父、話し合いを続ける
「ユグド……何だ?」
オーゼンの語る全く聞き覚えの無い単語に、ニックが首を傾げる。勇者パーティの一員として長いこと世界を旅してきただけに、一般人が知り得ないような知識や情報を色々と蓄えているニックであっても、その名称にはついぞ心当たりがなかった。
『Yggdrasill Towerだ。で、それが何かと言うと……我にもわからん!』
「わからんのか!?」
力強く断言したオーゼンに、ニックは思わずガクッと体が崩れ落ちる。
「というか、何だかわからんものをそんなに大仰に言ったのか……」
『知らぬのは仕方がなかろう。魔導兵装の事も我は知らなかったわけだが、それが守る施設となればつまり同時期、あるいは魔導兵装開発より更に後の時代に作られた施設のはずだ。であれば我が与り知らぬのは当然ではないか』
「いやまあ、それはそうだが……だが、ならば何故そんなに上機嫌なのだ? 何だかわからぬ施設を守っていたなどという情報が、そんなに重要なのか?」
『無論だ。あれほどの……今思えば魔竜王すらそうだったのかも知れんが、アトラガルドの時代に比べてなお強大と言える戦力で守るような場所だぞ? それほどの重要施設であれば、我の知りたい情報が眠っている可能性は十分にある。
アトラガルド滅亡の秘密とまでは言わずとも、それがどんな施設で何のために作られたのかなどがわかれば、その前後の時代のことがわかるはずだ。ただ……』
「ただ……何だ?」
ふと、そこでオーゼンが言葉を濁す。メダリオンの表面に苦い顔が透けて見えるような気分になりながらニックが問うと、オーゼンが若干声の調子を落として言葉を続けた。
『場所がな、はっきりとせんのだ。いくつかの座標と思われる数字があったのだが、そもそも基準点がわからなければ調べようがない。本来ならばもっとはっきりとした地図があったのだろうが、あの一瞬ではそこまでは引き出せなかったのだ。
それで貴様に提案なのだが、もう一度あの遺跡に戻れるか? 動力が死んでいたとしても、我ならば内部に残された情報を取り出すことが――』
「あー、それなのだがな……」
頼んでくるオーゼンに、ニックは言いにくそうに眉間に皺を寄せつつ遺跡の結末について話す。するとオーゼンが愕然とした呟きを漏らし、メダリオンの表面色が心なしかくすんで見えた。
『なんたることだ。情報の完全破棄……そこまで徹底していたか。まあ重要施設であれば確かに納得の処置ではあるが……』
「儂も一応、あの後ヒストリア殿と色々見て回ったのだが、儂の目では見ても問題なさそうな物でも、あのゴーレムが言うには内部の情報は消されているらしいのだ。他にも最初にこじ開けて入った部屋などは、魔石が全て砕けて……あっ!?」
『ど、どうしたのだ!?』
不意にそれを思い出し、ニックは魔法の鞄に手を突っ込む。そうして取り出したのは、あの時しまい込んだ謎の魔石だ。
「おお! これは!」
『それは、あの時貴様がしまい込んだ物か? 見たところ無事に見えるが』
「ふふふ、どうやらあの遺跡の情報消去も、魔法の鞄の中までは及ばなかったようだな……さあ、オーゼン。これで何とかなるか?」
『わからんが、調べてみよう。我を魔石の上に重ねるのだ』
その言葉に従い、ニックは取り出した魔石を膝の上に置き、その上にオーゼンを重ねる。
『ふむ。これはあのゴーレムの制御核のようだな』
「何っ!? では、ここにあの男の魂が――」
『いや、「守護者」と名乗った者ではなく、大量に襲ってきた方のゴーレムだ。中に刻まれているのもごく普通の命令式だな。これならば……ふむ』
そこで言葉を切ると、しばしオーゼンが無言になる。そのまま一〇分ほど待ったところで、オーゼンから満足げな声が聞こえてきた。
『ふふふ、終わったぞ』
「その声、上手くいったのか?」
『ああ。元々Yggdrasill Towerを防衛するための戦力だったおかげか、しっかりと守るべき物の場所も記録されていた。他にもいくつか気になる物は見つけたが、まずは目先の目標から片付けていくべきだろう』
