父、喧嘩を売られる
「すみません! すみません! 本当に申し訳ありません!」
「ああ、いや。もういいから、気にせんでくれ」
町中にある、とある魔法道具を扱う店の奥。その店の店主でありツクリマの息子である男性にこれでもかと頭を下げられ、ニックは曖昧な苦笑しながらそう返す。
「まったく、何をやっとるんじゃオマエは!」
「だって、まさか父さんの家に知り合ったばかりの人が飲みに来ているなんてわかるわけないじゃないか! ああ、いえ、違います! 決してニックさんが悪いと言いたいわけではなく……」
「いやいや、儂も悪かったのだ。見ず知らずの武装した男が一人暮らしの父親の家にいたら、警戒するのは当然だからな」
『そうだな。貴様のような見ず知らずの巨漢の戦士が家にいたら、強盗の類いと疑われて然るべきだからな』
「ぬっ」
腰の鞄から余計な一言を投げてくる相棒をパスンと叩きつつ、ニックはひたすらに男性をなだめすかす。そうしてどうにか謝罪を切り上げさせることに成功すると、改めてその男性が自己紹介を口にした。
「それでは、改めて名乗らせていただきます。私はここにいるツクリマの息子で、このクール魔法道具店の店主であるウリマ・クールです。こちらは私の妻で、ビィと申します」
「ビィです。この度は色々とご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
ウリマの紹介に、その隣に立っていた二〇代中盤くらいと思われる若い女性が頭を下げる。
「ビィさんは沈着冷静で気配りもできる自慢の嫁でなぁ。全くワシの不肖の息子が、よくぞまあこんなよくできた若い嫁さんを捕まえられたもんじゃ」
「父さん、本当に勘弁してくれよ! いや、違うよ? ビィが素敵な女性であることを否定したいわけじゃ――」
「わかってるから、大丈夫。それにどちらかと言うなら、捕まえたのは私の方」
「あ、あはははは……」
あまり表情は動かさず、だがほんのりと頬を染めて言うビィに、ウリマがはにかんだ笑みを浮かべる。
「そ、それでこの子が……あれ? 何処行った?」
「ここ」
周囲をキョロキョロと見回したウリマに、ビィが短くそう呟く。その足下には母親の足にしっかりとしがみついて顔を隠している三、四歳くらいだと思われる子供の姿がある。
「ああ、そこにいたのか。この子は息子のテレマといいます。ほら、テレマ。ご挨拶は?」
「…………」
ウリマに声をかけられ、テレマが母の足から半分だけ顔を出す。だがニックをチラリと見ると、すぐに元の通りに隠れてしまった。
「申し訳ありません。息子はどうも照れ屋というか、人見知りをするようで。まったく誰に似たんだが……」
「間違いなくアナタ。照れてる顔がそっくり。可愛くて思わず頬ずりしたくなる」
「あ、アハハハハー! 何を言ってるのかなぁビィは! えーっと、その、本当に申し訳ないです」
「ハッハッハ! 仲がよいのはいいことではないか。さてと……」
ツクリマと違って酔っているわけでもないのにこの場で一番顔を赤くしているウリマに笑ってそう言うと、ニックはその場にしゃがみ込み、ビィの足に隠れているテレマに向かって優しく話しかける。
「お主、テレマというのか? 儂はニック。旅の鉄級冒険者で、お主のお祖父ちゃんのお友達だぞ?」
「…………じーじのともだち?」
「ああ、そうだ! どうだ? お主も儂と友達になってくれんか?」
顔を半分だけ出したテレマに、ニックはその大きな手を差し出す。それを見てテレマは三度手を伸ばしたり引っ込めたりを繰り返してから、最後はやはり母親の足に隠れてしまった。
「ぬぅ、嫌われてしまったかな?」
「ほっほっほ! テレマは恥ずかしがり屋じゃからのぅ。大方オヌシが大きすぎて驚いているといったところじゃろう。ああ、可愛いのぅ。ワシの孫は世界一可愛いのぅ。
ほーれ、テレマや! じーじのところにおいで」
