道具屋店主、決断する
「自分が行くって……馬鹿なことを言い出さないでくれよ父さん」
「馬鹿とはなんじゃ! ワシが昔冒険者じゃったことは知っておるじゃろう! それにそもそも、今から依頼を出しに行ったとして……それで間に合うのか?」
突拍子も無いことを言い出した父にウリマが呆れた声を出すが、それを受けたツクリマの言葉にウリマが薬師の男の視線を向ける。
「先生、どうでしょう? 息子にはあとどのくらいの猶予があるものなのでしょうか?」
「……ここまで小さなお子さんですと、一週間を超えるとかなり厳しいかと」
「一週間…………」
その答えにウリマが言葉を失う。一番近い吸魔草の群生地は、町から一日ほど歩いた先にある森の奥だ。一般的な冒険者に依頼した場合、行きで一日、森の入り口から奥に入って採取して戻るまでで一日、更に帰りの一日でおおよそ三日ほどの時間がかかる。
つまり、明日の朝一番で薬師と冒険者のギルドに依頼を出したとして、遅くとも三日以内に両者の都合がつかなければ手遅れになるということだ。よほど運がいいか大金を積むかしなければ、三日以内というのはなかなかに厳しい。
「ほれ見たことか! 迷っている暇などないじゃろう! ワシは行くぞ! 先生、悪いんじゃが薬の調合方法を教えてもらえんかのぅ?」
「それは構いませんが、流石に素人の方では――」
「大丈夫じゃ! ワシはこう見えても錬金術の基礎は学んどるからのぅ。扱う材料や目的は違っても、作業そのものはそう変わらんじゃろう?」
「そうですね。そういうことでしたら」
「よし、じゃあ早速教えてくれ!」
そう言うと、ツクリマが薬師の男の手を引いて部屋を出て行く。そうして扉が閉まったところで、呆然とその場に佇むウリマに徐にニックが声をかけた。
「あー、何と言うか、いいのか?」
「……あはは。そうですね。本当はよくないですよね」
力なく笑いながら、ウリマがそっと息子の方を振り返る。熱に浮かされたその頬に手を添えれば、そこには命の温もりがある。
「この子が助かるのならば、どんなことでもするつもりがあります。ですが私が森に行ったところで魔物に襲われて死ぬのが目に見えています。
それに、父さんは私がどれだけ言っても森に行くのをやめないと思います。ああなった時の父さんは、人の話なんて聞かないですからね。
だから私にできることは、明日の朝一番で薬師と冒険者のギルドに出向いて、少しでも早く人を雇うことです。その人達が父さんに追いついてくれれば、あるいは……」
「ふーむ……二つほど思うことがあるのだが、いいか?」
「はい、何ですか?」
「まず一つだが、お主のお父上が薬の調合ができるのであれば、雇うのは冒険者だけでよいのではないか?」
ニックのその言葉にウリマは虚を突かれたような表情をしたが、すぐにその首を横に振る。
「え? ああ、それは確かに……いや、やっぱり駄目です。若い頃ならともかく、今の父が長時間の徒歩移動に耐えられるとも思えません。まあ薬師の方が見つからなければ結果として父を連れて行った方が早かったかも……となる可能性はありますが」
「なるほど。つまりお父上の移動がどうにかなれば問題ないわけだな。であれば二つ目なのだが……冒険者を雇うつもりがあるのならば、今ここで儂を雇うつもりはないか?」
「えっ!?」
続いたニックの言葉に、今度こそウリマは驚きの表情を浮かべる。
「あっ、そうか! ニックさんは鉄級冒険者……っ! ですがその、大丈夫なんですか? お仲間の方と話もせずにそのようなことを決めてしまって?」
「ん? 儂に仲間はおらんぞ? 今は一人で活動しておる」
「一人で……? なら、尚更大丈夫なんですか? 失礼な物言いで申し訳ないのですが、お一人での活動となると色々と大変なこともあると思いますが……」
