反骨王子、脱出する
「ちぇっ、つまんねーな……」
健康な一二歳男児の有り余る体力で見事モーロックから逃げ切ったハーンが、小声でそんなことを呟きながら一人城の廊下を歩く。
「何だよ、みんなして姉上ばっかり……俺は王子なんだぞ。もっと構ってくれてもいいだろうに……」
ふてくされたようにそう言いながら、ハーンは足を振って石を蹴るような動作をする。といっても無論城の廊下に小石など落ちているはずもなく、何の手応えもなく振られるだけの足がより一層虚しい気分を味わわせてくる。
なお、実際にハーンが冷遇されているなどということは無い。むしろいずれは他家に嫁いでしまうポーンよりも、よほどのことが無い限り次期国王になるハーンの方が年下ということを加味してもなおやや手厚く世話を焼かれているくらいだ。
だというのにハーンがそう感じるのは、偏にポーンが問題を起こしまくるせいだ。日常的に城を抜け出したり普通なら思いも付かないような問題を引き起こしたりと、やや抜けているポーンの行動は常に周囲を振り回し、モーロックを筆頭としてその対応に追われている家臣は枚挙に暇が無い。
つまりそういう問題の対処に多くの人物が当たることがハーンからすれば「姉ばかり構われている」という風に見えるというだけであり、実際には……本人に問えば決して認めないだろうが……ハーンの胸の内にあるのは、単に「自分にもっと構って欲しい」という子供らしい思いだけなのだ。
そしてその思いが子供らしい短絡思考から「姉より問題を起こせば自分の方に周囲の意識が向く」という結論になり、結果として反抗期真っ盛りとなったハーンだったが、根は優しく真面目な性格のため今一つ反抗しきれず、また良心の呵責から姉ほど突拍子もない、本当に大問題になるような我が儘や悪戯などをすることもできず、今のハーンはなんとも言えないモヤモヤを日々抱え続けていた。
「いっそ俺も城を抜け出してみようかな……でも、姉上ってどうやって城の外に出てるんだろ?」
いつも満足げに笑いながら城に連れ戻されてくる姉の姿に、ふとハーンはそんなことを考える。
当たり前だが、普通に正面から城を抜け出すのは門番がいて不可能だ。使用人用の出入り口もいつも人がいるし、かつてちょっとだけ父から聞いた「王族専用の脱出路」というのも無い。
実際に入ったことはないが、あれは町の外に続いていると聞かされた。流石の姉でも毎回魔物に襲われる危険を冒してまで城下町に遊びに行ったりはしないだろうし、まさかあの姉が魔物を倒せるはずもない。
「うーん……ひょっとして姉上しか知らない秘密の抜け道みたいなのがあるのか?」
可能性が一番高いのはそれだ。コッツ王国は意外と歴史が古く、二代目魔王との戦争時に宗主国が滅んでもなお自分の領土を守り抜いた当時のコッツ子爵が、生き残った別の大国に吸収されるのではなく領地をそのまま国土として独立させたのが始まりだと言われている。
なので国土こそ狭いが国の歴史は六〇〇年ほどあり、幾度かの改装を経てはいても基本的に古い城には今となっては目の届かない綻びが何処かにある……のかも知れない。
「ありそうだけど、自分で探して見つけられる気はしないな。となると……」
とっておきの悪戯を思いついたとばかりに、ハーンの顔がニヤリと笑う。
「よし、姉上の後をつけてやろう! いつも俺やみんなに迷惑をかけてるんだから、たまには自分がそういうことをされる側に回るのもいい気味だよな、うん」
なんとなく悪い事をしているという気持ちを誤魔化す意味も込めて、ハーンは何度もそう口にして頷く。その後はすぐに来た道を戻っていくと、ニックとのお茶会を終えて自室に戻るポーンの姿をすぐに見つけることができた。
「姉上!」
