道具屋店主、覚悟を背負う
「朝、か…………」
窓から差し込む柔らかな光に、ウリマは顔をしかめて頭を振りつつベッドから起き上がる。妻のビィと息子の世話を代わった時はまだ真っ暗だったのだからそれなりの時間寝ていたはずなのに、休めていた気が全くしない。
「うぅ、頭が重い……起きたならビィと交代しなくちゃ。いや、それより先に店の準備……違う、ギルドの方が先か」
ボーッとする頭はいつもの半分も働いてくれず、それでもウリマは霧散しようとする考えを何とか掴み取り、今やるべきことに優先順位をつけていく。最初にやらなければならないことは最も時間がかかり最も時間が無く、そして最も重要なこと……即ち薬師と冒険者のギルドに依頼を出すことだ。
「えっと、依頼書は机の引き出しに……だからここじゃないって。店の奥の部屋だ。ああでも、その前にビィに起きたってことだけは伝えておかなきゃ」
吹けば飛びそうな軽い思考と鉛のように重い体を気力で維持し、ウリマはテレマの部屋へと行く。軽くノックして扉をあければ、そこには表情に僅かに疲れを滲ませた愛妻の姿と、未だに苦しげに呻く最愛の息子の姿があった。
「おはようビィ。テレマの様子はどうだい?」
「アナタが寝たときと変わらないわ。ずっと熱が下がらないまま」
「そうか……今からギルドに出す依頼書を書くんだけど、その前に何かすることはあるかい?」
「ある。他の何をするより早く、顔を洗ってきて」
「……顔? 顔なんて一日くらい洗わなくても――」
「駄目」
ほんの僅かな時間すら惜しいと言うウリマに、ビィは強い口調でそう言いながらウリマの目をまっすぐに見つめる。
「アナタ、酷い顔してる。商売人がそんな顔で人前に出るべきじゃないわ。それに冷たい水で顔を洗えば、少しくらいはスッキリするわ」
「そう、か? 確かにそうかも……わかった。じゃあ顔を洗ったら書類を書くよ」
「お願い。その間に私は料理を作るから」
「え? ならその間は私がテレマを見ていようか?」
「扉を開けておくから大丈夫よ。それに私達二人だけじゃ、どうやってもずっとつきっきりというわけにはいかないんだから」
「……だね。じゃあせめて書類はここで書くことにするよ」
「わかった」
妻との会話を終えると、ウリマは素早く外に出て井戸の水で顔を洗う。まだ日が出て間もないだけに水はキリリと冷たくて、ぼやけていた頭を少しだけはっきりさせてくれた。
「なるほど、ビィの言う通りだ。なら後は……」
きちんと手を拭き家に戻ると、事務室から書類を持ってテレマの部屋に行く。そうして料理をしに出て行くビィを見送ると、ウリマは小さな机に持ってきた書類を広げた。
「さて、どうするか……」
考えるのは、依頼内容と報酬だ。どれだけの人数を集め、どれだけの報酬を出すのか? 昨日から思案し続けていたそれを、改めて紙に書いていく。
(冒険者の方は、おそらく通常の護衛依頼で大丈夫だ。念のためというなら銀級を雇うべきだろうけど、鉄級の方が数が多い分都合のつく人も多い。鉄級で……そうだな、募集人員は最大六人で、最低でも三人以上のパーティが一つは参加してくれるように。採取も含めて時間は往復三日、一日余裕を見るとしても四日だから、報酬は銀貨五枚で十分だろう)
素早く頭の中で計算し、依頼書に必要事項を書いていく。これに関してはさして迷うことはなかったのだが、問題はもう一枚、薬師ギルドに対する依頼書だ。
小さな町や村を渡り歩くような旅の薬師と違って、マジス・ゴイジャンのような大きな町の薬師ギルドに所属する薬師は自分の足で素材を採取しに出かけたりはしない。基本的な薬草などはギルドが一括して仕入れているし、特別に必要なものがある場合はそれこそ個人で冒険者に依頼するからだ。
(たまたま運よく旅の薬師が来てるなんて期待はできない。かといって自分の患者がいるであろう薬師の先生に何日も町を空けてくれと頼むのはかなり難しい。その無理を通してもらうとすれば、どのくらいの報酬を払えば……)
ウリマの頭の中で、再び算盤が弾かれる。一人前の薬師の仕事を代われるのは当然一人前以上の薬師のみなので、彼らが稼ぐ日当の最低倍額は報酬を出さなければそもそも検討すらしてもらえなくなってしまう。
そのうえで危険な場所に出向いてもらう手当をつけ、更にそれだけの手間をかけてでも行きたいと思わせる金額となると――
(銀貨五枚、いや一〇枚でどうだろうか?)