「だな。で? そのユグ……ドラシルタワーか? それは何処にあるのだ?」
『うむ、それなのだがな。貴様と旅をしながら我が独自に作り上げてきた地図と今し方得た情報を合わせると、どうやらYggdrasill Towerはエルフの国にあるようなのだが……』
せっかく場所がわかったというのに、何故かオーゼンが言葉を濁す。
「どうした? 城の地下くらいなら、儂がイキリタスに頼んで掘り返してやるぞ?」
『それを頼もしいと言うべきかどうか迷うところだが、そうではない。Yggdrasill Towerは天を衝くほどの巨大な塔であるということなのだが、それに該当する建造物を見たことが無いのでな』
「それは……確かに無いな」
エルフの国にある最も高い建物は、王城だ。自尊心の強いエルフの国の王城とあって大きく立派な作りではあるが、かといってそれが天を衝くほどの塔かと言われれば当然違う。
もっとも、エルフの国であればそれに相応しい存在はたった一つだけ思い浮かぶ。問題はそれが建造物ではないということだが……
「世界樹、か?」
『貴様もそう思うか。我としてもそれ以外に思い浮かばぬ。貴様の股間から……ぐぬぬ……見上げた様相は間違いなく大樹であったが、天を衝く塔と言われてあれほど相応しい存在もあるまい』
「だが、そうなると困った事になったな」
二人の意見が一致したが故に、ニック顔に苦渋が満ちる。
エルフにとって、世界樹は極めて特別な存在だ。かつては勇者パーティの一員として例外的に世界樹に近づくことができたが、基本的にはエルフの王以外が世界樹に触れることは許されていない。
流石に世界樹があるということ自体は隠しようがないので知る者は多いが、その正確な位置は厳重に秘匿されているほどだ。
「一応イキリタスに頼むことはできるが、おそらく頷くまい。フレイに頼めば勇者特権で無理矢理に世界樹と対面することはできるだろうが……」
友と呼べる相手が嫌がることを、権威の力でごり押しする。娘の命がかかっているような状況であればどんな不義理や無法も躊躇するつもりのないニックではあるが、逆に言えばそのくらい切羽詰まってでもいない限り、そのような唾棄すべき手法をとるつもりなど毛頭無い。
『貴様がそう言うのであれば、本当に難しいのだろうな。だがこの情報を切り捨ててしまうのは、あまりに惜しい』
「むぅ……」
オーゼンの言葉に、ニックは腕組みをして考え込む。だがどれだけ考えようと適当な案は思い浮かばず、結局はイキリタスに直接聞いてみようという結論に至るだけだった。
「では、次の目的地はエルフの国か。とは言えその前にヒストリア殿の用事を片付け、メーショウ殿からも新しい鎧についての話を聞かねばな」
『今更急ぐこともない。しっかりとやるべき事を終え、準備が整ったら出発すればいい』
「だな。ではさしあたっては……ふぁぁ、そろそろ寝るか」
『全く貴様という奴は……』
大あくびをしたニックに、オーゼンが呆れた言葉を返す。だがそこには何処か優しげな思いが籠もっており、横になったニックのポケットに突っ込まれながらもその魔力の視界はニックの顔をしっかりと捉えている。
「そう言えば、お主を入れる鞄も新調せねばなぁ。この町ならば職人には困らぬだろうから、よい物を……何か希望はあるか?」
『鞄のか? そう言われてもな……強いて言うなら、我が他の物品とぶつからぬように仕切りがあったりすればいいくらいか?』
アトラガルドの至宝であるオーゼンが、たかだか小銭やポーション瓶などにぶつかったからといって傷つくことはあり得ない。だがだからといって、自分の体にカチャカチャと何かがぶつかってくるのは気分のいいものではないのも事実だ。
「わかった。ではそういうのを探してみるとしよう……また後でな、オーゼン」
『うむ。ゆっくり休むがよい』
まだ日は高いにも関わらず、ニックの瞼がゆっくりと降りていく。それをじっと見守りながら、オーゼンは新たな旅路のことを考えるのだった。