父、奢られる
「誠に申し訳ありませんですじゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
町中で最も人の往来のある、屋台の立ち並ぶ大通り。その中央に佇むニックの前では、上等そうなローブが汚れるのも構わず老人が地に頭をこすりつけて土下座していた。
「いや、もう本当に気にしておらぬから、頭をあげてくれ」
そしてそんな老人を前に、ニックは困り果てた顔で同じような言葉を繰り返す。だがそれに対する老人の反応もまた同じだ。
「いーえ! まさか悪漢共から姫様を助けていただいた恩人に斬りかかってしまうなど、このモーロック一生の不覚! かくなるうえはこの首を落としてどうにかお詫びを……」
「いけませんわ爺や! 爺やには私の子供どころか孫まで抱っこしてもらう約束だったでしょう?」
「確かに! ですが姫様、此度の失態にどうお詫びをすればいいか――」
「いや、だから気にしておらぬと何度も言っているではないか! 本当に本当にもういいから、早く頭をあげてくれ!」
「しかしそれではこの私の気が済みませぬ!」
どれだけニックが気にしていないと言っても、老人は頑なにそれを認めない。その間にも周囲には人が行き交っており、傍目には老人をいじめているとしか思えないこの状況がさっき散々すり減らされたニックの精神をトドメとばかりにガリガリと削っていく。
「……でしたら、お城にいらしていただくのはどうでしょう? お父様ならおじさまに十分なお礼を差し上げられるのではないでしょうか?」
「おお、それは名案ですな!」
もう何もかも忘れてこの場を走り去ってしまおうかと半ば本気でニックが思案し始めたところで、遂に女性の言葉で状況に変化が生じる。ガクガクとちょっと怖くなる勢いで首を縦に揺らした老人が素早く立ち上がると、そのままニックの顔にこれでもかというくらい自分の顔を近づけてきた。
「ということで、御仁! 此度のお詫びとお礼を兼ねて、是非とも城にいらしてくだされ! さあ! さあ! さあ!」
「近い近い近い! というか、今すぐか!?」
「……来てくれないのでしょうか?」
「うぐっ……いや、行かないとは言わんが……」
やたらと近い老人の顔を押しのけると、女性がもの凄く悲しそうな顔でそう呟く。そんな顔でそんな事を言われてしまえば、面倒事だとわかっていてもニックには行かないという選択肢がなくなってしまう。
「はぁ……わかった。今すぐとは言えぬが、後ほど城を訪ねさせてもらう。それでいいか?」
「はい! ではお待ちしておりますね! さあ爺や、私達は先に帰っておもてなしの準備をしましょう!」
「畏まりましてございます、姫様! よし、お前達帰るぞ!」
ニックの返事に上機嫌になった女性が、老人と連れだって弾む足取りで通りの奥、城の方へと歩き去って行く。そのすぐ後を衛兵達もまたぞろぞろと着いていき……その場に残されたニックはそれら全員を見送ったところでようやく一息ついた。
「はぁぁぁぁ……疲れたな……」
「大変だったねぇ、アンタ。ほら、これでも食べて元気出しな」
心なしかぐったりとした様子のニックに、芋串を売っていた店主が笑いながら芋串を差し出してくる。
「おお、ありがとう。というか、いいのか?」
「いいとも! だってアンタ、姫様のこと助けてくれたんだろう? なら芋串の一本や二本ご馳走したくなるってもんさ!」
「そうか、では遠慮無く」
受け取った芋串にニックがパクリとかぶりつく。今度のは蕩けたバターがタップリと絡まっており、疲れた心を芋と脂の旨味がじんわりと癒やしてくれる。
「……そう言えば、あの女性はやはりこの国の姫なのか?」
「ん? そうだよ。この辺に住んでる奴ならみんな知ってることさ」
「そうなのか? その割にはごく普通に対応していたが……」
