父、お世話される
「湯浴みの準備が整いました」
「……そうか。ではまあ、せっかくだし入るか」
何を言っても湯浴みの準備しかしてくれなかったメイドに言われ、ニックは浴室の方へと足を運ぶ。腑に落ちないことは多分にあるが、ニックとしても湯浴みをすることそのものは嬉しいのだから、準備ができているというならそれ以上拒否する理由もない。
「服はこちらにお脱ぎください。洗濯か、あるいは処分して新しいものをご用意することもできますが……」
「洗濯で頼む。それは気に入っているのでな」
ニックが着ている服は、今もミミルの村でお礼にもらった物のままだ。資金は十分にあったので買い換えようと思えばできたのだが、獣人達の感謝のこもった服は丈夫で着心地も良く、予備の服こそ買ったものの主で着ているのはこちらだった。
「畏まりました。ですが、新しい服の方はご用意させていただきます。流石にこれで陛下に謁見するのは……」
「そうか?」
上から下までニックの全身に視線を巡らせたハニトラの言葉に、ニックは思わず自分の体を顧みる。勇者パーティにいた頃であれば竜の皮鎧やら夜天の王の外套やらを身につけていたので気にならなかったが、確かに完全な普段着で王と謁見するのは些かマズい気がしなくもない。
「わかった。そういうことなら好意に甘えることにしよう」
「では、服はこちらに用意しておきます。ごゆっくりどうぞ」
若干渋い顔をしつつも了承するニックに、ハニトラはそういって一礼すると脱衣所から出ていった。それを確認してニックはおもむろに服を脱ぎ、軽く一騒動あった後浴室へと入っていく。
「おお、なかなかの広さだな!」
『……そうだな』
異常にテンションの低いオーゼンを余所に、ニックは久しぶりの湯浴みに上機嫌になる。熱い湯に満たされた浴槽は大人が二、三人は入れるであろう大きさで、己の巨体でもゆっくりと浸かれそうだとニックの心が知らずに弾む。
「では、早速洗うとするか……ん? 鏡があるぞ?」
まずは体を洗って、それからゆっくり湯を堪能しようとしたニックだったが、小さな木製の椅子の他に壁に大きな鏡が据え付けてあることに驚いた。
「何故浴室に鏡が? 掃除が大変そうだが……」
『洗っている姿をよく見るためであろう? ほれ、そうして己の姿が見えた方が洗いやすいはずだ』
「おお、確かに! これはなかなか良い物だな」
庶民が使う銅鏡ならまだしも、歪みの無い大きな鏡はなかなかの高級品だ。部屋の姿見ならばともかく、それを浴室にまで設置している辺り、流石は王城といったところだろう。
『鏡如き、騒ぐほどのことか? アトラガルドであればこの程度のもの誰の家にもあったが……』
「そうなのか? ふーむ、もっと簡単に作れる材料があったのか、あるいは製法か?」
『今の時代にどうやってこれを作っているのかがわからんから、何とも言えぬな』
「わはは。それもそうだな。儂とて鏡の作り方など知らぬ……む?」
オーゼンと会話を交わしながら洗浄液に浸した布で体を擦るニックだったが、不意に背後で人の気配が動いたのに気づいた。最初は着ていた服を回収し、新たな服を持ってきただけかと思ったので気にしなかったが、不意に背後の扉が開け放たれ、そこから人が入ってくるのがわかる。
「何の用だ?」
ニックが振り向けば、そこには薄い湯衣一枚を身に纏ったハニトラの姿があった。湯の熱気があっという間に湯衣を湿らせ、ハニトラの肢体にピッタリと張り付いて肌を透けさせている。
「それは勿論、お世話をしにまいったのですが?」
だが、ハニトラの表情に羞恥の色はない。むしろ何故そんな当たり前のことを聞くのかという疑問すら浮かんでいる。
「世話、なぁ……誰の指示だ?」
「特に誰というわけではありません。城にいらしたお客様をおもてなしするのが私の仕事ですので」
