父、気にかける
「いやぁ、驚きました。そうですよね、冗談ですよね」
「はっはっは、当たり前ではないか。流石に余所様の家で本気で暴れたりはしないぞ?」
一騒動起こりそうで起こらなかった、クール家の一室。改めて席を勧められたニックは、出されたお茶を啜りつつそう言って笑う。
『我は誤魔化されんぞ。あの時確かに貴様は本気だった……ぐおっ、握るな! 何故貴様は都合が悪くなると我を握りつぶそうとするのだ!』
「? どうかなさいましたか?」
「いやいや、何でも無い。ちょっと痒かっただけだ」
不思議そうな顔をするウリマに、素知らぬ顔をしつつこっそりとオーゼンをニギニギするニック。そのまま全く何の理由もなくウリマから視線を逸らすと、そこにはニックの正面に座り、楽しげな顔で隣に座る孫にお菓子を与えているツクリマの姿がある。
「ほーれ、テレマ。お菓子じゃぞ!」
「ありがとじーじ……おいしい」
「そうじゃろうそうじゃろう! ほれほれ、まだまだ沢山あるぞ! じーじの分まで食べてよいからのぅ」
「父さん! あんまり食べさせたら夕食が食べられなくなっちゃうだろ? テレマ、ほどほどにな」
「うん」
ウリマの言葉に素直に頷き、テレマが小さな両手で掴んだ焼き菓子を少しずつサクサクと囓っていく。その愛らしい姿はニックの顔をほころばせ、隣に座っているツクリマに至ってはデレデレに表情が蕩けきっている。
「あー、可愛いのぅ。ほんにワシの孫は可愛いのぅ」
「父さんは相変わらずだなぁ……あ、よかったらニックさんも夕食を一緒に如何ですか?」
「ぬ? いや、それは流石に悪いのではないか?」
「いえいえ、構いませんよ。こんな時間まで引き留めてしまったのは私や父さんのせいですしね。とは言え夕食にはまだ少し時間が早いですし、よかったら店の方も見ていかれませんか? ウチは冒険者用の魔法道具も色々と取りそろえていますから」
「ふふっ、そういうことなら是非見せてもらうとしよう」
軽く商売人の表情を覗かせるウリマに、ニックは笑顔で答えて席を立つ。単純に食事をご馳走になるだけでは気が引けるところなので、こういう気遣いをしてくれるのはニックとしてもありがたい。
「ケホッ、ケホッ」
「おっと、どうしたんじゃテレマ? 喉に詰まったか? ほれ、お茶を飲みなさい」
「うん。ありがとうじーじ……」
「さあ、ニックさん。こちらです」
「ん? ああ……」
咳き込むテレマの姿が少しだけ気になったが、ウリマに催促されニックは店の方に進む。するとそこはなかなかに立派な店舗で、店番をしていた若者がウリマに向かって頭を下げてくる。
「ウリマさん! お疲れ様です」
「ああ、お疲れ様。店の方はどうだい?」
「この時間なんで、今日はもう落ち着いた感じですね」
「そうか。なら少し早いけど、今日はもうあがってもいいぞ。私はこちらのお客さんに店の商品を案内するから、閉店作業も私がやっておこう」
「わかりました。では、ごゆっくりどうぞ」
店員の男はニックに一礼すると、そのまま軽く身支度を調えて店から出て行った。そうして貸し切りのような状態になった店の中で、ニックはゆっくりと品物を見定めていく。
「この辺はランタンか?」
「はい。これなんかはオススメの逸品で、通常の魔石ランタンはバグ系の魔物の羽を明かり窓に使うことが多いんですけど、これはより透明度の高いマンティス系の羽を特殊な形にくみ上げることで、内部に仕込む明かりの魔石の等級が同じでもより明るくなるようになっているんです。
その分加工賃がかかっているので多少割高ですが、魔石はともかくランタンは一度買えば長く使えるものですから、結果的にはお得だと思いますよ」
そんな説明をしながら、ウリマが実際にランタンに光を灯してみせる。内側からの光が複雑に反射している為か、確かに通常のランタンよりも三割程度明るい。
「これななかなかよい物だな。これはお父上が作られたのか?」
「いえ、これは別の錬金術工房の作品ですね。父はあまり売り物を作ってはくれないので……」
「そうなのか? 先ほどお邪魔した家というか、工房? にはかなり大量の魔法道具があったが」
