父、連行される
早めに入ったはずの食堂で遅い昼食を終えたニックは、その足でまっすぐに冒険者ギルドへと向かって歩いて行った。
普通ならば町の様子を眺めたり午前に続いて露店を見て回ったりするのだが、今はとてもそんな気分にはなれない。かといってやってきたばかりの町を一日の滞在もせず後にするのはそれはそれで勿体ない気もするし、何より鉄級にあがって大分緩くなったとは言え、まだ冒険者としての依頼達成のノルマは存在している。
そんなわけで、ニックとしては珍しくやや消極的な態度で見慣れた冒険者ギルドの建物に足を踏み入れると、そこにある大きな掲示板を端から眺めていった。
「ふーむ。これと言った依頼はないな……」
基本的に依頼は朝張り出されるものなので、昼を過ぎた今残っているのは難易度のわりに報酬が安いものや、行って帰ってくるのが面倒な場所の討伐や採取、あるいは出発がしばらく先の護衛依頼など、条件が悪いものかすぐには始められない依頼ばかり。
「……まあ、これでいいか」
そんななかで、ニックは「毒沼に生える特別な薬草の採取」という依頼を選ぶ。一般的な鉄級冒険者であれば対毒ポーションなどを用意しなければならない手間と費用、危険度などからさけられがちな依頼だが、毒の効かないニックであればむしろ場所に迷うことがなく、草も当該の薬草しか生えていないので間違えることもないという理想的な依頼だ。
「この依頼を頼む」
「はい、承りました……って、これ受けてくれるんですね! いやー、皆さん嫌がってなかなか受けてくれないんで、とても助かります」
手にした依頼書を受付に持って行くと、暇そうにしていた受付嬢が嬉しそうな声をあげる。滞りがちの面倒な依頼をこなしてくれる冒険者の存在は、冒険者ギルドからすれば実にありがたい存在なのだ。
「ハハハ、そうなのか。まあ確かに普通なら面倒だろうからな」
「はい。一応対毒ポーションの料金は依頼料に入ってるんですけど、あくまでも必要最低限だけですからね。ちょっと油断して使いすぎるとその分報酬が減っちゃいますし、沼地で魔物に絡まれたりすると死にはしなくても大赤字……なんてこともありますから。
ということで、こんな依頼を受けてくれる素敵な冒険者さんのギルドカードを提示していただいて宜しいですか?」
「うむ!」
茶目っ気を見せる受付嬢に、ニックは笑顔で鞄からギルドカードを取り出して渡す。それにサッと目を通した受付嬢だったが……不意にその表情が驚きに固まり、ニックの顔とギルドカードを交互に行き来する。
「えっと……ニックさん、で間違いありませんか?」
「うむん? ああ、そうだ。儂はニックだが、それがどうかしたのか?」
「えーっと、ちょっと待ってもらえますか?」
「構わんが……?」
妙にソワソワした様子の受付嬢に、ニックは首を傾げつつもそう答える。すると席を立った受付嬢が奥にいる他の職員と何やら話し込み、こちらをチラチラみたり何らかの書類を確認したりしてから慌てて戻ってきた。
「あ、あのっ! すみません! 実はその、この依頼書にちょっとした不備があったようでして……申し訳ないんですけど、奥の! 奥の部屋でちょっとだけお待ちいただけませんか?」
「不備? あー、そういうことなら儂は別に他の依頼でもいいのだが……」
「お願いします! ちょっとだけ! ほんのちょっとだけですから! お茶とか焼き菓子とか、何ならお酒も出しますから!」
「おぉぅ!? わ、わかった。そういうことならそちらで待たせてもらおう」
必死に食い下がってくる受付嬢に、ニックは若干たじろぎながらも冒険者ギルドの奥にある小部屋へと通される。窓もなく出入り口が正面の一つだけという如何にもな部屋から引きつった笑みの受付嬢がお茶を入れて退室すると、一人になったニックはそのお茶を一口飲んでから小さくため息をつく。
「ふぅ。一体なんだったのだろうな?」
『また貴様が何か余計なことをしたのではないか?』
「そう言われてもなぁ。儂がこの町に来てやったのは、露店で買い物をして飯を食っただけだぞ? 心当たりがあるとすれば酒場でのやりとりくらいだが……あれくらいでどうにかなることなどないしなぁ」
