魔女、世界の歴史を語る ~過去の教訓と分かれる未来~
「えぇぇ、何それ……?」
「何と言うか……随分と意外な滅亡理由ですな」
ムーナの語った内容に、フレイとロンが微妙な表情でそう呟く。世界統一を果たしたという文明のあまりと言えばあまりの最後は、いくら何でも予想外に過ぎた。
「あら、そぉ? 私としては、これはいい教訓だと思うわよぉ?」
「教訓!? 何の!? 一見どうでもいいことでもしっかり注意しようとか、そういうこと?」
「違うわよぉ。たとえば……」
そこで一旦言葉を切ると、本を置いて席を立ったムーナがそっとフレイの側に歩み寄り、ほっそりとした指をフレイの首に回す。すると必然座っているフレイの眼前にはムーナの巨大な胸が迫り、色々な意味でそこから目をそらしたフレイがムーナの顔を見上げる。
「な、何? 突然」
「もし私がこのままフレイを絞め殺そうとしても、まず無理だわぁ。か弱い私じゃ相当に力を込めないと人の首なんて絞められないものねぇ」
「……か弱いかどうかはともかく、まあそうね。アタシだって黙って絞められたりしないし」
もし次の瞬間にムーナが渾身の力を込めたとしても、フレイには自分の首が絞まるより早くムーナの手首を握り砕く自信がある。歴代でもっとも戦士よりの勇者であるフレイと純粋な魔術師であるムーナの身体能力は、今やそれほどにかけ離れている。
勿論そんなことはムーナもわかっているし、本気で首を絞めるつもりなど最初からない。だがムーナはフレイの首から手を離すと、代わりに深い胸の谷間から小さな刃物を取り出した。
もっとも、それはとても戦闘に耐えられるようなものではなく、野外活動時に絡まった蔦やほどけない縄などを切る日用品の安いナイフだ。
「でも、この刃物を使えばフレイを殺せるわぁ。ちょっと首に刺すだけで絞め殺すよりずっとお手軽に命を断てる。それこそ子供だって実行できるわねぇ」
「そうね。父さんなら刺さらないでしょうけど、アタシは普通に死ぬわね」
取り出した刃物の腹でペチペチとフレイの首を叩いてみせるムーナに、フレイ微妙に眉をひそめつつそう言って頷く。ちなみに隣ではロンが「ああ、やはりニック殿には刺さらないんですな……」と小さく漏らしたが、それは二人とも気にしない。
「で? それが何なわけ?」
「文明は、人の力を底上げするってことよぉ。素手しかなかった時代には、人を殺すには相当の覚悟と技術が必要だったわぁ、でも刃物が生まれたことで、ちょっと隙を突けば子供でも人を殺すくらい簡単になったわぁ。
そしてそれがもっと発達したら? たとえば私の攻撃魔法を込めた魔石を投げるだけで使えるようにしたら、どんな人でも小さな村くらい吹き飛ばせるようになるし……武装が開放されたかつての魔導船なら、ボタン一つで見渡す限りを焼き尽くすことだってできたわぁ。
つまり、当たり前に慣れて油断しちゃ駄目ってことよぉ。今自分が立っている位置、手にしている力がどのくらい高くて強いのかを、きちんと見極めることが重要なの。その一番いい例を、貴方達は知ってるでしょぉ?」
「……それ、ひょっとして父さんのこと?」
伺うようなフレイの視線に、ムーナが満足げに笑みを浮かべる。
「そうよぉ! ニックが当たり前にやっていた事を、私達は『非常識だ』と散々言ってきたわぁ。でもそういう私達の力だって、普通の冒険者からすれば十分非常識なところにあるわぁ。
そしてそういう冒険者の力だって普通の町人からすれば圧倒的に強くて、そんな普通の町人だって小さな子供に負けたりしないわぁ。
自分の力は、自分にとって当たり前。でもそれを基準に全ての物事を判断してしまうと取り返しの付かないことになるっていうのが、この話の教訓ねぇ」
