父、騙される
幸いというか当然と言うか、城の門番にはしっかりニックの話は通っていた。名乗ったわけではなかったが、これほど見事な深青色の鎧を纏う身長二メートルを超える巨漢の冒険者など早々いるはずもない。
姫の恩人ということもあって丁寧に控え室へと通され、出された茶を啜りながら待つことしばし。腰に佩いていた魔剣を側にいた従者に預けてから謁見の間に入ったニックを待っていたのは王冠を被り椅子に座る筋肉質の中年男性と、美しく優雅な姿勢で微笑む女性だった。
「よくぞ来たお客人。余がコッツ王国国王、ゲーン・コッツである。隣にいるのは妻のセイだ」
「初めまして冒険者さん。私はコッツ王国王妃のセイ・コッツです。宜しくね」
「ご丁寧にありがとうございます。私は旅の鉄級冒険者のニックと申します。この度は両陛下に拝謁賜り、誠に光栄でございます」
王座の前で跪き、頭を下げたニックが丁寧にそう挨拶をする。その姿はなかなかに堂に入ったもので、明らかに場慣れしたニックの態度に周囲から僅かな驚きの声が漏れた。
「ほぅ。貴殿、このような場に随分と慣れているようだな。それにその体つき……さぞや名のある戦士と見たが、如何に?」
「ハハハ、それは買いかぶりすぎですな。世界中旅をしております故地位のある方と交流を持つこともありましたが、所詮は一介の冒険者でございます。旅に出る前は田舎の村で木こりをやっておりましたしな」
「そうなのか。だがその肉体……むむむ、余が王でなく貴殿が娘の恩人でなければ、一度拳を交えてみたかったところだが」
「陛下。陛下のような方がそのようなことを言ってはお客様を困らせてしまいますわよ?」
野性的な笑みを浮かべて拳を握って見せるゲーン王に、隣にいた王妃がやんわりと苦言を呈す。体格的にはゲーンの方がずっと大きいのだが、ゲーンがやや前屈みの姿勢なのに対しセイの背筋がまっすぐに伸びているせいか、その存在感はなかなかのものだ。
「それに、この方にはポーンを助けていただいたお礼をするためにお呼びしたのでしょう? 娘の恩人を陛下が殴り倒してどうするのですか」
「む、それはそうだな。いや、失礼した」
「いえ、お気になさらず。それに姫様をお助けしたと言っても、私がしたのは不逞の輩に少々言葉をかけただけに過ぎません。両陛下に拝謁する誉れをいただきましたならば、それで十分でございます」
「随分と欲のないことだが、余も王である以上そうもいかん。それにあれも貴殿をもてなしたいと随分と張り切っておるようだったからな。せめてこれと、娘の茶会への招きくらいは受け取ってくれ」
そう言ってゲーンが鷹揚に頷くと、脇に控えていた人物がお盆に革袋を載せてニックの前へとやってくる。それを固辞するのは逆に無礼となるので、ニックは「ありがたく頂戴致します」と礼を言いつつ革袋を受け取り、そのまま腰の鞄へとしまい込んだ。
「それにしても、遂に娘に直接悪さをするような輩が現れたか。これでも町の治安には気を遣っていたんだが……そろそろあれの我が儘にも区切りをつけさせるべきか」
「……………………」
王の漏らした呟きに、ニックは何も言わない。会ったばかりの王族の動向に口だしなどできるはずもないし、そもそも現状こそが異常であることはニックにも理解できている。
だが、それでもどこか顔に出ていたのか、ニックに向かってゲーンが言葉を投げかけてくる。
「どうした? 不満そうだな」
「いえ、そのようなことは……ただ姫様は町の人々に随分と愛されているようで、先程も『これでもう姫様の顔を見られなくなるのは寂しい』という話をしておりました。とは言え私も年頃の娘を持つ身であれば、陛下の苦悩も僅かばかりなれど察することもできますので、何とも……」
「そうか。まあ確かにあれは民には愛されているからな。ただまあ少し思慮が足りないというか、考えが甘いというか……とにかくそういう娘でな。正直普通に護衛を連れて行ってくれればたまの外出くらいなら認めないわけではないのだが……」
