父、魔法都市を旅立つ
「……ふぅ」
一つ大きく息を吐いて、ニックが手にしていた本を閉じる。その顔には若干の疲労と大きな満足が浮かんでおり、持っていた本を丁寧に書架へと戻すと、改めて部屋の中を見回した。
「これで最後か……我ながらよくもまあこれだけの本を読んだものだ」
「そうだねぇ。大したものだよ」
そんなニックの呟きに反応したのは、近くで本を読んでいたヨンダルフだ。だがその言葉にはニックとしても苦笑を返すしかない。
「ははは、ヨンダルフ殿にそう言われるとはな」
「ん? 私が君を褒めるのがそんなに意外かい?」
「いやいや、そうではない。儂などよりよほど大量の本を読んでいるヨンダルフ殿に褒められるのが、何とも面映ゆかっただけだ」
食事も睡眠も必要のない体であるヨンダルフは、それこそ常に本を読み続けている。本を読んでいない時を見つける方が難しいような相手に読書量を褒められてはニックとしても調子が狂ってしまうのだ。
「ふふふ、君は私と違って、ごく普通の…………」
普通の人間と言おうとして、ヨンダルフの言葉がとまる。ダマーリンの必殺魔法すら拳で殴り飛ばす相手を果たして普通と言っていいのかと考えれば、その答えは全力で否であった。
「……まあいいか。で? 禁書庫の本を読み終わったってことは……」
「そうだな。もうそろそろこの町を出ようかと思っている」
ニックが今まで持っていた知識は、基本的に実体験からくる経験やそこで関わった人から聞いた話がほとんどだ。なので世界中の誰も知らないような驚愕の事実を知っていたりする反面、きちんと学問を修めていればわかるようなことをまるで知らなかったりする。
そういう意味では、この『英知の塔』で得られた知識はかけがえのないものであり、そこに充実を感じてはいたが……それでも冒険者として世界を巡るニックがいつまでも同じ場所に足を止めることはない。
「そうかい。ならキッター君とダマーリンには私の方から言っておこう。あの二人は捕まえるのが面倒そうだからね」
「おお、それはありがたい。できれば挨拶したいところだが、それも難しそうだしな」
ハリーは『未来の塔』の訓練に出現する幻影と成り代わって楽しく新人を指導しており、ダマーリンは『試練の塔』の奥に籠もってひたすらに魔法の研究に没頭している。どちらもニックならば会おうと思えば会えなくもないが、久しぶりの世界を満喫しているところを邪魔してまで会おうとは思えなかった。
「フッ。どうせ私達は歳も取らず死ぬこともない。そして君もちょっとやそっとじゃ……というか、どうやったら死ぬのかわからない感じだしね。そのうちまた戻ってきたら、旅の話を聞かせておくれよ」
「うむ、いいぞ。では次に来る時は、何か面白い土産話を持ってくるとしよう」
「その話がアトラガルドのことであることを期待しておくよ」
結局最後まで本に目を落としたままヒラヒラと手を振るヨンダルフに苦笑しつつニックは禁書庫を後にする。その後はツンドクに一言挨拶をし、あの後も幾度か顔を出したツクリマやウリマ達にも挨拶をすませると、長らく滞在していたマジス・ゴイジャンの町の門をくぐった。
「大分風が涼しくなってきたな。思えばここにも随分と長居したものだ」
少しずつ秋の気配が漂ってきた空気を吸い込み、マジス・ゴイジャンの高い塀を見返しながらニックが呟く。それに答えるのは当然ながらオーゼンだ。
『アトラガルドの情報が無かったことが悔やまれるが、あの塔の存在を知れたことは僥倖であった。それで? 次は何処に向かうのだ?』
「ふーむ。さしあたって行きたいところは……いや、あったな」
言いながら、ニックは自分の太ももに視線を落とす。そこには未だに大穴が空いており、他が綺麗なだけにどうしても目立ってしまっている。
『そう言えば、それは直せなかったのだったな』
「あの時はお主に似たメダリオンを見つけたりして、気づいたら時間が経ってしまっていたからなぁ。町の鍛冶屋でも断られてしまったし」
ニックの着ている鎧は、ドワーフの名工であるメーショウが手ずから鍛え上げたものだ。この町にも鍛冶屋はあったが、単に穴を塞ぐだけならともかく元の強度を取り戻させるのは不可能だと断られている。
「なので、とりあえずは精人領域まで戻ってメーショウ殿の所に顔を出そうかと思うのだが、どうだ?」
『我に異存はないぞ。あの村にさえ近づかなければ、全裸の集団に迫られることもないであろうしな』
「……うむ。あそこにだけは近づかないように気をつけよう」
ほんの僅かに表情を曇らせつつも、ニックの足はドワーフの国へと向かって歩き出す。その先に待っているのは――
「おいネーちゃん。お前いつまでここにいるつもりだ?」
