父、遺跡を後にする
「あああぁぁ……遺跡が死んじゃいましたー……」
「む……」
気持ちよく勝ち鬨を上げていたニックの耳に、ガックリと落ち込んだヒストリアの囁き声が聞こえる。言われて改めて周囲を見回せば、照明は落ち壁面に輝いていた幻影も全て消えている。
「あー、いや、それは……何と言うか、すまん」
「えっ? あっ!? ち、違いますー! 別にニックさんを責めているとか、そんなつもりは全然ないですー! ニックさんがやってくれなければ遺跡どころか私まで死んじゃうところでしたからねー」
「ぐぬっ……まあ、な……」
慌てて取り繕うヒストリアに、しかしニックの表情は晴れない。遺跡が自爆しようとした原因を作ったのがオーゼン、ひいては自分であったことを自分だけが理解しているということもあり、湧き上がる罪悪感はひとしおだ。
「何とか直せればよいのだが、完全に消し飛ばしてしまったからなぁ」
そんなニックが視線を向けるのは、自分の足下から斜め下に伸びる穴。肩をすくめればギリギリ自分も入れそうなその穴の先にはこの遺跡の動力があったはずだが、直接殴ったわけではないので『王の金槌』の対象にはならないし、そもそも今はオーゼンが眠りについている。つまりどうやっても修復は不可能ということだ。
「フフフ、古代遺跡の動力源の修理ができたりしたら、ニックさんは技術者としても大人気になっちゃいますねー。
大丈夫ですー。そもそもこういう残骸から歴史の真実を見つけ出すのが私達歴史学者の仕事ですからねー。この辺は全部残ってますから、扉の奥には資料が沢山あるでしょうし……」
『あー、いや、それはどうだろうな』
落ち込むニックを慰めるように語るヒストリアに対し、しかし横から否定の言葉が飛んでくる。それまでじっと成り行きを見守っていたゴーレムだ。
「ん? どういうことだ?」
『いや、さっきのアナウンスで「全データを破棄」って言ってただろう? あれは文字通り、本当に全部なんだよ。あれが発動した以上、この施設にあった価値のあるものは全部ガラクタになってると思うぜ?』
「そうなのか!? いや、しかしお主は平気そうだが?」
『ははは。俺はまあ、ちょいと特別製だからな』
そう言ってゴーレムが自分の腹をコツコツと指で叩く。
『自己判断力があるからこそ、施設がシャットダウンされても俺は動ける。だが命令無しじゃ動けない一般警備兵共は内部の魔力回路がズタズタにされて物言わぬ鉄くずになってるはずだ。
施設内部にあった魔導具なんかもそうだな。単純な金属やら何やらの塊として以上の価値を持つものは、もうこの施設には残ってねぇよ』
「えええぇぇー! そんな、そこまで徹底しなくてもー……うぅ、どうして幾つも見つかる古代遺跡から全然かつての文明に繋がる情報が見つからないのか、その理由が判明しちゃいましたー……」
『……まあ、それだけが原因じゃないだろうがな』
思いきりしょぼくれるヒストリアに、ゴーレムが小さくそう呟く。その言葉にヒストリアの長い耳がピクリと反応したが、恨みがましい目つきで下から見上げるヒストリアに、ゴーレムは何の反応も示さない。
「……はぁ。わかりました。いいですいいですー。それってつまり、もうここには障害となるゴーレムが出ないってことですよねー? なら普通の古代遺跡として上と一緒に調査を続けることにしますー」
「それでいいのか?」
「いいも何も、それ以外に方法がありませんからねー。ただ今回のことを報告するに際して、ニックさんの立ち会いもお願いしたいんですけど……」
「儂か? 無論構わんぞ」
「よかったですー! 魔竜王討伐という前例のあるニックさんと一緒なら、何とか見栄っ張りの大嘘つき呼ばわりされなくてすむはずですー。ちなみに、ゴーレムさんにも一緒に来てもらうことは……」
『無理に決まってるだろ。俺は俺でやることがあるからな』