「ふむん?」
完全に平坦な表情で言うハニトラに、ニックはしばし考える。
(ガドー殿の話が全て真実だとすれば、大臣とやらの差し金か? 儂を取り込みたいらしいということであったし、であれば無難な初手ではあるが……)
力自慢の男性中年冒険者に若いメイドをあてがうのは、ほとんどの場合において正解だろう。希に嫌悪感を示す者もいるだろうが、その場合は「メイドが勝手にやったこと」として簡単に言い逃れることもできる。
また、高位の貴族を相手にこの手のもてなしをするメイドは大抵の城に存在する。性的な接待は賄賂と並んで古来からの手法であり、その有用性は歴史が証明してくれているからだ。
外から娼婦を呼ぶとなれば手間もかかるが、最初から城にいるメイドに命令を出すなら城内の貴族であれば簡単にできることだろう。
『どうするのだ? 追い返すのが無難であろうが……』
「……わかった。そういうことならばその世話とやらを頼もう」
『本気か!? まあ貴様も男であるのだから、その後のことを考えているのであれば特に否定はせんが』
ニックの言葉に驚きの声をあげるオーゼンだったが、それはニックが誰かの企みに乗っかったからであり、メイドのもてなしを受けることそのものに対する驚きではない。今までのニックは歓楽街に近寄ったりはしなかったが、結婚して娘がいるというなら真っ当な性欲があるのは当然で、そこに驚くほどオーゼンは初心ではない。
「畏まりました。では失礼致します」
ニックの了承を得ると、ハニトラは自らの体に洗浄液を塗りたくり、ぬめる体をニックの大きな背中に押しつけた。平均よりやや大きめな双丘がむにゅりと歪み、ニックの体をナメクジのように這いずっていくが……
「あー、悪いが普通に洗ってくれんか?」
「普通に、ですか?」
そう言ったニックに洗体用の布を差し出され、ハニトラがキョトンとした顔をする。
「うむ。言うまでもなくわかっているとは思うが、その洗い方で体の汚れは落ちんだろう?」
「まあ、それは……はい」
そう言われてしまえば、ハニトラとしても頷くしかない。己の肉体を擦り付けるのは性的な刺激を与えるためであって、純粋に体の汚れを落とすという目的であれば、その効率は明らかに悪い。
「ということで、頼む。あー、ちょっと強めにな」
「わかりました。では改めて、失礼致します」
ニッコリ笑ってそう言うと、ニックは顔を正面に向け直した。一瞬毒気を抜かれたハニトラだったが、彼女もまたプロであり、客の要望に応えようと今度はきっちり力を入れてニックの背中を擦りあげる。
「うわ、凄い量の垢が……」
「うっ!? そ、そうか? 背中はなかなか手が届かんし、湯浴みなど滅多にできんからなぁ」
小さく呟いたハニトラの言葉を聞きとがめ、ニックは思わず言い訳じみた言葉を発してしまう。実際冒険中ならば湯浴みどころか水で体を拭くことすら難しい状況はいくらでもあるし、町に滞在していても浴場のある宿など滅多にない。
それでも娘が入りたがるので勇者パーティにいた頃は町に滞在するならそれなりの高級宿をとっていたが、今のニックは一人旅。誰が何をいうわけでもなく、多少資金繰りが良くなったといっても浴室のあるような高級宿を定宿とするのは無駄遣いな気がしたため、ニックが湯浴みをするのは久方ぶりであった。
「申し訳ありません。失礼なことを口走ってしまいました」
「いや、それを気にする必要はないが……だが、できるだけしっかり洗ってもらってもいいか?」
「お任せ下さい。メイドの名にかけてニック様の背中をピカピカに磨き上げてご覧にいれます」
「おお、それは頼もしいな! 頼んだぞ」
「はい!」
ほぼ全裸の中年男と、ほぼ全裸の年若いメイド。二人が肌を合わせた浴室に、まるで親子のように楽しそうな声が響いた。