「なるほど。確かにアトラガルドの人々も自分達が日常的に使う力がどれほど高い位置にあるのかを理解して……いえ、思い出していれば、早々に対処をして滅亡などしなかったということですな」
「そういうことねぇ。彼らが遊びに使っていた力は、今の時代ならそれこそ武力で世界征服できるくらいの力だろうし、この魔導砲? だって、普通に発動させたら城くらい簡単に吹き飛ばせるんじゃないかしらぁ。そういう強い力を使ってるんだって自覚があれば、こんな終わりは迎えなかったんでしょうねぇ」
「…………確かに教訓ね」
普通、常識、当たり前。日常と慣れが「本来の正常」をズレさせてしまう脅威はより力を持ち、高い位置にいる者にほど深刻に作用する。自分が人類の頂点付近にいるからこそフレイはその脅威を正しく理解し、神妙な顔つきになったフレイを見て満足げに頷いたムーナはナイフをしまって自分の席に戻ると、改めて本を手にしてその内容を語り始めた。
「じゃ、続きいくわよぉ」
大規模魔力喪失事件。そう名付けられた悲劇の日から、世界は大混乱に陥った。特に問題だったのが食糧生産で、魔導具の動作不良による生産力の大幅低下とそれを危惧した人々の奪い合いにより、僅か一〇年で世界人口は三割まで減った。
その状況にこのままでは人類そのものが滅亡してしまうと考えた人々は、大きく分けて三つの派閥にわかれることになる。
一つ、回帰派。悲劇の事件を教訓とし、二度と同じ過ちを犯さないために人は分不相応な文明を捨てあるがままの姿に立ち戻るべきだと主張する人々。趣味で農耕をやっていた人物などをかき集め、小さな集落を作って自然と共に自給自足の生活を歩むことを選ぶ。
一つ、刹那派。自分が死んだ後の世界のことなど知らぬとばかりに、世界に残った僅かな魔力を無理矢理に集め、それが尽きるまで好きに生きようと自由奔放に振る舞う者達。世界各地に拠点をつくり、流石に調達が難しくなったゴーレムではなく自分自身が武装を纏ってただ愉悦のために戦いを繰り広げる。
一つ、復興派。無くなった魔力を取り戻し、もう一度世界を再生しようと考える人々。こちらもやはり世界の各地に拠点を作り、周囲から魔力を吸い上げ世界再生のための研究を続ける。
それら三つの派閥は時に利用し合い、時に戦いながらそれぞれの思惑のままに活動し、世界に爪痕を残していくことになる――
「……え? そこで終わり!? アタシとしてはそれからどうなったかが知りたいんだけど」
身を乗り出して言うフレイに、ムーナは思わず苦笑する。
「心配しなくても、続きはあるわぁ。ただここから先は、この本を書いた人……復興派の人の活動記録になるから、中立的な歴史書って感じではないわよぉ」
「復興派ですか……今の世界を見ると、その復興派の方々が最終的には勝利したということなのでしょうか?」
「そこは何とも言えないわねぇ。当然だけどこの本に『結末』は書いてないわけだしぃ。
ただまあ、今の世界に魔力が満ちていることを考えれば、そうだったのかも知れないわねぇ」
「ほらほら、続きは!? 早く早く!」
「焦らないのぉ! というか……一応言っておくけど、この先こそ私が話すかどうか迷ったところよぉ? これを知れば、きっと世界の見方が変わってしまう……それでも聞きたいぃ?」
困ったような苦しいような、そんな複雑な表情で問うムーナ。だがそれに対するフレイの答えは当然先程と変わることはない。
「そりゃ聞くわよ! っていうか、ここまできて聞かないとか逆に気になって仕方ないじゃない!」
「ですな。拙僧としても是非知っておきたいところです」
「ハァ、まあそうよねぇ……じゃ、話すわよぉ」
前のめりな二人の言葉に、ムーナは小さくため息をついてから話を続けた。