「ですよねー。なら、もしまた会えたならばその時はお話してくださいー!」
『……いいぞ。会えたらな』
「やったー! ここまで完璧な会話のできるゴーレムなんて、数百年来の大発見ですー!」
言質を取ったとばかりに、ヒストリアが無邪気に大喜びしてみせる。その後ニックとヒストリアは未だ開けていなかった扉をこじ開けたりしつつ無事だった部屋を回り、ゴーレム曰く「ガラクタになった」はずのそれっぽい物品を幾つも回収してから遺跡を後にした。そうして遺跡に静寂が戻った後、それまでずっと大人しく床に座っていたゴーレムが徐にその腰をあげる。
『さて、うるさい奴らもいなくなったことだし、俺も行くか……』
随分と重くなった体を引きずり、ゴーレムが遺跡を歩いて行く。元いた場所からまっすぐ進めば、本来ならば管轄外となり立ち入ることのできない上層への上り階段に辿り着いたが、その足を段差に乗せても警告音も鳴り響かなければ己の体が固まる事も無い。
『やっぱり管理システムが落ちてれば、自由に動けるのか……なら、やることは決まりだな』
そのままゴーレムは遺跡を更に上へと進んでいく。大型兵装の保管庫を抜け、停止したエレベーターの壁面にかかっている梯子を登り、土と石でできた原始的な建物を抜け出すと……そのざらつく視界の先に、世界が広がった。
『おお……おおお……っ! 木が生えてる! こりゃ、森か!?』
何度も転びそうになりながら、ゴーレムはひたすらに森を駆ける。その目に映る世界は命に満ちあふれており、頭の中に鳴り響く警告音などもはや気にもならない。
『草が! 水が流れて……川になってる! 動物も……はは、ははははは!
安全装置解除! 背部ブースターに点火!』
『警告。残存魔力が一〇%を下回っています。ブースターの起動は――』
黒い筋肉親父との戦いで魔力循環機構に損傷を受けたことなど最初からわかっている。施設が無事なら修理も望めたが、今は己の消えゆく命よりもずっと大事なことがあった。
『知るか! とにかく俺を空に飛ばせ!』
絶叫してそう命じると、ゴーレムの背に細長い筒のようなものが二本せり出し、そこから激しい火を噴き出してゴーレムの巨体が空に舞う。
『…………………………………………ああっ!』
青い空。輝く太陽。眼下には豊かな森が広がり、遠くには町が見える。そして何よりその先には、自分達がずっと守ってきたものが見える。文字通りの「守護者」である彼に、それのもつ隠蔽効果は意味を成さない。
『Yggdrasill Tower……はは、何だあの見た目。あれじゃ本物の木みたいじゃねーか! そうか、そんな時間が経っていたのか。そりゃ古代遺跡呼ばわりされるわけだぜ』
元はむき出しの金属の塔。それが長い年月を経て自然と、世界と融合し、今や本物の大樹と何ら見分けが付かなくなっている。無論木というにはあまりにも巨大ではあるが、Yggdrasill Towerの役目を考えればそれは流石に仕方が無い。
『そうか、世界は……っ! なあオイ、見てるかお前等! 俺達のやってきたことは、決して無駄じゃなかった! 世界は、世界はこんなにも……っ!』
『残存魔力ゼロ。ブースター停止します』
無慈悲なその言葉と共に、ゴーレムの巨体が落下していく。それと同時にまるで涙で曇るように視界のざらつきが強くなっていくなか、それでもゴーレムは最後の一瞬まで世界を見続けた。
『任務、完了だ』
万感の思いを込めた呟きとほぼ同時にその巨体が地面に落ちた瞬間、あれほど堅牢だったゴーレムの体が最後の機密保持機構の働きにより硝子のように粉々に砕け散る。
風が、吹き抜ける。世界が息づいている証たるその風は森に生まれた白い砂を優しく吹き散らし、砂は風と共に世界を巡る。
人でなくなってなお世界のために戦い続けた戦士は、そうして静かに世界へと還っていった。