父、改めて引き受ける
「そーですか! それはよかっ……あれ?」
ニックの発言に、ヒストリアが笑顔のまま首を傾げる。それからほっそりした指で二、三度自分の長い耳を弾くと、改めてニックの方に顔を向け直した。
「えーっと、私の聞き間違いでしょうかー? 今ニックさんが『断る』と言ったような……」
「聞き間違いではないぞ。確かにそう言ったからな」
「えええーっ!? な、何でですか!? ハッ、まさかさっき、メーショウさんとの逢瀬を邪魔した腹いせに!?」
「おいネーちゃん、何訳のわかんねぇこと言ってんだ? さっきのは鎧の参考に――」
「貴方は黙っててください!」
「オ、オゥ……んだよ、ったく……」
有無を言わせないヒストリアの物言いに、メーショウがふてくされたように小さく呟く。だがそんなことは気にしていられないとばかりにヒストリアはニックに詰め寄っていく。
「私、誰にもいいませんからー! 愛の形は人それぞれだと思いますし……あ、あとさっきはああ言っちゃいましたけど、報酬の方もできるだけ頑張りますから……あれ、でもニックさんお金持ちでしたよね? じゃあ目的はお金じゃなくて、ひょっとして私!? そんな、駄目ですー! いくら私が魅力的だからって、というかニックさんは性別なんてお構いなしなんですか!? ふ、不潔! 不潔で不純で不埒ですー! でもでもでもでも、あの遺跡を調査するためには……」
「あー、その、なんだ。とりあえず一旦落ち着かぬか?」
猛烈な早口でまくし立て、顔を青くしたり赤くしたり身もだえたり唸ったりととにかく忙しく変化するヒストリアに、ニックは苦笑しながらそう声をかける。その言葉にヒストリアは乗り出していた体を元に戻し、すがるような上目遣いでニックを見つめた。
「わかりました……あの、本当に何ででしょう? 常識的な範囲内で私にできることでしたら、できるだけニックさんのご要望には添う形にしますけどー……」
「うむ。ならばまずはこれを見てくれ」
そう言ってニックが鞄から取り出したのは、冒険者なら誰もが持っているギルドカード。当然その存在はヒストリアもメーショウも知っているが、だからこそ何故今更そんなものを見せられるのかと首を傾げる。
「ギルドカードですかー? 今更見せていただかなくても、ニックさんが冒険者であることを疑ったりはしてませんけどー……?」
「いや、そうではない。これを見てもらえばわかると思うが、実は儂は鉄級冒険者に昇級したのだ!」
「はぁ……? えっと、おめでとうございます?」
「まあアンちゃんの実力ならそりゃ昇級できるだろうな。そうか、一年経ってるから昇級したのか。おめでとさん」
「ありがとう二人とも。ということだから、儂はもう銅級冒険者の報酬では仕事を引き受けられぬのだ」
「…………えっ、それだけですか!?」
全く予想していなかったニックの答えに、ヒストリアが素っ頓狂な声を出す。だがニックは真面目な顔で言葉を返す。
「ははは。そんな事と言うが、これは重要なことなのだぞ? 先程メーショウ殿が己の技術を安売りしないと言ったように、冒険者もその実力に見合った報酬を受け取ることは大切なのだ。その辺をきちんとしておかんと、若い世代が割を食うことになってしまうからな」
たとえば金級冒険者にとって、銅級や鉄級が受けるような討伐依頼の対象は通りがかりに片手間で倒せるような強さでしかない。だからといって無償や格安で引き受けてしまえば、以後本来それらの仕事を受ける立場の者達が必死に頑張ったとしても、「あの時の人は金も受け取らずにもっと簡単に片付けてくれた」などと言われることになってしまう。
そしてこれは冒険者に限らず様々な業種に共通することであり、冒険者ギルドの一員として働くニックとしては絶対に看過できないことなのだ。
「まあそうは言っても個人的な依頼であれば融通を利かせることもあるが、未だ調査が続いているのであれば、あの遺跡は一般人立ち入り禁止なのであろう? 冒険者ギルドを通した依頼であれば、相応の金額で受けないわけにはいかんのだ」
「なるほど、そりゃもっともだ。おいネーちゃん、そのくらいの金払ってやれよ」
「わかってますよー! 鉄級冒険者の雇用費用くらいなら安いものですし……というか、そうならそうと先に言ってくれればいいじゃないですかー! もー、ニックさんはいじわるさんですー!」
「ハッハッハ。言おうと思ったのだが、お主が凄い剣幕だったからなぁ」
頬を膨らませポカポカと自分を叩くヒストリアに、ニックは笑ってそう答える。その後はひとしきりニックを叩いて満足したヒストリアが姿勢と表情を正すと、改めてニックに対して契約を持ちかけてきた。