勇者の事を表立って悪く言えば、大抵の場合は周囲から白い目で見られることになる。だが逆に言えばそのくらいで、よほど悪し様に言うか具体的に殺害を宣言でもしない限りはそれで捕らえられるなどということはない。
『ふむ。あの受付所の態度が変わったのは、貴様がギルドカードを提示してからだったか。となると確かに貴様が直接何かをしたというよりは、何らかの条件に貴様が当てはまったという可能性もあるわけか』
「むーん、わからん! わからんが、待っていればそのうち説明してくれる者がやってくるであろう」
『それはそうだろうが……相変わらず貴様は気楽だな』
「ハッハッハ、性分だからな」
訳もわからず狭い部屋に半ば閉じ込められるように導かれたニックだったが、そこに焦りの気持ちはない。拘束されたわけでもなければ出されたお茶に薬物が入っているわけでもなく、その気になればこんな所から脱出することなど容易い。
ならば焦る必要など何も無く、そのままゆったりとお茶を飲んで待っていたが……
「ここかっ!」
「む?」
突如バンッという音を立てて乱暴に扉が開かれ、唯一の出入り口から完全武装した兵士が部屋に入ってくる。ニックがそちらに顔を向けると、兵士の男は睨み付けるような目でまっすぐにニックを見据えてくる。
「お前か……よしお前、立て!」
「何だ突然? 流石にその物言いは乱暴ではないか?」
「うるさい! いいから立てと言っているんだ!」
「ふぅ、仕方が無いな」
突然の無礼な態度には眉をしかめざるを得ないが、とは言え相手は兵士。仕方なくニックが席を立つと、兵士はニックの体を見回しながら手にしていた紙切れへと視線を走らせた。
「身長二メートルを超える巨体に、腰には見事な剣……鎧の見た目が違うが、お前が冒険者のニックで間違いないな?」
「まあ、儂はニックだが……」
「ならばいい。ほら、さっさと両手を前に出せ! 言っておくが、妙な考えは起こすなよ?」
「……さっきから意味がわからんのだが、一体儂が何をしたというのだ?」
「うるさい! 黙って従え! 抵抗するならこちらもそれなりの対処をさせてもらう!」
困惑するニックに、兵士の男が腰の剣に手を掛ける。その程度では何の脅威も感じないニックではあるが、代わりに困惑は増すばかりだ。
「ちょっと待て。本当にどういうことなのだ? まるで犯罪者のような扱いではないか」
「そんなことは私の知ったことではない! 私が受けた命は『ニックという冒険者がやってきたら、城へと連行しろ』というものだけだ。ニックと言う名だけならばそう珍しくもないが、ギルドカードやその魔剣、それに巨体とくればお前がそのニックに間違いない!
それとも何か? お前はたまたま自分と似たような体格の相手から剣とギルドカードを奪ったとでも言うつもりか?」
「いや、剣とギルドカードで確認したというのであればほぼ間違いなく儂のことだとは思うが、だからといって儂にはそんな扱いを受ける謂われはないぞ?」
「黙れ黙れ! 言い訳は向こうで聞く! それよりさっさと両手を前に出せ!」
「むぅ……これは埒が明かんな」
やむを得ずニックが両手を前に出すと、兵士の男が扉の外に立てかけていた分厚い木製の手枷をニックにはめる。それを確認すると兵士の男は満足げに笑い、ニックの腰に太い縄を巻き付け、それを手にして冒険者ギルドを後にする。
「まさかこんな格好をする日が来るとはなぁ」
「無駄口を叩くな! ほら、行くぞ!」
手枷に腰縄で町を歩かされるという初めての体験に、ニックは何とも複雑な気持ちになる。周囲から浴びせられる好奇の視線が気になるが、訳もわからず拘束されたとはいえ理由がわかるまえに暴れるわけにもいかず、そのまま粛々と城の中へと入っていき……通されたのは取り調べ室ではなく、何故か謁見の間。
「王妃様の命により、冒険者ニックを連行して参りました!」
「えっ!? マルチナ、どういうこと?」
「……………………ハァ」
堂々とそう宣言する兵士の言葉に、壇上の豪華な椅子に座る今一つ頼りなさそうな男が隣に向かってそう声を掛け、もう一つの椅子に座るなんとなく見覚えがある気のする女性が、これ以上無いほどに大きなため息をついた。