王選の記章、力を借りる
「何か、想像と違うな……いや、でもこれが普通なのか?」
世界樹内部へと足を踏み入れたイキリタスが、キョロキョロと周囲を見回しながらそんなことを呟く。
世界樹の中はかなり暗く、イキリタスの魔法により照らし出された内部は数え切れないほどの管のようなものが集まり絡まりドクンドクンと脈打つ、まるで生き物の腸の中のようであった。
神聖な世界樹の中ということでもっと荘厳な場所を想像していただけに、その不気味さにイキリタスは戸惑いの表情を浮かべている。
『植物もまた生命であると考えれば不思議ではないが……確かに予想外だな。もっと整然としたものだと我も思っていたのだが』
そして、それはオーゼンも同じだった。「塔」という人工物であるという前提が頭にあったため、ここまで有機的な内面は予想外だったのだ。もっともこちらは「考えてみればそういうこともあるか」という程度であり、戸惑うという程ではなかったが。
「そういうのは、あの先なのではないか?」
そしてそんな二人をそのままに、ニックが通路の奥を指さす。入り口から奥に一〇メートルほど進んだ先にはもう一つの入り口とでも言えそうな口が開いており、その周囲には金属の壁が存在しているのがぼんやりと見える。
『ふむ。表面を大樹が覆っているが、Yggdrasill Tower本体はあの壁の向こう側ということか』
「つまりあれか? ボク達が世界樹だと思い込んでいたのはただの木で、その内側の塔こそが本物の世界樹……ユグドラシルッターの本体だったと?」
『それは現段階では何とも言えん。当たり前だが本来樹木の内部がこんな風になっていることなどないのだから、もっと密接に結びついているのかも知れんが……』
「まあ、その辺も行ってみればわかるであろう。さあ、行くぞ」
「フンッ! お前に言われるまでもない!」
ニックの言葉に鼻を鳴らしたイキリタスが、ズンズンと大股で歩いて行く。そうして金属の壁を通り抜けると、そこでまた周囲の景色が一変した。
「これは……間違いなく人工物だな」
作ったばかりの魔法の明かりを消しながら、イキリタスが漏らす。
足下は絡み合う木の根から金属の板になり、壁や天井を這い回る管は直線的な金属管となる。しかも先程までと違って足下や天井などに小さいながらも十分な光量の照明が定期的に敷設されており、暗闇に困るということもない。
「どうするオーゼン? これならばお主が触れれば何かわかるのではないか?」
『そうかも知れんが、ここまで来たのだ。せっかくだから行けるところまで行ってから調べる方がよかろう。その方が我としても作業が楽になるからな』
「そういうものか? ならばまあ、とりあえずこのまま進むか」
「……お前達、よくそんな落ち着いていられるな」
これはこれで圧倒されていたイキリタスが、平然と会話を交わすニックとオーゼンに憮然とした表情で声をかける。だがそんなことを言われても、ニックとしては苦笑するくらいしかできない。
「まあ、オーゼンと旅をしておれば色々と見る機会があったからな」
「はぁ、そんなもんかねぇ……ま、奥まで行くのはボクも賛成だ。こんなところで立ち止まられてもボクには何もわからないしね」
そう言って肩をすくめて見せてから、驚きで足を止めてしまっていたイキリタスが再び先頭を歩き出す。そのまま金属の通路を進む一行だが、ほどなくして辿り着いたのは行き止まりであった。
「あれ? ここで終わりか?」
『いや、これは自動昇降機だな。おい貴様よ、我をその手すりのでっぱりのところに重ねるのだ』
「うむん? ここか?」
そこだけ天井が無くなった、人が一〇人ほどは乗れそうな円形の終着点。その周囲を取り囲むように設置されていた手すりの一部にニックがオーゼンを重ねると、通路と繋がっていた部分の床から突如として追加の手すりがせり上がり、それが終わると足下の床がゆっくりと上に浮かび上がり始める。
「うおっ!? お、おいニック!? 浮いてる!? 上に登ってるぞ!?」
「そうだな」
「クソッ、何でそんなに冷静なんだよ!? まさかこれも経験済みか?」
「まあな」
「うっわ、何だそのムカツク笑みは!? 死ねっ! 落ちろ! この理不尽筋肉がっ!」
「ハッハッハ」
『……いい大人が何をやっているのか』
ちょっと得意げに笑って見せるニックに、イキリタスが割と本気で蹴りを入れる。だがその程度でニックの巨体が揺らぐはずもなく、じゃれ合う二人にオーゼンが呆れる間にも自動昇降機は上昇していき……そして数分後。床が固定され周囲の手すりが全て下がった場所に待っていたのは、周囲の壁一面に光る画像が映し出され、様々な所に無数のボタンが存在するという光景だった。
