娘、「真実」に迫る
「何……これ……っ!?」
ニックが世界樹の塔に引き籠もったのと同時期。海底基地シズンドルの一室に英知と真実を求めた一人の魔女の声が静かに響く。
「嘘……じゃないわよねぇ」
とても人の辿り着けるような場所ではない海の底。本来の手段ではどうやって入るのかわからない遺跡。現段階では勇者にしか解けないと思われる封印などなど、これほどの手段を用いて嘘を書き残す理由などこれっぽっちも思い当たらない。
だがそれでも、ムーナはそう呟かずにはいられない。そこに書かれていた情報はそれほどまでに衝撃的なものだったのだ。
「どうしたのムーナ? 大声出して」
「な、何でもないわぁ!」
と、そこで声を聞いたフレイがムーナの背後から頭を出す。その行為にムーナは反射的にバタンと手にしていた本を閉じ、珍しく焦った声でそう答えた。
「……胡散臭い」
「何よぉ! いきなり人をそんな風に言うなんて、失礼じゃないのぉ」
「ムーナ、アタシに何か隠し事してるでしょ?」
「隠すぅ? こんなところでほとんどずっと一緒に暮らしているのに、一体何を隠すわけぇ?」
「それで誤魔化せてると思ってる時点でおかしいでしょ。普段のムーナならそんな雑な嘘言わないわよ?」
「うっ……」
ジト目で責めてくるフレイに、ムーナは言葉に詰まってしまう。心の動揺を抑えるのが精一杯でいつもより頭が回っていなかったことを自覚させられたからだ。
「ふふふーん。秘密の元は……これねっ!」
「あっ!? ちょ、フレイぃ!?」
フレイの手がサッと動き、ムーナが手にしていた本をかすめ取る。個人の持ち物ならそんなことはしなかったが、ここにあるのはこの遺跡に保管されていた本。であれば個人的な秘密がどうこうということもないだろうと、フレイは手にした本の表題を見て……
「……………………ごめん」
「? 別にいいけどぉ……?」
顔を伏せあっさりと本を返却してきたフレイの態度に、ムーナは戸惑いながらも本を受け取る。だがどうにもその態度が気になったムーナは、自分もまた手にした本の表題を確認すると……そこには何処かなまめかしい字体で「女性の欲求不満を解消する四八の指技集」と記載されていた。
「ごめん。そうよね、ずっと一緒に暮らしてたら、そういうのにも困るわよね。本当にごめんね、アタシ気が利かなくて」
「ちょっ!? ちがっ、違うわよぉ!?」
「うん。わかってるから! 大丈夫! アタシだってそこまで子供ってわけじゃないし、そういうのも……ほら、ね?」
「違うって言ってるでしょぉ! このお馬鹿娘ぇ!」
「痛い!?」
バコンと音を立てて、ムーナの手にした本がフレイの脳天に炸裂する。非力な魔術師、しかも縦ではなく横での打撃とあって大した威力があるはずもないのだが、フレイは痛そうに顔をしかめながら叩かれた頭をさすって見せた。
「うぅ、酷い……」
「酷いのはフレイの方でしょぉ!? 本の表題と内容が関係ないのは、貴方だって知ってるじゃないのぉ!」
「そうだけど……でも全部ってわけじゃなかったでしょ? ひょっとしたらそういう本を読むくらいたまってるのかなぁって」
「ひょっともそっともしないわよぉ!」
フレイが触れることで内容の変わる本は、全体の一割にも満たなかった。また本から魔力を抜いてやるともう一度元の状態に戻るため、偽装として書かれた本の内容を読むことも勿論可能である。そして偽装とはいえ書かれている内容そのものは表題にあったものであるため、それはそれで読み応えがあるのだが……当然ムーナが驚いたのは偽装の方の内容にではない。
「でも、じゃあ何でそんなに驚いてたの?」
「それは……」
問われて、ムーナは口ごもる。まだざっと流し読みしただけとはいえ自分が知り得た情報を伝えてもいいのかどうかを、ムーナほどの知者であっても即断はできない。
「……ねえムーナ。ここってさ、昔の情報が沢山集まってる場所なんでしょ? こんなところで厳重に保管してるってことは、きっといい情報より悪い情報とか、怖い情報の方が多いんじゃない?」