普通に考えれば、自分が住んでいる国の姫が町中を歩いていたりしたら萎縮して当然だ。王族が護衛も連れずに一人で町を歩いているのも異常だが、それに平然と芋串を売れるというのもまた常識では考えづらい。
だが、そんなニックの当然の疑問に店主の夫人は笑って答える。
「ハハハ。あの姫様はね、こーんなちっちゃい頃からよく城を抜け出して一人で町に遊びに来てたんだよ。
といっても最初はアタシ等だってまさか姫様だなんてわからなくてね。何だかやたら高そうな服を着た女の子が来たかと思ったら、芋串一本に金貨を渡してきて……あの時は驚いたねぇ」
「ほぅ、それは確かに大事だ」
楽しそうに思い出を語る店主の婦人に、ニックは件の芋串を囓りながら相づちを打つ。
「で、こりゃおかしいと衛兵さんを呼んだら、何とお城のお姫様ときた! 当時はまだ若かったモーロックさんに抱えられて泣きながら連れて行かれて、ちょっと可哀想かとも思ったんだけど……その後すぐさ。
今度は変なフードを被ってて、『姫じゃないので大丈夫です! 芋串を下さい!』ときたもんだ! そんなのもう笑うしかないだろう? その後も度々一人で来ちゃあこの辺の店で買い食いをしたり、露店の品物を欲しそうに見たりしててね。
お姫様だってのにちっとも偉そうじゃないし、アタシ等の売ってる庶民の食べ物をそりゃあ美味しそうに食べるし、今じゃすっかり人気者だよ。本人は未だに姫だってばれてないつもりでいるから、気楽に話しても大丈夫だしね。
だからアンタには感謝してるんだよ。そうだよねぇ、あんな綺麗に育ったんだから、そりゃ厄介な馬鹿者に目をつけられたりするよねぇ」
それまで楽しげに語っていた婦人の表情が、そこで寂しげに沈む。
「そんなことがあったんじゃ、今度こそもうここには来てくれなくなるかもねぇ」
「……そうだな」
幾ら城下町とはいえ、美しく育った年頃の姫が一人で町を歩くなどそれこそあり得ない。それがわかっていてもなお、姫の笑顔が見られなくなることを寂しいと感じている婦人の気持ちに、ニックもまた複雑な思いを抱く。
(儂がもう少し慎重に事を運んでおれば……いや、そういうことでもないか)
今回の事件を手早く解決して、全てを「無かったこと」にすることはできた。だがそれで姫が二度と襲われないようになるわけがないのだから、単に問題の先送りでしかない。
そういう意味では致命的な展開になる前に現状を見直すきっかけとなったニックの行動は最善と言えるものだと思うが、それと気持ちは別問題なのだ。
「あの姫は、愛されているのだなぁ」
「ふふふ。これは内緒だけど……馬鹿な子ほど可愛いって言うだろう? 馬鹿みたいに素直で優しい姫様が、アタシ達はみんな大好きなのさ」
「フッ、そうか……馳走になったな」
食べ終わった木串を屋台の脇に置かれた屑箱の中へと放り、ニックは改めて町の中央、城の方へと視線を向ける。そのままそちらへと歩き出せば、腰の鞄からオーゼンが話しかけてきた。
『行くのか? 厄介事が嫌だというのなら、このまま他の町に移動するのも手だと思うが』
「厄介事は望むところではないが、あの姫をガッカリさせてまで回避することでもあるまい」
色々と困らされはしたが、無邪気な子供に振り回されたようなものだ。男手一つで娘を育て上げたニックからすればあの程度は可愛いものであり、今もおそらく城で自分を出迎える準備をしているであろう姫の笑顔を曇らせてしまうことを考えれば多少の問題など取るに足らない。
『やはり貴様は自ら望んで厄介事を背負いにいくのだな。まあそれでこそ貴様なのだろうが』
「何だオーゼン。そんなに褒められては照れてしまうぞ?」
『褒めてはおらんわ! フッフッ……』
冗談めかした口調で軽口を言い合いながら、ニックはゆっくりと大通りを歩いていった。