父、抱きかかえる
「お、いたいた。おーい、ツクリマ殿!」
テレマの部屋を出たニックは、すぐに居間で薬師の男と話し込んでいるツクリマの姿を見つけた。声を掛けて歩み寄ると、ツクリマが面倒臭そうに顔を向けてくる。
「なんじゃ? ワシは今忙しいんじゃが」
「ああ、申し訳ない。実は儂がツクリマ殿に同行することになりましてな。なのでそれを伝えておこうと思ったのです」
「は? 何でオヌシがワシについてくるんじゃ!?」
「それは勿論、ウリマ殿に護衛として雇われたからです。先ほど言った通り、儂はこれでも鉄級冒険者ですからな」
力こぶを作って見せるニックに、しかしツクリマはフンと鼻を鳴らす。
「ほぅ。まあそういうことなら一緒に来るのは構わんが、説明を聞き終わったらワシはすぐに出るつもりじゃぞ? オヌシはそれで大丈夫なのか?」
「すぐに? 吸魔草とやらの群生地は、ここから近いのですかな?」
「一番近い吸魔草の群生地は、町の西にある森じゃな。森まで徒歩で片道一日、森の入り口から群生地までおおよそ半日といったところじゃろうか」
ニックの問いに、ツクリマは僅かに思案してからそう答える。実際には自分の足で歩くとなればもっと時間がかかるだろうが、それを理由に旅立ちを反対されるのを嫌ったためだ。
そしてその言葉に、ニックは大きく首を横に振った。
「であれば、すぐに出るというのは賛同できかねますな。最低限ここで夕食だけは食べていくべきです」
「何を言っておるか! 孫が苦しんでいるというのに、暢気に食事など――」
いきり立つツクリマに、しかしニックは大きな手を突き出してその言葉を制する。
「駄目です。日帰りできる距離ならともかく、数日の行程となるならきちんとした食事は必須ですぞ? ツクリマ殿も元冒険者であったというのであれば、食事の重要性は理解しておられるのでは?」
「うぐぐ、それはそうじゃが……」
「薬師の立場からしても、食事はしっかりと取られることをお勧めします。どのみち吸魔草を採取するための道具を一旦家に取りに戻らなければなりませんから、その間に食事を済ませてはいかがでしょうか?」
「ぬぅぅ、先生にまでそう言われれば、仕方ないのぅ。じゃが、できるだけ急いでくれよ?」
「わかりました。では、早速行ってきますね」
そう言って薬師の男が席から立ち上がると、ツクリマには見えない角度でニックに視線を向けてくる。それにニックが無言で小さく頷いて答えると、男はそのまま家を出て行った。
「さて、では食事ですが……」
「大丈夫。後は温めるだけになってるから」
考え込んだニックに、いつの間にやらテレマの部屋から出てきたビィがそう声をかける。だがそれに先に反応したのはツクリマの方だ。
「ビィさん!? テレマは大丈夫なのか!?」
「とりあえずは。今はウリマが見てくれているから、その間に食事の準備をしますね」
「いいのか? 何なら儂が適当なものを用意してもいいが……」
「大丈夫です。来客の予定はなかったので一人当たりの量は少し減ってしまいますけど、食べてすぐに動くならその方が都合がいいでしょう?」
「おお、流石はビィさんじゃ! 本当によくできた嫁じゃあ!」
「……じゃあ、すぐに準備しますので」
ツクリマの賞賛にほんの少しだけ頬を赤らめつつ、ビィが手早く食事の準備をしてくれる。それをニックとツクリマが食べ、ちょうど小休止を終えた辺りで家の扉がノックされ、薬師の男が鞄を提げて戻ってきた。
「お待たせしました。こちらが吸魔草の採取とその場での薬の調合に必要な道具になります。使い方は先ほどお話しした通りですが、大丈夫ですか?」
「当然じゃ。調合法もバッチリ頭に入っておるでな。ではニック殿、早速出発するぞぃ!」
「父さん、本当に今から行くのかい?」
受け取った道具を背負い鞄に詰め込み準備を整えたツクリマに、ビィと入れ替えで居間に戻ってきたウリマが声をかける。いつもはじっくり味わって食べる愛妻の料理を急いでかきこむ手が止まり、その目は心配そうに父の方を見ている。