「では、鉄級冒険者のニックさん。改めて私を護衛して遺跡に潜る依頼を受けていただけますかー?」
「勿論だ! 儂としても新たに見つかった遺跡とやらには興味があるしな。あー、だが、鎧はどうするか……」
「ああ、それなら三日待て。さっきアンちゃんが脱いだ鎧の穴をとりあえず塞いでおいてやる」
「む? いいのか?」
「構わねぇよ。普通なら流石にそんな突貫じゃ補修した部分の耐久に問題が残るんだが、アンちゃんに必要なのは防御力より見栄えの方だろうしな」
「そうだな。正直助かるが……何と言うか、すまぬ」
若干の皮肉のこもったメーショウの言葉に、ニックは決まりが悪そうに頭を下げる。そんなニックに対し、メーショウは一度だけ不機嫌そうに鼻を鳴らしてから挑戦的な視線で言葉を続けた。
「ケッ。いいってことよ。だがその代わり、その新たに現れたっていうゴーレム? の素材をいくらか持ってきちゃくれねーか? そいつを参考にすりゃ、今度こそアンちゃんの筋肉に見劣りしない防御力の鎧をこしらえられるかも知れねぇからな」
「儂の方は問題ないが……ヒストリア殿?」
「そうですねー。全部じゃなければ問題ないと思いますよー」
ニックが倒した魔竜王の素材というか残骸は、あまりにも希少すぎてその全てがギルド管轄となり調査と研究に回されてしまっている。例外はニックの持つ魔剣だけだが、その剣にしても「これはあくまでその場にあった素材を用いてメーショウが作り上げた新造の剣である」という苦しい言い訳などを積み重ねたことでようやくニックの所有が認められたものだ。
だが、今回の対象はあくまでも遺跡を守るゴーレムであり、同型の物が何体も出現することからその一部を功労者に分け与えることは決して難しくはない。それどころか現状ニックにしか倒せない以上、そのおこぼれを回してもらえるのは冒険者ギルドのみならずヒストリアなどの研究者側にも大きな利益があるため、よほど強欲な交渉をしない限りは通るだろうと判断したヒストリアは、割と気軽に頷いてみせた。
実際素材を半分ずつにする程度であれば、筆頭研究者であり貴重なエルフの協力者であるヒストリアには独断できる権限があるのだ。
「じゃ、決まりだな。なら三日後、また店に寄ってくれ。その時までにはアンちゃんの鎧はきっちりと直しといてやるよ」
「わかった。では三日後に鎧を受け取ったならば……」
「私と一緒にもう一度遺跡探検ですー!」
それぞれの目標が定まり、三者の視線が絡まって全員がニヤリと笑い合う。
「さあ、そうと決まればまずは前祝いですー! お弟子さーん! お師匠様の秘蔵のお酒とかおつまみとかがあったら、じゃんじゃん持ってきてくださいー!」
「いや、やらねぇよ!? 百歩譲ってアンちゃんに馳走するならまだしも、何でネーちゃんにまで奢らなきゃならねぇんだよ!?」
「えー、こちらのドワーフさんは、私だけのけ者にするような小さな小さなひげもじゃさんなのですかー?」
「ぐぐっ……の、乗らねぇぞ! って、テナライてめぇ、何持ってきてやがる!」
「いや、だって姐さんのご要望ですし……」
「ふざけんな! てか何でお前等いつの間にかこの長耳の言うことを聞くようになってるんだよ! あれか? 精霊魔法で心を操られたりしてんのか!?」
「それは酷い侮辱ですー! 私達高貴なエルフがそんなことするわけないじゃないですかー! 私の魅力にやられちゃったんですよねー?」
「馬鹿言うな! そんなほっそい体とうっすい胸にやられるドワーフがいるわけねぇだろうが! ドワーフにもてたきゃもっとケツと胸をでかくしてから出直してきやがれ!」
「……あれあれー? このおちびさんは死にたいみたいですねー?」
「何だオイ、やるか?」
掲げたヒストリアの手の上ではバチバチと閃光が輝き、立ち上がったメーショウは腕まくりをして拳を握る。どう見ても一触即発の雰囲気だが、それに緊張する者はこの場にはいない。
「テナライとやら。この二人は相変わらずこうなのか?」
「ええ、まあ」
「そうかそうか。相変わらず仲がよさそうでいいことだ」
「誰の仲がいいだと!?」
「誰の仲がいいんですかー!?」
「はっはっは。そういきり立たずとも、酒ならばほれ、儂が出そう」
ピッタリと声を揃えた二人に怒鳴られ、ニックは笑いながら魔法の鞄から秘蔵の酒を取りだして二人に振る舞う。そうして始まった宴会は三人のみならずメーショウの弟子達も巻き込んでいき、その日メーショウの鍛冶屋では夜遅くまで喧噪がやむことはなかった。