ソロで活動する冒険者というのもいないわけではないが、鉄級以下でパーティを組まないのは何らかの問題を抱えている人物が多い。一人で魔物と渡り合うには相応の強さが必要で、それは鉄級程度の冒険者が満たせるものではないからだ。
「ははは、その気持ちは理解できる。今日会ったばかりの冒険者の言葉を鵜呑みにするようでは商売などできんだろうからな。
だが、それでもあえて問おう。お主に儂はどう映る? 儂が口先だけでお主のお父上を守るに足らぬ存在だと思うか?」
「それは……っ」
幾多の冒険者の相手をしてきた商売人としてのウリマの目が、ニックの姿を見定める。すると今まで気にしなかったのが不思議なくらいにニックの装備が上等な物であることや、身長二メートルを超える体躯とはち切れんばかりの筋肉、そして何よりその体から醸し出される圧倒的な存在感が戦う者ではないウリマにすらわかるほどに感じられる。
「アナタ、お願いしましょう」
「ビィ?」
と、そこで今までずっと無言で息子に寄り添っていたビィが、ウリマに向かってそう声をかけた。振り向いたウリマの前でビィがしっかりと頷いてみせ、その判断にウリマもまた頷き返し、ニックに顔を向き直る。
「……わかりました。ではニックさん、改めて私から依頼させてください。依頼料の方はできるだけ工面しますので、どうか父と息子を……」
「うむ、引き受けた! 安心せよ。必ずお主のお父上を守り切り、薬を持ってくると約束しよう! では、儂はツクリマ殿にその旨伝えてくる」
「お願いします」
ウリマが深く頭を下げると、ニックがひとつ頷いてから部屋を出て行く。そうしてその場に残ったのは、ウリマとビィの夫婦に、荒い息を苦しげに吐いている息子のテレマのみ。
「ビィ、どうしてニックさんを? いつも慎重な君にしては珍しいけど」
「……目を、見たの」
家族だけになった部屋で問うウリマに、ビィは静かにそう答える。
「あんなに大きくて強そうな人なのに、あの人が私を見る目は、何だか寂しそうだったの。あんな目を向けられたのは、生まれて初めて」
「寂しそう……?」
ビィの言葉に、ウリマは首を傾げる。まるで高級な人形のようだと言われるビィの容姿はかなり整っており、見る者に冷たい印象を与えつつも人の視線を惹きつけてやまない。
そんな妻に色目を使う男は結婚前も後も度々出会ってきたし、それを妻に指摘されたことで付き合いを変えた知人も幾人かいるほどだが、そんな妻が「寂しそう」などと言う表現をした男は今回が初めてであった。
「それに、テレマを見る目が凄く優しかった。お義父さんとも仲がいいみたいだし、あれはきっと悪い人じゃない。というか、もし悪い人だったら最初にもっと色んな条件を突きつけられただろうし」
「ああ、まあそれは、ね」
愛する妻の言い分に、ウリマは納得の意を返す。こちらに相応の財産があるのを知ってなお、えん罪で衛兵に捕縛させてしまったことを笑って済ませてくれたのだから、よほど計算高い極悪人でなければ善人だろう。
「とはいえ、完全に任せてしまうのも心配。冒険者と薬師の方も別できちんと依頼を出しておいた方がいいと思う」
「そうだね。出費は痛いけど、息子には変えられない。そっちは明日の朝一番で私がやっておくよ」
「お願い。私はテレマについていないといけないから」
そう言って、ビィがテレマの方に顔を向ける。自分の冷たい手を火照った額に当てると、うなされていた息子の呼吸が少しだけ落ち着く。
「血の巡りが悪くて冷たい体が好きじゃなかったけど、今だけはそれに感謝したい」
「ビィの手は冷たくなんかないさ! いつだって優しくて温かくて――」
「手足が冷たいのは体質だから仕方ない。アナタが温めてくれるから、私はそれで十分」
「ビィ……」
息子を労る妻の体を、ウリマは背後からそっと抱きしめる。
「守ってみせる。君もテレマも、勿論父さんだって。私の力できっと……」
「ん。頼りにしてるね、ウリマ」
愛する家族を守る為。ウリマもまた静かに決意を固めていた。