「ハーン!? 一体何処に行っていたんですか! 大事なお客様にあんな酷い事を言って――」
「ごめんごめん。それより姉上、今日はまた町に行くの?」
全く怖くない姉の怒りをそのままに、ハーンはまっすぐに姉に問う。普通であればその答えが返ってくることなどあり得ないが……
「えっ!? い、いかないですよ!? 私だってもう大人なんですから、さっき連れ戻されたばっかりなのにまたすぐに町に行くなんて、そんなこと全然考えてません!」
「そっか。そりゃそうだよね。ごめん姉上」
「わかってくれればいいんです。で、では私はまだ用事があるので、また後でね」
誰が見てもわかるくらいに動揺してみせた姉が、そう言ってそそくさとその場を去って行く。それはつまり、今からすぐにまた町に出るつもりということだ。
「本当に姉上はわかりやすいよなぁ……でも、よし。そういうことなら……」
姉の背を見送ってから、ハーンはこっそりとその後を着いて姉の部屋の手前まで進む。そうして廊下の角のところで立ち止まると、あとはジッとポーンが出てくるのを待つだけだ。
「…………来た」
幸いにして、ポーンはすぐに部屋から出てきた。頭にはいつもの深緑色のフードを被っており、目立つ事この上ない。
(何であんな目立つ格好をして見つからないんだろうな……まあ見失わなくていいけど)
内心そんな事を考えるハーンの視線の先では、ポーンがキョロキョロと廊下を見回している。そうして誰もいないことを確認すると正面の壁まで行ってしゃがみ込み、その壁に手を掛ける。
「ふーん……っ!」
(え、嘘だろ!?)
ポーンが力を込めて踏ん張ると、壁のごく一部が横へとずれて、人が一人ギリギリ通れそうな穴が開く。その中にポーンがわりと強引に自分の体をねじ込んで入り込むと、程なくして再び壁が動いて音もなく穴が塞がった。
「何だ今の仕掛け!? えっと……この辺、か?」
一部始終を見届けてから、ポーンは姉が入っていった穴の部分に駆け寄る。だがそこにあるのはただの壁で、少なくともちょっと寄りかかった程度でへこんだりすることはない。
「え、こんなのどうすれば……押してずらすとかか? ふぎぎぎぎ……」
ハーンは該当するであろう場所に手を突き、思いきり力を込めて滑らないようにしながらそれを横に動かしていく。するとかなりの力を込めたところでようやく軽い手応えを感じ、それと同時にスッと壁が動いて真っ暗な穴が口を開けた。
「うわ、こんなのあるって知らなきゃ絶対気づかないだろ……てか真っ暗なんだけど、入っても大丈夫なのかこれ?」
穴の中に上半身を突っ込んでみるも、中は暗くて何も見えない。手で触れた感触としては天井と壁は平べったいようだが、床はクルクルと回る筒のようなものが敷き詰められており、実によく滑りそうだ。
「うーん。明かりが欲しいけど……っ!?」
と、そこで廊下の向こう側から人の足音が聞こえてきた。この城の王子であるハーンがここにいることには何の問題もないが、下手をして穴の事がばれてしまえば姉を追うことができなくなってしまう。
「ええい、姉上にできて俺にできないはずがない!」
意を決して、ハーンは穴の中にその身を躍らせる。すると足が床から浮いたところで穴に飲み込まれるようにツルリと体が奥へと滑り始め、何も見えない暗闇の中を結構な速度で移動させられていく。
「うわわわわわわわわーっ!? た、たすっ、たすけ……」
その恐怖にハーンは姉をつけていたことなど忘れて思わず叫び声をあげてしまう。だがその声が何処かに届くことも誰かの助けが来ることもなく、やがて暗闇の向こうに光が見えて――
「へぶっ!」
入った時とは逆、まるで吐き出されるようにその身が投げ出されたのは、城の内と外を隔てる分厚い城壁、そのすぐ側の草むらの上であった。