ポンコツ姫、叫ぶ
「この、大馬鹿者が!」
「あうっ!?」
騒動が起きてから三日後の、コッツ城、謁見の間。国王ゲーン・コッツの怒りの鉄拳が振り下ろされ、ハーン王子がその強烈な痛みに涙を浮かべた。あえて公の場である謁見の間にてハーンに罰を与えたのは、国王なりのけじめのであった。
「やがてこの国を背負って立つお前が、たった一人で町に抜け出すなど何事か! もっと己の立場を弁えるのだ!」
「でも、姉上だって……」
「何を今更言っている? ポーンのことなどいつも怒っているではないか」
「ああ、そう言えば……」
怒りから一転、疲れたような声を出す父ゲーンに、ハーンは呆れとも同情とも取れるような声で答える。今自分がこうなっているのは、そもそもそんな姉をいつも見てきていたからだ。ならば今回だけ例外的に怒られていないなどということの方がよほどあり得ない。
「酷いですお母様。またお尻が大きくなっちゃいます……」
「それならそれで結構。安産が見込まれる大きなお尻は高貴な殿方には好かれますからね。
ほら、それよりもっとしゃんと背筋を伸ばしなさい。どれだけお尻が痛かったとしても、淑女らしく優雅に歩くのです」
「うぅ……」
と、ちょうどそこに涙目でお尻を押さえた姉といつも通りの表情の母が謁見の間へと入ってくる。ポーンにもけじめは必要だったが、流石に年頃の王女の尻を人前で叩くわけにはいかなかったからだ。
ちなみにだが、ハーンは勿論ポーンにもその体に傷は一切残っていない。ニックが使った回復薬が高級品だったこともあるが、その後も王族、しかも未婚の娘ともなれば最高級の治療措置が施されるのは当然であり、その結果だ。
「ふぅ……まあいい。正式な罰は追って与えるから、まずはそこに控えなさい。そして……」
いかめしい顔をそのままに、ゲーン王が視線を謁見の間の中央へと向ける。そこには膝をつき頭を垂れるニックがおり、少し離れたところには厳重な檻に入れられた猫の姿もある。
「まずは貴殿に重ねて礼を言わせてくれ。娘のみならず息子まで助けてもらったとあれば、もはや礼金程度では済ませられぬ。正式に客人としてもてなした上で相応の礼を与えたいと思うのだが……」
「いえ、先も申しましたが、私はあくまで旅の冒険者。此度もただ不穏な空気を感じて偶然に立ち寄っただけであれば、過分な褒美をいただきましても持て余すだけでございます」
「む、そうか」
ゲーン王としては、ニックを騎士に取り立てるのもいいかと思っていた。自身もまた武を修めるが故にニックが強者であることはある程度見抜いているし、王族を助けてなお大した要求をしないという謙虚さや常識を持ち合わせているというのも高評価だ。
だが本人からそう釘を刺されてしまえば無理強いもできない。無論王としての権力でゴリ押しすることはできるだろうが、それがよい結果に繋がらないことくらいは誰にでもわかることだ。
「ならば貴殿への褒賞は後ほど改めて考えるとしよう。となると最後の問題は……」
王のその言葉に、謁見の間にいた全員の視線が猫のいる檻に集まる。逃げ場のない檻で多数の者達の視線に晒されてなおすまし顔をしている猫に対し、話の口火を切ったのは王ではなくポーンであった。
「あの、お父様? 私ずっと気になっていたんですけど、どうして猫ちゃんは檻に入れられているんですか?」
「それは勿論、この猫が人を傷つけたからだ」
「そんな!? 猫ちゃんは私やハーンを助けるために頑張ってくれたのに……」
「であっても、だ。魔物を拘束もせず城に置いておけるわけがないであろうが」
不服そうなポーンの顔に、しかしゲーン王は厳しい視線を檻の中の猫に向ける。
「猫よ。お前は人の言葉が話せるそうだが?」
「ニャーン」
「…………? ポーンよ、今この猫は喋ったのか?」
「はい、喋りましたよ?」
ポーンの言葉にゲーンは小さく首を傾げる。少なくともゲーンの耳には普通に猫が鳴いたようにしか聞こえなかったからだ。
