父、焼ける
『チッ。だからコイツは使いたくねぇんだよな……』
目の前の通路を塞ぐ、黒い球体。それを見ながらゴーレムはありもしない舌を鳴らして呟いた。それが心で浮かべる顔は苦り切っており、ギュルギュルと音を立てる球体を見つめる目には失望と落胆の光が揺れている。
局所防衛型自動兵装「守護者」として生まれたそのゴーレムには、仕事の重要度に見合うだけの武装が施されている。その身を構成する魔導兵装は当時の最新鋭のものであり、なかでも腹に入った魔導核は文明の崩壊と同時に生産することができなくなった、人の人格すら書き込むことのできる最高級の逸品を使っている。
そしてその最たるものが、拳に搭載された武装「ナグール・ナックル」だ。何処かの馬鹿の開発したそれは二六種類という明らかに多すぎる武装を搭載された浪漫兵器であり、なかでもモードG……重力兵装は発動と同時に小型重力場を生成し、拳を中心とした直径三メートルの球状空間を有無を言わさず吸い込んで押しつぶすという浪漫溢れる必殺兵器だ。
当然そんなものに耐えられる存在などいるはずもなく、使えば勝つ。それは必然であり、だからこそこれを使ってしまえばゴーレムになってまで感じたいと思っていた戦闘の高揚感や勝利の手応えなどというものは無くなってしまう。
拠点防衛用のゴーレムとしての使命と、人から転写された魂の欲求。だが本能は命令に逆らえず、引き起こされた顛末はゴーレムに虚しさしか与えない。
『つまんねぇ幕引きだぜ。だがまあ、悪いなオッサン。俺の任務はこの施設を守ることなんだ。恨むなら生身じゃないゴーレムの俺に出会っちまったことを――』
「恨まんさ。お主との戦いはなかなかに楽しいぞ?」
『……………………なん、だと……!?』
聞こえるはずの無い声が、黒い球体から聞こえてくる。それと同時に破壊の力を振りまいていた黒い球体が幻のようにその場から消え失せ、そこに現れたのは全身から血を流しながら、それでも不敵に笑う全裸の筋肉親父。
いや、正確には全裸ではない。その股間には黄金の獅子頭が燦然と輝いている。
「ふぅ……今のはなかなかにキツかったぞ」
『キツかった……? キツかったって、何だそりゃ? 本当に何だ!? 何なんだお前!? 何でアレをくらって無事なんだよ!』
「無事ではないぞ? 見ての通りそれなりの手傷は負ったからな」
『そういうことじゃねぇよ!』
血の流れる体を改めて見回すニックに、ゴーレムは思いきり叫ぶ。光すらねじ曲げるモードGの攻撃を受けて原型を留める存在など、ゴーレムには何一つ思い浮かばない。直径三メートルの攻撃範囲が些細だと思えるような巨大な敵ならば相対的にほぼ無傷という理屈でも理解できるが、これにすっぽり収まる大きさの敵が普通に立って歩いているなどあり得ないにも程がある。
「いや、そういうことだ。儂の鍛え上げた筋肉が、お主の攻撃を打ち破った。今ここで起こったことはそれだけであり、そして……まだ勝負はこれからだ!」
言いながらニックが無理矢理に拳を握って構える。そのままムンと力を込めれば、絶え間ない激痛と引き換えに流れ出ていた血がピタリと止まった。
『まったく、貴様は本当に無茶苦茶だな……』
そしてそんなニックに、股間のオーゼンが呆れた声をかける。その原因は、ニックがこうなった過程にあった――
ゴーレムの手が黒い闇を放った時、ニックは咄嗟に鞘ごと外した魔剣を後方に投げ放ち、同時に背後に跳びながら肩紐を引きちぎって魔法の鞄を外して、それを間に挟む形で衝撃を和らげつつヒストリアを後方に突き飛ばした。突然の行動に反応できず一〇メートル近く吹き飛ばされたヒストリアは強かに尻を打って目を回すことになったが、それ以外に目立った怪我はない。
もっとも、ヒストリアを助けていたせいでニック自身は重力場から完全に逃げることができず、宙に浮いた状態で足先がそれに触れた瞬間、とんでもない勢いで全身がその中心部へ向けて引き込まれてしまう。