「こ……れは……?」
「ふーむ。この前の遺跡で見たものとよく似ておるな」
『まあ、この手の施設、設備であれば大体同じ作りなのだろうからな』
「何だこの絵は……? 動いてる? 幻影……というか、遠くを映しているのか?」
ニックからするとここ最近何度も見るようになった光景であり、オーゼンからすれば見慣れた景色だけに、その驚きは少ない。だがイキリタスにとっては何もかもが衝撃の連続であり、映し出される画像の数々を食い入るように見つめている。
「これは、エルフ? ボクの国を映しているのか? おい、ユグドラシルッター! これは――」
『おっと、それはやめておけ。こうして内部に入れているのだから大丈夫だとは思うが、一応貴殿では入れないことになっていたのだろう? 下手に呼びかけて不正侵入だなどと騒がれては事だぞ?』
「ぐっ……」
オーゼンの指摘に、イキリタスが悔しげに顔を歪める。だがこの場において自分にできることがないことはイキリタス自身が何より理解しており、それ以上は何も言わない。
『ここならば場所としても申し分ないな。では調べてみる故、我をその……そうだな、そこの出っ張りの上に置いてくれ。
ああ、それと今回は場所が場所だけに、慎重に慎重を期す。時間がかかるかも知れんが、その辺のものに下手に触れたりするなよ?』
「ははは、わかった。頑張れよオーゼン」
『うむ!』
ニックの応援にそう答え、オーゼンは意識をYggdrasill Towerの内部へと沈めていく。だがそこに施されたセキュリティーは防衛施設であった遺跡と比べてもなお高く、複雑精緻な魔法式を読み解くのは遠くから存在を眺めるだけでも膨大な時間が必要であることが理解できてしまう。
(これは厳しいな。少なくとも改変や干渉したりする余地はまるでない。何とか情報だけでもくみ取れればいいのだが……)
アトラガルドの至宝たる王選のメダリオンの処理能力を十全に発揮し、オーゼンはYggdrasill Towerの情報網の中を泳ぐ。だがそういう外部からの侵入を想定したうえで築かれている防壁は生半な手段では突破できず、高く厚い壁を前に、オーゼンは立ち往生するしかできない。
(ふふふ、これが現実であれば、ニックの拳で一撃なのだろうがな……ふむ?)
と、そこでオーゼンの中に閃くものがあった。それを実行可能か否か、今一度目の前の障害を子細に観察する。
行く手を阻むのは巨大な防壁。それは時間をかければ必ず解除できる反面、時間をかける以外の突破法が存在しない。つまり足止めの罠であり、進行不能の壁だ。であればここを突破することで何らかの罠が発動する可能性は限りなく低い。
対してその周囲には四八二の脇道があり、そのそれぞれに種類の違う罠が満載されている。どの道を選んでもその難易度は超高であり、罠が一つ発動するだけで逆流した魔力信号がオーゼンという人格そのものをズタズタに引き裂くような凶悪なものばかりだ。
目の前は壁。脇道は致命。だがオーゼンにはとっておきの切り札がある。
(貴様の拳、借りるぞ! 『王能百式 王の鉄拳』!)
瞬間、中に浮かぶメダリオンだったオーゼンの体が巨大な籠手へと変化する。あくまでも魔力回路内部におけるイメージのようなものだが、その力強さはオーゼンをして想像を絶するものだ。
(おぉぅ、この場ですら制御を誤れば意識を持って行かれそうになるな。まったくあの男の発現する力は、どうしてこうも非常識なのか……)
愚痴りながらも、籠手となったオーゼンの体を光が覆っていく。あくまでも意識の世界で自らの力のみで具現化しているからこそ、その拳はギリギリ制御がきく。
(すまぬな、Yggdrasill Towerよ。貴様の常識を……我が相棒の非常識が打ち貫く!)
輝く拳となったオーゼンが、分厚い防壁を無理矢理に破壊し突き進んでいく。通常ならばオーゼンですら完全突破に一八二年を有するであろう防壁を易々と貫通したところで能力を解除すれば、そこは既にYggdrasill Towerの中枢。
(ふぅ、ふぅ……魔力と処理能力の消費は激しいが、これはなかなかに爽快だったな。さて、では見せてもらうぞ)
Yggdrasill Towerに格納された情報の海。そこにオーゼンは細い糸のように伸ばした魔力を繋げると、砂漠の砂を一粒ずつ吟味するような丁寧さでその情報を精査していった。