冒険者が最大六人で銀貨五枚なのに対し、薬師一人に銀貨一〇枚。一見すれば酷い格差だが、そもそも戦うことを生業とする人間とそうではない人間を強引に連れ出すのを比較すれば、この程度の差は当然だろう。問題はその金額ですら受けてくれるかが不明なところだが……
「やってみるしかないか。向こうの職員の人とも話をして、足りなければ追加で……一五枚くらいまでなら、何とか……」
魔法道具という割と高価な品物を扱っているだけあって、クール魔法道具店では銀貨の取引をするのは珍しいことではない。だがそれはあくまで商売上のやりとりであって、純利益として銀貨を稼ぎ出すのは決して容易いことではない。銀貨一五枚もの利益となれば、それこそ数ヶ月分の稼ぎになってしまう。
「パパ……ママ……」
「テレマ!? 大丈夫かい!?」
と、不意に自分を呼ぶ息子の声が聞こえて、ウリマは素早く椅子から立ち上がりテレマの側へと歩いていく。だがそれは単なるうめき声であったようで、テレマは熱に浮かされながら眠っているままだ。
「……そうだ。息子の為なら、この程度なんてことはない。もし本当にどうしようもなければ、借金をして回ってもいい。そのくらいの覚悟がなくてどうする」
再び椅子に戻ってから、自分に言い聞かせるようにウリマが呟く。金の管理ができない商売人が信頼されることなどあり得ない。借金が手切れ金になってしまうかも知れないし、無くした信頼は金貨の山でも買い戻すことはできない。
だが、息子の命は自分が築いてきたそれら全てよりも尊い。テレマさえ助かるのならば、裸一貫他の町でやり直したって構わない。
「あー、でもビィは……はは、言ったら怒られそうだな」
そんな決意を告げた時、妻がどんな顔をするかを思ってウリマは思わず苦笑する。今の生活を守るために息子を見捨てるなどと言ったら、彼の愛する妻は普段の冷静な表情を崩して烈火の如く怒り狂うことだろう。
「待ってろ、テレマ。今お父さんが助けてやるからな」
二枚の書類を書き終えると、ウリマはそっと部屋を出る。その後はビィの用意してくれた簡単ながらもしっかりと栄養のある食事を取り、最後にもう一度息子の顔を見てから、家の扉の前に立つ。
「じゃ、行ってくるよ」
「いってらっしゃい。気をつけて」
固い決意をのせた背中を妻に見送られながら、ウリマが家の扉を開く。だが何故か扉の前には壁が立っており――
「あれ?」
「おお、ウリマ殿か! ちょうどいいところであった!」
「に、ニックさん!? というか、父さん!? ちょっ、どうしたんですか!? まさか途中で魔物にやられて……っ!?」
ニックの腕の中でぐったりとしている父の姿を目の当たりにし、ウリマの脳裏に最悪の事態がよぎる。だがその切迫した言葉に返ってきたのは特に焦った様子もないニックの声だ。
「いやいや、違う違う。テレマの薬を作るのにかなり無理をしたようでな。ぐったりしておるが命に別状は無い……はずだ」
「そ、そうですか……え? 薬? あの、今薬って……」
「うむ! あー、その前に、先にツクリマ殿を寝かせたいのだが」
「あ、はい。じゃあこちらへどうぞ」
何が何だかわからないながらも、ウリマはニックを自分の部屋に連れて行く。元々ツクリマの部屋だったところがテレマの部屋になっているため、今現在この家にはツクリマの部屋というのは存在しないためだ。
「これでよし、と。で、薬だったな。ほれ」
抱きかかえていたツクリマをウリマのベッドに寝かせると、ニックが魔法の鞄から小瓶を取り出してウリマに手渡す。
「これは、薬……いや、え? だって……あれ? 森まで片道一日で、採取や調合にだって時間が……でも、ニックさんが父さんと出かけたのは昨日の夜で……あれ?」
「ははは。幼子が苦しんでいるというのだから、儂も少しだけ張り切ったのだ! ということで、昨日の薬師の先生を呼んでもらえるか? きちんと薬の出来を確認してもらわねばだし、念のためツクリマ殿の容体も見てもらいたいからな」
「は、はい…………」
ニックに頼まれ、ウリマはそのまま家を出る。もっともついさっきまで背負っていたはずの決意は何処かに飛んでいってしまっており、全身からにじみ出ているのはただひたすらに疑問と混乱だけだ。
「……あれぇ?」
ねじ切れるんじゃないかと思えるほどに首を傾げつつ、ウリマは早足で目的の変わった薬師ギルドへと足を運ぶのであった。