(これはマズいな)
その場に渦巻く力の強さを瞬時に悟ったニックは、今自身が身につけているもので絶対に守らなければならない唯一の存在、オーゼンを『王の尊厳』で股間に装着すると、その場で体をクルリと丸めた。
それに一瞬遅れる形でニックの全身を超重力が襲い、いつもオーゼンが入っていた腰の鞄や身につけている衣服などの全てが足先に感じる『下』……重力場の中心へと吸い込まれて消滅する。
「…………っ!? ……………………っ!」
無論、それだけで荒れ狂う力が収まるはずもない。引き続き全身を引き裂き押しつぶそうとする力に、ニックはうめき声を出すことすらできない。世界の壁に挟まれ死神に足を引かれるような感覚のなか、ニックはただひたすらに耐え続ける。
『我を! 王能百式を使うのだ! まだ枠に空きはあったはず! この状況を打開できる力が必ず発現できるはずだ!』
そんなニックに、オーゼンは必死にそう呼びかけた。だがニックはそれに応えない。発現した能力が如何なものであれ、オーゼンを自分の筋肉で包み込んでいる場所からはずせば即座に潰されてしまうという確信があったからだ。
『何故だ!? 何故そこまでして我を守る!? 我はただの魔導具でしかないのだぞ!?』
「……………………」
悲痛なオーゼンの声に、やはりニックは答えない。ただし今度のそれは、答えられないからではない。答える必要がないからだ。
――相棒を守るのに、理由など必要あるまい――
体中の骨が、筋肉が悲鳴をあげるなか、ニックは薄く笑っていた。守るべきものが腕の中にあるという事実が、ニックの筋肉を更なる次元へと高めていく。
「フッ……フッフッフッ……」
その時、聞こえるはずの無い声がニックから漏れた。超重力すら押し返すほどの勢いで筋肉が震え、言葉を発したのだ。
(そうとも。物は考え方だ。それなりに強くなってしまったが故に、儂の筋肉はこれ以上鍛えるのが難しくなってしまっていた。だがこれほどの力で押さえつけてくれるというのなら、今こそ絶好の鍛錬の機会!)
『……貴様、何をしているのだ?』
ブルン、ブルンとニックの筋肉が震える。暗く冷たい揺り籠の中で、産声を上げるかのようにその筋肉が躍動する。
『何であろうか。今我はとても恐ろしいものを目にしている気がするぞ?』
そんなニックに、オーゼンは自分の抱いている恐怖心の方向性が変わったような気がした。このままにしておくと、何かとんでもないものが生まれそうな気がしてならない。
『我の声が届くとは思えんが、ゴーレムよ。今すぐ攻撃をやめた方がいいと思うぞ? 暴力や筋力では何も解決しないのだ。話し合いは大事だぞ? あとはほれ、身だしなみとか、慎みもな』
「フッ……フッ……フッフッフッ…………っ!」
ニックの筋肉の震えが、徐々に大きくなっていく。それは遂に重力波を押し返し始め、全てを押しつぶす黒い球体の中に凪のような静寂の空間が生まれていく。
『あっ……あー、これはもう駄目な奴だな。すまぬゴーレムよ。もう手遅れだ』
「フッ……フッ……フォォォォォォォン!!!」
一際高い音を立ててニックの筋肉が鳴動すると、それと同時に黒い球体が内側から弾けていく。それと同時に外で呟くゴーレムの声がニックの耳にも届き、ニックは「恨まんさ」と返答して――
「さあ、見せてやろう! これが新たに鍛え上げた我が筋肉の力! ウォォォォォォォォ!!!」
雄叫びと共にニックがポーズを決め、全身に力を漲らせる。するとどういうわけだかその肌が浅黒く変色していき、太陽の恩恵を集める香油でも塗ったかのようにその筋肉が黒くてテカテカになっていく。
これこそニックの新たなる筋肉。夏も終わりのこの時期に到達した、常夏の肉体美。
「ふぅぅぅぅ……待たせたな」
最高にいい笑顔を浮かべる筋肉親父を前に、ゴーレムは、そしてオーゼンもまた言葉を失う。
最強を超える最強、焼きニック誕生の瞬間であった。