「あはは、あれはほとんど父の趣味ですよ。父から夢の話はお聞きになりました?」
「夢というと、ダマーリン殿のような偉大な魔術師になりたいという、あれか?」
ニックの言葉に、ウリマは少しだけ困った顔をする。
「はい。ウチの家系は代々魔法道具の技師とか錬金術師とかの所謂裏方の仕事を生業としてきているんですけど、父だけはどうしても魔術師になりたいときかなかったみたいで。
なので父は自分が魔術師として戦うための魔法道具の作成や開発ばかりをやっているんです。まあそれはそれで売れますし、祖父から商売に必要な人脈や必要最低限の知識は教わっているんで、だからどうというわけでもないんですが」
「そうか。夢を追うというのは尊いものだが、同時に困難も伴うものだからなぁ」
ニックの頭に浮かぶのは、死に物狂いで自分を鍛えた日々。マインとの約束を果たすための努力は極めて困難な道のりであり、その為にフレイが享受すべき普通の娘としての生活の幾ばくかを犠牲にしてしまったことは否めないが、ニックはそれを後悔したことはない。
ないが、だからといってフレイに「普通の幸せ」を与えてやれなかったことを心苦しく思わなかったわけではないのだ。
「まあ、もうあの歳ですし、今は好きに生きて欲しいと思いますよ。幸い自分には商売の才能があったみたいなんで、生活に困ったりすることもないですしね。むしろ応援したいくらいですが、こればっかりは……」
「だなぁ。儂も魔法はまったく……いや、ほとんど使えんから、魔法の才能を伸ばす方法など思いつかんしな」
「あれ? そうなんですか? でもその胸のメダリオンは……」
不思議そうな顔のウリマが見つめるのは、ニックの着ている鎧の胸に輝く、ヒビの入った卵の描かれた虹色のメダリオン。それが『賢者の卵』であることはこの町の住人であれば誰でも知っており、それを身につけているということは全属性の魔法が使えるということだ。
「これは……あれだ。まあちょっとしたコツというか、それで手に入れたものでな」
「あー……確かに大人であれば、どうとでもなりますからね」
ニックの曖昧な笑みを見て、ウリマが思わず苦笑いを浮かべる。『未来の塔』での訓練に参加した大人が、ムキになって魔石や魔法道具でゴリ押しするということはたまにだかあるのだ。
「あ、でも、そういうことでしたらこれなんかどうです? ダイアードボアの胃袋を加工して作った水袋なんですけど、中に仕込んでいる湧き水の魔石に工夫がありまして――」
「ウリマ! おい、ウリマ!」
「……すみません。ちょっと失礼します」
「構わん。というか、儂も一緒に行こう」
いい調子で売り文句を説明しているウリマの言葉を遮るように、店の中にツクリマの大声が響く。その必死な様子にウリマがニックにそう謝罪してから店の奥へと戻っていき、当然ながらニックもその後を着いていく。
「どうしたの父さん?」
「テレマが! テレマの様子がおかしいんじゃ!」
「はぁ……はぁ……」
ツクリマの腕の中にはぐったりとしたテレマが抱かれており、その顔は見るからに赤く呼吸も荒い。
「テレマ!? 父さん、これは!?」
「わからないんじゃ! 確かにさっきから少し咳き込んでいるとは思っていたんじゃが、突然倒れたと思ったら凄い熱で……」
「ど、どうしよう!? どうすれば……」
「落ち着いて」
慌てふためくウリマに、いつの間にかやってきたビィが静かにそう声をかける。
「ビィ!? 大変なんだ、テレマが……」
「わかってる。だからアナタは薬師の人を呼んできて」
「そ、そうか! そうだね! じゃあすぐ行ってくる!」
「ならば、儂がここに残ろう。容態が急変した場合などでも、儂ならば全員抱えて走れるからな」
「お願いします! では!」
ニックの言葉に気もそぞろに返事をしてから、ウリマが跳ぶような勢いで家を出て行く。
「私がテレマをベッドに連れていきます。ニックさんは、お義父さんをお願いします」
「わかった」
「うぅ、テレマ。テレマよ……」
ビィがテレマを連れていくなか、ニックは涙を流して落ち込むツクリマを優しくなだめ続けた。