満面の笑みを浮かべたツクリマが、両腕を広げて猫なで声で孫を呼ぶ。だが呼ばれたテレマは少し顔を出してツクリマの方を見ると、またもすぐに隠れてしまった。
「な、何故じゃ!? ほれ、ワシじゃぞ? じーじじゃぞ? 今は持っとらんが、いつも面白いおもちゃを持ってくるじーじじゃぞ?」
「…………じーじ、おさけくさい」
「ぐはぁっ!?」
半分だけ顔を出したテレマに言われて、ツクリマがその場でよろける。だが衝撃に歪んだ顔はそんなテレマを見ることですぐに笑顔に戻る。
「ぬぅ、何たることじゃ。抱っこできないのは残念じゃが、それでもやはり孫は可愛いのぅ。世界一じゃのぅ」
「確かに、可愛らしいお孫さんですな。まあ儂の娘ほどではありませんが」
「……何じゃと?」
ニックの放った何気ない言葉に、ツクリマの表情が一変する。一瞬で酔いを吹き飛ばした鋭い視線は、ニックを捕らえて離さない。
「ほっほっほ。これはおかしな事を言う御仁じゃ。ワシの孫より可愛い者などこの世に存在するはずがないじゃろう?」
「はっはっは。確かにお孫さんは可愛いですが、儂の娘が同じ年頃の方がずっと可愛かったですな。いや、成長した今でもなお娘の方が可愛いかと」
「ほぅ……つまりニック殿は、ワシの孫が世界で二番目じゃと言うわけじゃな?」
「親であれば、自分の子供が一番可愛いのは当然でありましょう? ならばこそツクリマ殿がお孫さんを一番だと思う気持ちを否定はしませんが……残念ながら世界というのは残酷でしてな。どうあっても儂の娘が一番であることに変わりはないのですよ」
「なるほどなるほど……よくわかった。気のいい御仁じゃと思っておったが、事これに関してはわからせてやらねばならんようじゃな」
スッと目を細めたツクリマが、如何にも魔法使い然としたローブの袖を振る。するとその手の中に毒々しい紫色の液体の満ちた容器がするりと収まり、ツクリマの目が怪しく光る。
「あまり無理をしてはいけませんぞ、ご老人。貴殿がどんな手を使おうと儂の勝利は揺るがない。それは夜が明ければ太陽が昇ってくるのと同じことであり、即ち儂の娘が世界一可愛いことと同じ、世界の摂理なのです」
ニックもまた腰を落とし、握った拳を構える。押さえていてなおにじみ出る闘志は、娘への愛が溢れているが故。
「ちょっ!? 父さん、何やってるんだよ!? ニックさんも、やめてください!」
「お前は黙っとれ! 男には譲れない勝負というものがあるのじゃ!」
「家が壊れるなどの被害が出た場合は、全額儂が保証しよう」
「そういうことではなく! せめて外で……いや、外でこんなことしたら父さんまで衛兵に捕まってしまう? ど、どうすれば……」
高まる戦闘の気配に、オロオロと取り乱すウリマ。だがそんな主人の肩を、妻であるビィがポンと叩いた。
「大丈夫」
「ビィ? 大丈夫って、この状況で何が――」
「ほら」
ビィが視線を向けた先では、テレマがちょこちょこと二人の側に歩み寄って行っている。ニック達がそれに気づいて視線を向けるとテレマはピャッと近くの棚に身を隠してしまったが、そこからそっと顔を半分だけ出して、一言。
「じーじ、けんかはだめだよ?」
「そうじゃなー! 喧嘩はよくないなー! じーじは喧嘩なんてしないから大丈夫じゃよー!」
一瞬にして態度を変えたツクリマが、怪しげな薬を袖の中に戻して孫の側へと駆け寄っていく。だがその途中で思い出したかのようにニックの方を振り向くと……
「フンッ! 今日の所は孫の可愛さに免じて見逃してやろう」
「じーじ?」
「違うよー! じーじは全然怒ってないし、あのおじちゃんとは仲良しじゃよー!」
「フッ。確かにその可愛さには敵わんな」
蕩けるほどにデレデレの顔で孫を可愛がるツクリマの姿に、ニックも笑いながら拳をほどく。こうして町が消し飛ぶ大惨事は、小さな英雄の手によって防がれたのだった。