々しい。
「ハァ……ねえマエノメリー。その指示は誰から聞いたの?」
「はっ? それはその、騎士団のソコッツ殿からですが……」
「ああ、あの子……なら最後にもう一度だけ確認するわ。貴方はソコッツから、犯罪者を手配するような形で彼を拘束するように言われたのね?」
「ええと……その、多分……そうだったのではないかと……」
ジッと自分を見つめる王妃の瞳に、マエノメリーは額から嫌な汗を流しつつそう答える。この時点で自分が何か致命的な失態を犯しているのではないかと思わないほどマエノメリーは楽観主義者ではなかった。
「申し訳ありません王妃様。自分はその、何か失礼なことを致しましたでしょうか……?」
「そうねぇ……あ、さっき最後と言ったけどもう一つだけ確認させて。こちらの方は貴方に何と名乗りましたか?」
「名乗りですか? 単にニックとだけ……」
「そう、ならいいわ。では彼の拘束を解除して速やかに退室しなさい」
「拘束を!? よ、宜しいのですか?」
「警備隊長。貴方がすべきは問い返すことではなく、私の言葉を復唱することではなくて?」
「ハッ! 直ちに拘束を解除した後、退室致します!」
切れ長な王妃の目にジロリと睨まれ、マエノメリーは大慌てでニックの手枷と腰縄を外し、一礼して謁見の間を出て行った。その姿を見送ると、自由になった身でその場に膝をつこうとしたニックにマルチナは慌てて声をかける。
「ああ、いいの。そのまま楽にして頂戴」
「宜しいのですか?」
「ええ。今回はこちらの落ち度で貴方にはとても不快な思いをさせてしまいました。心から謝罪させていただきます」
その言葉と共に、王妃が深く頭を下げる。まさか王族が誰とも知れぬ相手にそんな態度を取るなどと思っていなかったために謁見の間には大きなざわめきが広がり、隣に座る国王もまた我慢できずに王妃に声をかける。
「マルチナ!? そんな、駄目だよ。君は王妃なんだから、そんな簡単に頭を下げたら……」
「わかっているわよアナタ。私だって産まれながらの王族ですもの。アナタほどではないにしろ私が頭を下げる意味くらいきっちりと理解しています。だからこそ私は頭を下げたのです」
「えっと……それはつまり、この人はそんなに凄い人なわけ? ああ、ごめん。ボクはこのカッツヤック王国の国王、ホドホドーニ・カッツヤックだ」
ニックに視線を向けた王が、思い出したように名を名乗る。別に威厳がないわけではないのにどことなく頼りなく感じられるのは、隣に座る王妃の存在感がホドホドーニ王よりもずっと強いからだろう。
「私はカッツヤック王国王妃、マルチナ・カッツヤックです。この度は配下の者が大変な失礼を働き、誠に申し訳ありませんでした」
「いや、構いませぬ。確かにいきなり来て理由も話さず拘束されたときはどうしようかと思いましたが、どうやら何らかの行き違いがあったようですからな。
っと、失礼。私はニック。単なる冒険者のニックです」
再び頭を下げた王妃に、ニックは自らもそう言って礼をする。そうして顔をあげれば、そこには安堵の表情を浮かべるマルチナ王妃の姿があった。
「そう名乗っていただけますか。どうやら貴方は話に聞いていた通りの方のようですね。
どうでしょう? 今回のお詫びもかねて、この後二人でお話をしたいと思っているのですが」
「それは……私は構いませんが……」
「あの、マルチナ? ボクさっきから話が全然見えてこないんだけど、説明とかそういうのは……」
突然の提案に戸惑うニックに、それより更に戸惑った様子のホドホドーニがマルチナに話しかける。するとマルチナはニッコリと笑って隣に座るホドホドーニの方へと顔を向けた。
「勿論、アナタにも後できっちり説明するわ。でもそのためにも私はこの方と先にお話をしなければならないのよ。アナタならわかってくれるでしょう?」
「そ、そうなんだ! そういうことならまあ、仕方が無いよね。じゃあボクは残りの仕事を片付けておくから、君はその人と話を……二人でって、二人っきりでってことじゃないよね?」
「当たり前でしょう? 場所は、そうね……第二の方の応接室を使うわ。準備しておいて頂戴」