「王女としてではなく、ただの娘として町に出て行くのが楽しくて仕方が無いんでしょうね。王族ともなれば民と普通に接するのは難しいですし」
「気持ちはわからんでもないが、あの子ももう一六だ。流石にそろそろ分別というか常識というか知性というか……そういうのを身につけてもいいんじゃないか?」
苦い顔をしながら言うゲーンに、セイは涼しげな表情を崩すことなく答える。
「あら、女は愛嬌ですわよ? 今更あの子がちょっとくらい頭がよくなったからってどうにもなりません。むしろ今のまま無知で無害であることを主張しつつ、整った容姿と大きな胸で殿方を籠絡させる方が幸せになれますわ。
前から話している通り、権謀術数とは無縁の小国の貴族家辺りに降嫁させるのがポーンにとって一番の幸せに繋がるかと」
「しかしだな……っと、すまぬ。これは客人の前で話すようなことではなかったな。茶会の準備が終われば係の者が呼びに行くであろうから、もう下がってよいぞ」
「畏まりました。では、失礼致します」
王の言葉に立ち上がったニックは、最後にそう言って一礼すると謁見の間を後にし、剣を受け取ってから最初に通された控え室へと戻っていった。
『何と言うか、ごく普通の王と王妃であったな』
(だな。それに礼金は……ほぅ、金貨か)
控え室にはニックしかいないが、城の内部となると何処に目や耳があるかわからない。話しかけてきたオーゼンに小声でそう答えつつ、ニックは腰の鞄から取り出した革袋の中身を確認する。
『多いのか?』
(いや、一国の姫を助けたとはいえ、実際大したことはしていないからな。むしろこのくらいが妥当だろう)
入っていたのは金貨が一枚。かつてキレーナ王女を助けた時よりもやや少ないが、ニックがしたことを考えれば十分な額であった。
と、そこでコンコンと控え室の扉がノックされ、ニックが声をかけると従者の男が部屋に入ってくる。
「失礼致します。ニック様、姫様のご準備が整いましたので、ご案内させていただきます」
「わかった。宜しく頼む」
先導する男に従い、ニックは城の中を歩いて行く。幾つもの角を曲がり長い廊下を進んでいくと、最終的に辿り着いたのは城の中庭と思われる場所。
「お待ちしておりました、おじさま!」
そこにやってきたニックの姿を見て、ポーン姫が嬉しそうに駆け寄ってくる。だが姫らしい綺麗なドレスを身に纏っているにも関わらずその頭には先程と同じフードを被っており、ニックの三歩手前で立ち止まったポーンの顔が急に辛そうに曇る。
「あの、おじさま……私、おじさまに謝らなければならないことがあります」
「む? どうしたのだ?」
「実は……」
決意を込めた表情のまま、ポーンがフードを脱ぎ捨てる。すると白いドレスが霞むほどに美しい柔らかな白金の髪が風に靡き、太陽の光を浴びてキラキラと輝いた。
「私、この国のお姫様だったんです! 今まで黙っていて、本当にごめんなさい!」
「お、おぅ……」
真剣な表情でそう言って頭を下げるポーンに、ニックは戸惑いを隠せない。城に呼んでおいてまさかまだばれていないと思っているとは思わなかったためにどう言葉を返せばいいか迷うニックに、何を勘違いしたのかポーンは更に言葉を重ねる。
「そうですよね。驚きますよね。まさか町で出会った美少女がお城のお姫様だったなんて、驚いて当然です。
でも、決しておじさまを騙そうと思っていたわけじゃないんです。どうかそれだけは信じてください!」
「う、うむ、そうか。大丈夫、信じるぞ」
「ありがとうございます! やったわ爺や! きちんと本当のことを話したらきっと許してくれるって、爺やの言う通りだったわね!」
「おめでとうございます姫様。きっと姫様の優しさがこの御仁にも通じたのでしょう」
「爺や!」
「姫様!」
背後に控えていたモーロックが歩み出てくると、ポーンの方からその背に手を回し二人揃って抱きしめ合う。
「……まあいいか」
本日二度目のその光景にニックは細かいことがどうでもよくなって、苦笑いを浮かべつつ二人の様子を眺めるのだった。