「一概にそうとは言えないけれど、使い方を間違えたら怖い情報は多いわねぇ」
「そういうのはざっくり悪い情報ってことでいいのよ。どんな情報だって聞く人次第だろうけど、それほど危険じゃなかったり危険さ以上に便利さが勝ってるような情報ならとっくに世の中に広まってるんだろうから」
「……ホント、フレイは単純よねぇ」
相変わらずの軽い調子に、ムーナは思わず苦笑してしまう。迷うことなく最短距離を突っ走る様は、正しくニックの娘と微笑まずにはいられない。
「むっ、何か馬鹿にされた気がする……まあとにかくよ。そんなところにある情報なんだから、その内容がどんなものだって驚かない……とは言わないけど、少なくとも頭ごなしに拒絶したりはしないわよ。
それに、アタシはここに真実を知りに来たんだもの。そこから目を背けたら、今こうしている間にも魔族との戦いで犠牲になっている人に申し訳が立たない」
「フレイ……」
笑う少女の顔と、真面目な勇者の顔。二つの顔を見せたフレイにムーナはしばし目を閉じて、己の胸に決意を宿す。
「わかったわぁ。まだ全部読んだわけじゃないけどぉ……ここには『世界の成り立ち』が書かれているわぁ」
「世界の? それって創世神話とか、そういうこと?」
世界には幾つもの宗教があり、その大半に「自分の信じる神様がこんな感じで世界を創った」という話がある。残念ながら神の実在を証明した宗教などというものはないが、それでも「世界がどうやって生まれたか?」などという漠然とした問いには多くの人が「神様が創ったんじゃない?」と答えることだろう。
だからこそ不思議そうに首を傾げるフレイに、しかしムーナは大きく首を横に振る。
「違うわぁ。そういう本当の始まりじゃなくて、今の世界を作った人達の話ねぇ」
「今の? 世界に今も昔もあるわけ? 国とかそういうことじゃなくて?」
「そう。この遺跡を作った人達……古代文明アトラガルドの人達は、自分達の手で壊してしまった世界をもう一度作り直したのよぉ。いえ、正確には作り直そうとした、かしらぁ?」
「え、何それ!? 直そうとしたって、じゃあこの世界ってどっか壊れてるの!?」
何とも要領を得ないムーナの言葉のなかで、唯一それだけを拾い上げてフレイが驚愕の声をあげる。まさか自分の住んでいる世界が壊れているなどと言われれば、当然の反応だ。
だがそれに対するムーナの答えは、否定でも肯定でもない。
「わからないわぁ。彼らは作り直そうとしたみたいだけど、世界を作り直すなんて五年や一〇年の話じゃないでしょぉ? だからここに書かれているのは、そのためにどんな手段を使い、何をしたかってことだけなのよぉ」
「ふーん。なら成功したんじゃないの? 別に変な事とかないし」
「そうかも知れないし、そうじゃないかも知れない。彼らが目指した世界が具体的にどんなものだったのかがわからないから、判断しようが無いわぁ」
「むー、何かさっきから回答がフワフワしすぎてない? 全然わからないんだけど!」
「だからそれを今から順番に話すのよぉ、お馬鹿さぁん!」
「へぐっ!」
ムーナの細い指に眉間を突かれて、フレイが変な声を出す。だがその瞳は今まで誰も知り得なかった未知への接触に興味津々だ。
「そうねぇ、どうせならロンも呼んできて、みんなで話しましょうかぁ。できればニックも呼びたいところだけれどぉ……」
「父さん? 確かに話を聞きたがるかも知れないけど……どうやって呼ぶわけ?」
「フレイが呼んだら飛んできそうな気がするけど、その場合きっとこの遺跡を殴り壊してここまで直進してくるから、今回は諦めるわぁ」
「あー……あはははは……」
ムーナの言葉にフレイが乾いた笑い声をあげる。その様子がありありと思い浮かんでしまったため、即座にニックを呼ぶことは諦めた。
その後フレイがロンを呼びに行き、勇者パーティの三人が遺跡の食堂兼休憩室のような部屋に集まる。全員の前にお茶が置かれると、ムーナは徐に本を開き、その内容を語り始めた――