「畏まりました」
側に控えていた侍従の一人が一礼して謁見の間を出て行くのを確認すると、マルチナは更に言葉を続ける。
「では、ニックさん。今すぐ準備を整えますので、もうしばらく待合室でお待ちください」
「お、おぅ。わかりました」
その場にいる全員がマルチナ王妃の言葉に流されるように行動していき、ニックもまた様々な疑問を覚えながらも大人しく待合室に通され、ジッと呼ばれるのを待つ。
その後程なくしてやってきた係の者に案内されて入った部屋には、数人の護衛と共ににこやかに微笑む王妃の姿があった。
「さ、こちらへどうぞニックさん。悪いけれど、貴方達は少し離れていてくれる?」
そう言ってニックに席を勧めつつ、マルチナは護衛をわりと広めの応接室の隅まで下がらせる。そうして全ての準備を整えると……マルチナはテーブルに頭突きをするくらいの勢いで突然頭を下げた。
「ほんっとーにごめんなさい!」
「王妃様!? いきなり何を――」
「あー、いいからいいから! ここではそういう畏まった態度はいらないわ。護衛の子達もその辺はわかってる子ばっかりだしね」
「いや、しかし……」
「あら、それともニックさんは、今からでもジュバン卿として畏まった態度を取る方がいいのかしら?」
その言葉に、訓練されているはずの護衛の騎士達の体がピクッと震える。王妃の護衛を任されるだけあって、ジュバンの名の意味を正しく理解していたからだ。
「やはり知っておられたのですか」
「こ・と・ば・づ・か・い!」
「ぬぐっ……わかった、では普通に話させてもらおう」
「それでいいのよ! さ、お茶どうぞ」
あまりにも気さくな態度に面食らったニックだったが、目の前で手ずからお茶を入れてくれる女性の楽しそうな顔に裏があるとは思えない。勧められるままに紅茶の入ったカップを手に取ると、濃く甘い花の香りがスッと鼻腔を通り抜けていった。
「これはまた、随分と香り高い紅茶だな」
「でしょー? 一時期はこれを産業にできないかって凄く研究したんだけど、結局材料になる花の大量生産が上手くいかなくて断念したのよね。あー、でも、美味しい! 我ながらいい仕事をしたわ」
自らも一口紅茶を飲んで、満足げな顔をするマルチナにニックもまた微笑みながら話を続ける。
「ほほぅ。マルチナ殿が紅茶の研究を?」
「そうよ。まだこの国に嫁いできたばっかりの頃ね。あの頃は本当に何でもやったわ。一刻も早く力をつけて、妹を助けたいって……ま、結局間に合わなかったみたいだけど」
「妹君を?」
「そうよ。貴方が助けてくれたんでしょ?」
「むぅ?」
そう言って屈託無く笑うマルチナの笑顔は、確かにどことなく見覚えがある。ニックが眉を寄せてその記憶を掘り起こしていると、待ちきれないとばかりにマルチナが声をあげる。
「残念、時間切れー! まあ大分歳も離れてるから、わからなくても無理ないんでしょうけど。女は年頃になると一気に変わるものね」
「あー、すまぬ。世界を巡って旅をしていると、助けた人数が多くてな」
勇者パーティの一員として世界中を旅して回ったニックが助けた人数となると、直接・間接を問わないならばそれこそかなりの数になる。それでも王族や貴族となればそれなりに人数が絞られるものの、カッツヤックの王族や貴族と関わるのは今回が初めてだったため、ニックにはどうしても思い当たる人物がいなかった。
「それはそれで凄いわね。まったく、勇者のお父さんはそうやってどれだけの女の子を助けてきたのかしら?」
「むっ、別に女性ばかりを助けているわけではないぞ?」
「わかってるわよ、そんなこと。では、正解を発表します!」
そこで一旦言葉を切ると、マルチナがニヤリと笑って溜めを作る。その顔にニックの脳裏に閃くものがあったが、残念ながらマルチナが口を開く方が早い。
「私の元の名前は、マルチナ・コモーノ。コモーノ王国の第一王女よ。妹たちと国の恩人である貴方に会えて、本当に嬉しいわ! ニックさん!」
輝くようなその笑顔は、別れ際に見たキレーナの笑顔にそっくりであった。