「では、何と言ったのだ?」
「はい。『ニャーン』です!」
「……………………ニャーン、と言ったのか?」
「はい。ニャーンと言ってました!」
「…………………………………………」
得意げに語る娘を前に、ゲーンはこれ以上無い程の渋顔になる。もしこれが他の者の発言であれば「ふざけるな」と怒鳴りつけるところだが、ポーンが至って真面目にそれを言っていることは父親である自分が一番よくわかっている。
だが、ならばどうすればいいのか? ニャーンと鳴くこととニャーンと喋ることの違いは一体何なのか? 王が必死に思考を巡らせていると……不意に正面の猫から小さな笑い声が伝わってきた。
『クックック……これ以上いじめるとポーンちゃんが嘘つき呼ばわりされちゃうかもしれニャいから、狭い檻に閉じ込められた意趣返しはこのくらいにしてあげるわ』
「しゃ、喋った!? 本当に猫が喋ったぞ!?」
「何と恐ろしい……」
言葉を……「念話」を直接頭の中に送られたことで、謁見の間に集まっていた兵士や貴族達の間でざわめきが広がる。一般的な認識では言葉を話す魔物はかなり高位のものだけであり、人の形をしていない者が人の言葉を話すのはただそれだけで恐怖の対象なのだ。
だが、ゲーンは怯まない。謁見の間に満ちる恐怖を嘲笑うかのような堂々たる態度で猫に向かって言葉を続ける。
「猫よ。お前が我が娘と息子を救ってくれたことには礼を言おう。だがそれよりも前に、どうしても確認しておかねばならぬことがある。
お前は何故町にいた? 一体何の目的があって我がコッツ王国の城下町に潜んでいたのだ?」
『何故って言われても、理由ニャんて無いわよ。アタシは気づいた時には町にいて、そのまま町に住んでたってだけだわ』
「……つまり、城下町にはまだお前のような言葉を喋る魔物が何匹も巣くっているということか?」
『それも知らニャいわ。少ニャくともアタシ以外にアタシみたいニャ奴を見たことは無いわねぇ』
「そうか。それは朗報だ」
猫の言葉に、ゲーンはひとまずホッと胸を撫で下ろす。もし自分の知らないところで魔物が町に繁殖していたなどとなれば、王として無能のそしりを受ける程度ではすまされない。場合によっては「魔物に乗っ取られた町」として周辺諸国から討伐軍という名の侵略軍が送られている可能性すらあったからだ。
だが、猫は「自分のような存在は他に見たことがない」と言う。つまりこの一匹を片付けてしまえば、全ては丸く収まるということになる。
「ならば、これで幕引きだな」
そう言ってゲーンが手を上げると、周囲にいた兵士達が一斉に檻を囲んでいく。
「お父様!? 一体何をなさるおつもりですか?」
「見てわかるだろう。あの猫には死んでもらう」
「何で!? 何故そんな酷い事をするんですか! あの猫ちゃんは私のお友達で、私とハーンを助けてくれた恩人……恩猫なんですよ!?」
「わかっているが、それでも魔物の存在は許容できん。もっと凡庸な魔物であるならともかく、言葉を解すほどの高等な魔物となれば野に放つことすら危険だからな。王族として聞き分けなさいポーン」
「嫌です! そんな事知りません!」
王の言葉に反発したポーンが、すぐに檻の側へと走って行く。まさか王女を無理矢理に制するわけにもいかず戸惑う兵士達の間をすり抜け、ガッシリと檻に抱きついてしまう。
「何をしているポーン! すぐにそこから離れなさい!」
「離れません! お父様が猫ちゃんを殺さないと約束してくれるまで、絶対に離れませんから!」
「王としてそのような約束は絶対にできん! お前も民の命と生活を背負う王族であれば、そのような恥知らずな行為を今すぐやめるのだ!」
「やめないって言ってるじゃないですか! もしどうしてもと言うのであれば、私はお姫様の方を辞めます!」
「お前は……っ!」
必死の形相でそう叫ぶポーンに、ゲーン王は怒りとも戸惑いとも取れる表情で固く拳を握りしめた。