「夏だからまだかろうじて日が残っているけど、すぐに夜になるんだよ? 真っ暗な夜道なんて現役の冒険者だって歩かないって言うじゃないか。せめて明日の朝日が昇ってからでも……」
「まだそんなことを言っておるのか! ……わかっておる。ワシの身を案じてくれるのは嬉しい。じゃがどうしても苦しんでいる孫を放っておくことなどできんのじゃ。お前じゃって、今夜は眠れんのではないか?」
「それは……」
父に図星を突かれ、ウリマは言葉を詰まらせる。テレマの様子はビィと交代で見ることになっているからそもそも深い睡眠を取るつもりなどなかったが、たとえ自分が休む番になったとしても、妻と息子のことを思えば眠ることなどできないだろうことは容易に想像できたからだ。
「ワシ等は皆家族、結局は同じなんじゃよ。ならばワシは少々危険でも動くことを選ぶ。なに、心得はあるんじゃから大丈夫じゃよ」
「それに、儂もついておるからな。約束はきちんと守るぞ」
「父さん、ニックさんも……わかりました。でも、本当に気をつけて行ってきてくださいね? ニックさん、父さんを宜しくお願い致します」
「任せておけ! では行きますか、ツクリマ殿」
「うむ! いざ出発じゃ!」
家の扉の前で見送るウリマを背に、ニックとツクリマは早足で町の外へと向かっていく。こんな時間に町の外に出るということで門の所では軽く引き留められたが、ツクリマが事情を説明しニックがギルドカードを提示したことで無事に町の外に出ることができた。
「目的の森はここから西でしたな?」
「ああ、そうじゃよ。ワシの足ではそう長くは歩けんが、だからこそ最初の休憩までにできるだけ距離を稼がねば――っ!?」
ツクリマがそれを言い終わるより先に、ニックがツクリマの体をひょいと持ち上げ横抱きにする。そのあまりに突然な出来事に、ツクリマは思わず取り乱して声をあらげた。
「な、なんじゃ!? オヌシ、ワシをどうするつもりじゃ!?」
「うむん? ああ、背負った方が良かったですかな? こちらの方が運びやすいのですが……」
「そういうことではないわい! というか、何? ワシを運ぶじゃと!?」
己の腕の中で驚き目を見張るツクリマに、ニックはこともなげに言葉を続ける。
「そうです。失礼ながらツクリマ殿の足では、そう長くも速くも歩けないでしょう?」
「ま、まあそうじゃが……じゃが、如何に骨と皮だけの老いぼれとはいえ、ワシじゃってそう軽くはないんじゃぞ? ワシを抱えて歩いたりして、ニック殿が疲れ果ててしまっては本末転とうぉぉぉぉ!?」
既にゆっくりと歩き始めていたニックの歩調が、話しながらも徐々に速くなっていく。最初は気にしなかったツクリマも、迫る夜を振り切るような速さで移動されては流石に声を上げずにはいられない。
「は、はや!? こ、これはちょっと、速くないかのぅ!? こ、こんな速さで走ったら、すぐに疲れてしまうのではないか?」
「ハッハッハ。この程度なら一月走り続けたところで疲れたりしませんとも! さあ、お孫さんのためにも、もうちょっとだけ速くしますぞ!」
「そ、そ、そうか。そうじゃな、孫の為じゃからな。わ、わかった。わかっとぅぁぁぁ!?」
ツクリマの了承を得られたことで、ニックの速度が更に一段上がった。下手に外を向いたら顔の皮がめくれてしまうのではないかと思え、ツクリマはニックの逞しい胸にその顔を埋める。
(ああ、そうか。英雄譚に出てくる姫とは、別に勇者が好きだからこうしているのではなく、単に怖くて顔を埋めていたのかも知れんのぅ。なんと世知辛い……そんな現実知りたくなかったのぅ)
万が一にも振り落とされないよう、必死に体を小さく丸めるツクリマの脳裏に、ふとそんなどうでもいいことが浮かんでくる。
そうして老人を抱えた筋肉親父は、人気の無い夜の草原をただひたすらに疾走していった。