勝手知ったる自分の店。そこで今日もグデッとしているエルフの女に、メーショウはただでさえ厳つい顔をしかめて言う。だがその顔が通用したのは遙か昔であり、今となってはその長い耳がピクリと動くこともない。
「いーじゃないですかー。これも経費節減って奴ですよー」
「いや、知らねぇよ! 金がねぇならその辺の木の下ででも寝ればいいじゃねぇか!」
「それは偏見という奴ですー! エルフはそんな原始的な生活はしてませんー!」
容赦の無いメーショウの言葉に、ヒストリアは唇を尖らせて抗議する。そこでようやく机に突っ伏していた上半身を起き上がらせると、ふぁぁと大きくあくびをしてから言葉を続けた。
「それより、この前渡したアレの様子はどうですか?」
「ああ、ありゃ無理だ」
ヒストリアの問いに、メーショウはきっぱりとそう答える。鍛冶仕事に「無理」と答えるのはいたく誇りが傷つくが、かといってできないことを認められないほど子供でもない。
「てか、何だありゃ? 髪の毛みてぇな細っこい魔法回路があり得ねぇ密度で組み込まれてて、とてもじゃねぇが手が出せねぇぞ?」
「あー、やっぱりですか。まああの魔竜王の墓所で見つかったものですからねー」
かつてニックが大暴れして、魔竜王を討伐した遺跡。あれは現在「魔竜王の墓所」という正式名称をつけられ、ヒストリアはあの日からずっとそこの調査と研究を続けていた。
そしてその最深部で、彼女はとある遺物を見つけた。それは砕けた金属の破片であり、一見すればガラクタにしか見えないそれが極めて高度な魔法道具の一部だと予想したヒストリアが駄目元でメーショウの元に持ち込んだのだが、古代文明の遺物はほぼ完全な状態のものですら解析不能なものが多いため、直せないというのは十分に予想の範囲内であった。
「だが、この俺がただ『何もできねぇ』なんて言ったりはしねぇぞ?」
「ん? ということは、何かわかったことがあるんですかー?」
思わせぶりにニヤリと笑うメーショウに、ヒストリアは耳をピクリと動かして問う。
「オウよ! ま、そうは言っても破片ってか断片ってか、俺が見る限りじゃ何のことだがわからねぇんだが……ほれ」
そう言ってメーショウが差し出した紙を受け取り、ヒストリアが視線を落とす。だがそこに書かれていたのはふにゃふにゃした謎の線と、いくつかの数字だけだ。
「……えー、これをどうしろと?」
「そんなこと俺が知るか! 俺が言えることは、コイツの中にはそんな感じの情報が入ってたってことだけだ」
「うーん…………あっ、ひょっとして…………?」
にょろにょろした線を眺めていたヒストリアの頭に、ふと閃くものがあった。ゴソゴソと鞄から何枚かの地図を取り出し、その線と地図を見比べていく。
「えーっと、こっちじゃなくて……これ? 違う? あー、昔の奴だから、地形が変わってるんですかねー。それも計算すると……」
「おお、凄ぇなネーちゃん。わかるのか?」
「フフーン! 当然ですー! ここは……っ!?」
素直に感心してみせるメーショウに得意げに答えたヒストリアだったが、不意にその目が大きく見開かれる。
「……メーショウさん。この覚え書きは他にもありますか?」
「いや、それ一枚きりだ。内容も俺の頭の中にしかねぇ」
「なら、二度とそれを表に出さないでください。これはエルフ王国からの正式な依頼です」
「……わかった。ほらよ」
普段は適当なヒストリアの真剣な言葉に、メーショウは短くそう答えると預かっていた金属片を返す。それを受け取ったヒストリアは精霊魔法で覚え書きの紙を一瞬で灰にすると、いつもの表情に戻ってメーショウに言った。
「何も聞かないんですかー?」
「ハッ! 中の様子が気になるからって火のついてる炉の蓋を開ける馬鹿が何処にいる? 興味はあるが、面倒事を背負い込むほどじゃねぇさ」
「そうですかー。とっても賢明な判断だと思いますよー」
「言ってろ。ほれ、用が済んだならもう帰れ! ここは俺の店であって、ネーちゃんの家じゃねぇんだぞ?」
「ブーブー! お茶菓子くらい出してくれてもいいと思いませんかー?」
「ざっけんな! オメェが俺のとっておきの干し肉を食ったこと、まだ忘れてねぇからな!」
「むーっ、体も器も小さいドワーフさんですー」
「出てけ!」
「ひゃうっ!?」
メーショウに思いきり怒鳴られ、ヒストリアが大慌てで店を出る。だがその頭にあるのは手にした金属片のことばかりだ。
(あそこに記されていたのは、世界樹の位置でした。数字はおそらく座標……なら他の数字の場所には何があるんでしょうねー)
「これはあの遺跡の調査は、もっと本腰を入れる必要がありそうですねー」
誰に聞かせるでもなく小さく呟くと、ヒストリアはそのまま自分の宿へと戻っていった。
今年一年、ありがとうございました。来年も楽しい話を書き続けられるよう頑張りますので、引き続き応援、ブクマ、評価等宜しくお願い致します。